アルマ、デートをする(2)
最後に試着した普段使い用だというピンクベージュに黒い装飾が可愛いワンピース姿で店を出ると、辺りはすっかり夕暮れに染まっていた。未だかつてない倦怠感に首を左右に振って肩をほぐしながら、アルマはそろりとディートハルトを見上げる。
すると彼は自然な動作でアルマの右手に自分の左手を絡め、
「では、ここからが本当のデートということで」
と言って、嬉しそうに破顔した。それを目の当たりにした瞬間、アルマは今が夕暮れ時で良かったと心から思った。どんなに顔が赤くなっても、夕日の所為だと誤魔化せるから。
「アルマはどこか行きたい場所はありますか?」
「えっと……急には思いつかないからディーに任せてもいい?」
「もちろんです。ところで、お腹は空いていますか?」
「んー……そうだね、少し」
「じゃあ、まずは出店でも見ながら歩きましょうか」
その提案にコクリと頷けば、ディートハルトが軽くこちらの手を引いて歩き出す。
昼頃に比べれば人混みも落ち着いているとはいえ、まだまだ大通りは活気づいている。夜まで営業するであろう店の看板付近にはランプが灯り、その温かなオレンジ色が通り全体を優しく染め上げていく。
しばらくその幻想的な景色をゆったりと楽しみながら歩いていると、ひとつの小さな出店がアルマの目に留まった。自然と立ち止まり、アルマはディートハルトへ話しかける。
「ねぇ、ディー覚えてる? あのお店」
アルマが示したのは、ふかふかのスポンジにこってりとしたレーズン入りバタークリームをサンドした、この辺りでは昔から親しまれている伝統的な焼き菓子を出す店だった。
店から漂うふんわりとした甘い匂いが実に食欲をそそる。
「ええ、覚えてますよ。……昔、一緒に食べましたよね」
「ね! 凄く懐かしいよね!」
そんな会話をしながら、二人して店へと近づく。
すると店主と思しき中年の女性が愛想のいい笑みを浮かべながら声を掛けてきた。
「そこの綺麗なお二人さん! うちのクリームサンドは王都で一番だよ! おひとつどうだい?」
「……では、大きめをひとつお願いします」
「まいど! ちょっとオマケしとくからね!」
ディートハルトが注文すると女性が手際よくクリームサンドを切り分けて包んでくれる。
大きめということで、アルマが両手で持って少し余るくらいのボリューム感があった。
「はいよ、お嬢ちゃん! 落とさないように気を付けて」
「ありがとうございます」
「お兄ちゃんと仲良く食べるんだよ!」
その言葉に苦笑いしながらアルマが商品を受け取ると、スポンジはまだほのかに温かかった。出来立てということだろう。
ディートハルトが支払いを済ませ、二人は店から離れて大通りを再び歩き始める。
流石に歩きながら食べるのは気が引けたので、アルマたちは大通りの中腹、大きな噴水がある広場に設置されたベンチを目指した。
途中で果実水の飲み物も買い足し、広場に辿り着いた二人は隅の方のベンチに横並びで座る。
「はい、どうぞ」
アルマがクリームサンドを二つに割り、少し大きい方をディートハルトに差し出す。
代わりにディートハルトから果実水のコップを受け取ると、さっそくクリームサンドを口へ運んだ。
一口齧れば、柔らかなスポンジ生地とバタークリームの少し塩気のある濃厚な甘さが口の中に広がり、思わず頬が緩んでしまう。昔食べた時よりも甘さを強く感じるのは、おそらく当時は甘味の原料を今より減らしていたからだろう。それでも、やはり懐かしいことに変わりはない。レーズンもいいアクセントになっていてとても美味しい。
すると、一部始終を見ていたらしいディートハルトがクスクスと可笑しそうに喉を鳴らした。
「アルマは、いつも美味しそうに食べますよね」
「うっ……だって本当に美味しいんだもの。悪い?」
「とんでもない。食べさせ甲斐があるというか、見ていて和むなぁと」
「いや和まなくていいから……とにかくディーも早く食べてみてよ! 美味しいから!」
そう言って促せば、ディートハルトも素直にクリームサンドを食べ始める。
しかしアルマと違ってあまり表情は変わらず、飲み物と交互に胃に収めていく様子は優雅であるが、あまり美味しそうな感じには見えなかった。
「……ディー、もしかして甘いのそんなに得意じゃない?」
不安になって尋ねてみれば、ディートハルトは逆に不思議そうな顔で首を横に振る。
「いえ、美味しいですよ? まぁ、量はそれほど必要ないですが」
「それならいいけど。あんまり表情変わらないから見てるとちょっと不安になる……」
「アルマが顔に出すぎというのもあると思いますが、まぁ僕は何を食べてもあまり表情には出ませんね」
「うーん……昔のディーはもう少し表情豊かだったような気がしたけど、大人になったからかなぁ」
思えばこのクリームサンドを一緒に食べたのはディートハルトが十一歳の頃。
ちょうど両国の疲弊がピークに達して、一種の膠着状態に陥っていた時勢下だった。珍しく半日の休暇を貰って二人でこの大通りに繰り出した際、食べられた貴重な甘味が今手にしているクリームサンドだったのだ。
あの時も確か、ひとつを買い求めてそれを二人で分け合って食べたはずだ。
レスティアであった時の、懐かしくて優しい記憶。可愛かったディートハルトとの思い出の味。
アルマは最後のひとかけらを口へ放り込み、味わってからゆっくり飲み込む。
隣を見ればディートハルトもちょうど食べ終えたようで、飲み物を傾けながらぼんやりとアルマの方を見ていた。目が合うと、そのタンザナイトの瞳はいつも溶けだしそうなほど甘い色を宿す。
「……口もと、クリームついてますよ?」
「え!?」
咄嗟に口もとを片手で覆ったアルマに、ディートハルトが「嘘ですよ」と笑う。
彼にしては子供っぽい冗談。アルマが思わずジト目で睨みつけると、それすらも楽しそうに受け止めてくるから性質が悪い。悔しくなったアルマは、むすっとしながら低い声でぼそりと呟いた。
「……ディー、可愛くない」
「逆にむくれるアルマはとても可愛い」
「っ!? ……い、いつのまにそんな軽口叩けるようになっちゃったの!? わたし、そんな風に育てた覚えはないのに……!!」
「ここ一カ月ほど一緒に居て悟ったんです。貴女に遠回しなことを言っても絶対に伝わらない。逆にストレートに告げれば、想像以上の反応が返ってくるって」
それに、とディートハルトはどこか遠い目をしながら言葉を続ける。
「もう、あの頃みたいに何も言わずに後悔することだけはしたくないんです」
その表情があまりにも切なく見えて、アルマは途端に胸が苦しくなった。
確かにレスティアであった頃はディートハルトの気持ちにこれっぽっちも気づいていなかった。
きっと自分の傍で歯がゆい思いもたくさんしたのだろう。
だからこそアルマに対してはこうして言葉を尽くすのだと、彼は惜しみなく伝えてくる。
「なので覚悟してくださいね? もう絶対に遠慮はしませんし、必ず口説き落とすので」
アルマの気持ちが少し沈みかけているのを敏感に察知したのだろう。敢えておどけた雰囲気を出し、ディートハルトがアルマの頬を右手で優しく触れた。一瞬、身体が驚いてぴくりと跳ねる。だが、拒絶はしなかった。
それをいいことに彼は親指の腹でアルマの唇付近を軽く撫ぜると、ぽつりと零す。
「……実は、本当についてたんですよね」
何が、とアルマが問う前に。
ディートハルトが引き戻した右手の親指を自然な動作で――舐めた。
「っ~~~~~!!?!?!!」
アルマは声にならない悲鳴を喉の奥で上げながら、夕日では到底誤魔化せないほどに真っ赤になってディートハルトの腕を抗議の意味でバシバシと叩く。
しかしディートハルトはまったく反省した様子を見せず、
「こうして貴女に異性だと意識して貰えると、凄く気分が良いですね」
むしろしてやったりという顔で微笑んだ。
あと1話ほどデートにお付き合いください




