エリーチカ、憤慨する
今回はアルマ視点ではなく、辺境伯家のご令嬢エリーチカ視点になります。
エリーチカは激怒していた。
こんなにも怒りに支配されたのは、十五歳の誕生日にお気に入りのドレスを公爵家の馬鹿女に「センスがない」とこき下ろされた時以来かも知れない。
あの子供。そう、あの子供が悪いのだ。
美しく気高い孤高の獣のようなディートハルトの傍に付きまとう、矮小な生き物。
それなのに自分の護衛に剣術勝負を挑み――そして、勝利して見せた。
これでも辺境伯家の女だ。自分の護衛の力量は理解している。その彼女が土を付けられた以上、まぐれではありえない。
だからこそ腹立たしいのだ。
あんなちっぽけな子供の存在が、自分とディートハルトの間に立ち塞がることが。
「あああああ!!!! 苛々する!!!!」
幼い頃に矯正された爪を噛む癖。それを無意識のうちにしてしまうほどに、腹の虫が治まらない。
しかも周囲からは、先ほどから絶えず不愉快な話声がそこかしこから聞こえてくる。
「凄かったな、あの子は何者なんだ?」
「アメルハウザー騎士団長が個人的に随従させている子だって話だぞ?」
「流石にガキだけど、顔は結構かわいかったよなぁ!」
「いやいや、それよりあの年であの剣捌きはヤバいだろ!? 一、二年目のひよっこ共じゃあ相手にならんかもしれないぞ?」
「それもそうだけどさ、何より団長のあの子への態度だろ!! オレ、ここに来てかなり長いけど、あの人が誰かを心配したり笑いかけたりしてるとこなんて初めて見たわ!」
「それは俺も思った! てか、パレードの時からかなり特別扱いしてたからな……な、ケイン?」
「ああ……勇気出して話しかけたら「見るな、減る」って言われたんだぞ……本気で寿命が縮んだっつーの」
「でもあの子って平民だろ? もしくはどこかの貴族の御落胤ってか?」
「さてなぁ? ともかく普通の子じゃないのは確かだろ? あと、団長からの寵愛を受けてるのはほぼ間違いない」
「……なぁ、もしかして団長って幼女趣味――」
「お前それ以上言うと消されるぞ止めとけ」
忌々しい。本当に忌々しい。
エリーチカは未だに親指の爪を噛み潰しながら、噂話で盛り上がる訓練場を後にする。
そして、ぴたりと背後に付く護衛の女性へと荒々しい声音をぶつけた。
「お祖父様はどこにいらっしゃるの!? こうなったら、何としてもあの子供を――」
「……お嬢様、それ以上はお言葉にされない方がよろしいかと」
「――は? なに、お前ごときがワタクシに口答えするの?」
庁舎と訓練場を繋ぐ外廊で足を止めたエリーチカが、不快さを露わにしながら振り返る。常であれば、エリーチカの不機嫌ですぐ委縮した様子を見せる護衛は、だが今回は真剣な面持ちのままに顎を引いた。
「……出過ぎた真似であることは承知しております。ですが、アメルハウザー閣下のご様子から推察しますに、あの子供に手を出すことは、おそらく閣下の逆鱗に触れるに等しい行為かと愚考いたします」
その諫言を、くだらないと一笑に付すことは簡単だった。だが、出来なかった。
エリーチカ自身、心のどこかで同じ判断を下していたからだ。
ディートハルト・アメルハウザーは他者へ決して阿らない。
心を赦さない。踏み込ませない。徹底的に。そう誰もが認識している。
たとえそれが貴族だろうが、平民だろうが、奴隷だろうが、それこそ王族だろうが関係はない。
例外はただ一人だけ――先の戦争で英雄の一人に数えられた女騎士。
レスティア・マクミラン。彼女だけだった。
しかし所詮は故人。現世に介入できるわけもない。
だから安心していたのに、今度はよりにもよって生身の、しかも女。
到底見過ごすことは出来ない。
「……あの子供……アルマと言ったわね。いったい何者なのよ……!!」
「――そいつぁ、俺も知りたいところだなぁ」
進行方向から聞こえてきた声に驚いて、エリーチカは再び前を向く。見れば探していた人物が酷く上機嫌な様子でゆったりとこちらへ近づいてきていた。
「お祖父様! 探しておりましたのよ!」
「おうおう、お祖父ちゃんも可愛いエリーチカに会いたかったぞぉ」
「当然知っておりますわ! それよりもお祖父様、今何と仰られていたのですか?」
「決まってるじゃねぇか。アルマって子のことだろ? 俺も興味出てきたって話よ」
「……何故、お祖父様がその名を知っておりますの?」
訝し気に祖父を見つめるエリーチカに、辺境伯はにんまりと目を細める。
「さっき挨拶してきたとこだよ。ありゃあ将来はいい女になるぞぉ!」
「ふ、ふざけたことを仰るのも大概にしてくださいまし! あの子供はワタクシにとっては目下最大の障害に他なりませんのよ!?」
「おお、我が孫ながらその辺の嗅覚はなかなかのもんだな? ちゃんと分かってんじゃねぇか」
感心したように自分を褒める祖父に、またしても腹の底から怒りの念が湧き上がってくる。
だが、それをぶつける前に、
「それが分かってて、お前さんまだディートハルトの坊主を諦めきれねぇのか?」
祖父が辺境伯としての顔で問うてくる。
エリーチカは祖父の言葉の意味を正しく理解していた。
もともと、脈がないことは承知の上でのアプローチ。祖父が騎士団本部関係者でなければ、それすらも叶わなかったであろう。それほどまでに、ディートハルト・アメルハウザー公爵は社交界における難攻不落として名を馳せているのだ。
だが、エリーチカの性分として、自分に並び立つ男に妥協という文字はない。
まだ売約されてない最高の男性が近くにいる以上は、気の済むまで戦うのが辺境の女だ。
ゆえに、祖父に返す答えなど決まっている。
「勿論ですわ! ワタクシの伴侶に相応しい男はディートハルト様だけ……ならば、それを射止めるだけのこと!」
胸を反らして高らかに宣言すれば、祖父は満足そうに頷いて見せた。
「良く言った、それでこそ俺の孫! ならお祖父ちゃんが一つ有効な策を授けてやろう」
「!? そんな秘策がありますの!?」
「おう、簡単なことよ……いいか?」
背後で二人の成り行きを見守る護衛の女性が、どこか遠い目をする。
これから起こるであろうろくでもない未来を想像して。
「将を射んと欲すれば――先ず馬を射よ、ってな?」




