アルマ、動揺する
訓練場内が沸き立つ中、アルマは木剣を相手の首筋から離した。
その際に一瞬、身体のとある部分が痛みを訴える。だが我慢できないほどではなかったので、アルマは敢えてそれを無視した。
そしてそのまま相手と共に試合開始位置まで戻ると、儀礼に則り正対して一礼をする。
「――勝者、アルマ」
そこへ掛けられたディートハルトの宣誓により、アルマはようやくホッと息をついた。
正直、かなり際どい勝負だった。
相手のスピードが想像以上に速く、さらに鍛えられた身体から繰り出される攻撃はガルムなどとは比較にならないほど鋭く、重かった。
それでもなんとか勝利することが出来たのは、レスティア時代に培われた経験と、二年の鍛錬の成果と言えるだろう。
「……正直、ここまでとは思っておりませんでした。完敗です」
悔しそうな、でもどこかこちらを讃えるような声が眼前から響く。
顔を上げれば、肩を竦める護衛の女性の困ったような笑みが見えた。
「お褒めに預かり恐縮です。こちらこそ、よい経験を積ませていただきました」
「……こちらは、この後のお叱りを考えると気が滅入りそうですけどね」
その言葉に、アルマは思わず横目でエリーチカの様子を窺う。予想通り、エリーチカは顔を真っ赤にしながらブルブルと震えていた。涙目なことも考慮すると、アルマの勝利に対する不満と怒りとストレスが混ざり合って大変なことになっているようだ。
「あの……なんか、その、すみません……」
「いえ、お嬢様に勝利を持ち帰れなかった私の不徳の致すところですので……それに」
「それに?」
「……率直に申し上げて、お嬢様にはアメルハウザー閣下は荷が重い相手かと。ですので、これで良かったのだと思います」
さらりと従者らしからぬ見解を口にした彼女はもう一度こちらに頭を下げると、主であるエリーチカのもとへと歩いて行った。
その後ろ姿を眺めながら、アルマは先ほどの対戦を振り返り、自分の中にある強い欲求を自覚する。
今後も彼女のような手練れと実戦形式での手合わせがしたい。
もっともっと経験を積み、強くなって、立派な騎士になりたい。
国を、民を、そして――自分を慕ってくれているディートハルトの未来を、守っていきたい。
いっそダグラス辺りに頼んで定期的な手合わせが実現できないものかと、少々脳内で計画を立てていたアルマは。
試合後の疲れも相まって、自分に近づく気配に鈍感になっていた。
そうして気が付いたときには――彼の腕の中にいた。
自分をこうも軽々と抱き上げる人物に心当たりなど一つしかない。
アルマは突然のことに動揺しつつも、周囲の目があることも意識してなんとか悲鳴は呑み込んだ。
代わりに視線で不満を表明しようと目線を向ければ、逆に咎められるような視線とかち合う。
「――左足、ですよね。運びますからじっとしていてください」
ディートハルトの断言に、アルマは目を見張った。
最後の一撃を躱す際に無理な挙動を取った結果に負った、左足の鈍い痛み。
それをどうやら見抜かれたらしい。上手く隠していたつもりだったので、アルマはディートハルトの観察眼に舌を巻く。しかし歩けないほどの痛みでもないため、
「だ、大丈夫です! 一人で歩けますので降ろしていただけますか……!」
アルマは顔をほんのり赤く染めながら、ぺしぺしとディートハルトの肩を叩いた。
エリーチカや対戦相手の女性はもちろん、訓練場内にいるすべての人々がこちらに注目しているのが肌から伝わってきて大変居心地が悪い。
だが、そんな空気を物ともせず、ディートハルトはその長い脚で真っ直ぐに医務室の方へと歩き出した。無論、アルマは抱えたままである。
これはもう決して降ろす気はない――その事実に、アルマはキョロキョロと視線を彷徨わせる。
そして目的の人物を見つけて、助けを求めるべく声を上げようとしたが、
「ダグ……っ!?」
名前を呼びきる前に、口を大きな掌で押さえられてしまった。
「僕がいるのに、誰の名前を呼ぶつもりですか?」
覗き込んでくる青年は笑みを浮かべてはいる。だが、目が笑っていない。
これは逆らったらダメなやつだと悟ったアルマは、心を無にして運ばれることに徹することにした。
そうして訪れた医務室だったが、生憎と医務官は出払っているようだった。
ディートハルトはアルマを手近な椅子に降ろすと、テキパキと塗り薬や包帯の準備を始める。
どこの棚に何があるか把握しているその様子に、アルマが疑問の声を投げかける。
「……なんか、慣れてるね?」
「ああ、怪我をした時には自分で手当てをするので、これくらいは」
「? 医務官にやって貰わないの?」
「他人に触れられるのは極力避けたいので」
「……わたしには、こんなに触れてくるのに?」
「貴女は特別ですから」
言って、ディートハルトはアルマの左のブーツを脱がすと、その場に跪いて手際よく薬を塗布する。
ひやりとした感触が火照った患部に気持ちがいい――と思ったところで、アルマは我に返った。
「こ、これ以上は自分でやるから! ディーはやらなくていいよ!?」
いったいどこの世界に主を跪かせて手当てをさせる従者がいるというのか。
冷静に考えればおかしすぎる状況に慌てて止めに入るアルマを、ディートハルトが優しい目で見上げてくる。
「今後も、もし怪我をするようなことがあれば全て僕が手当てをします。それが嫌なら、無茶するのは止めてくださいね?」
「ええ!? それこそ無茶だよ、だって騎士には怪我はつきものでしょう?」
「だから僕なりに譲歩しての提案なんですよ、これは。……本音を言えば、危険の伴う騎士という職に貴女を就かせたいとは思わないですが……貴女の意思を歪めるのもまた、僕の本意ではありません」
吸い込まれそうなタンザナイトの瞳。それが今、自分だけを映している。
ずるい、とアルマは思った。こんな顔をされてしまっては、もう何も否定的な言葉が出てこない。
「……怪我、気をつけます……」
その言葉に満足したのか、ディートハルトが上機嫌で包帯を巻いていく。
まるで壊れ物を扱うような繊細な手つきに、大事にされていることが嫌でも実感できてしまう。
「――はい、終わりです」
最後にするりと足の甲を撫でられて、背筋が痺れるような甘さに震える。
それをなんとか悟られないように腐心しながら、アルマは軽い調子でお礼を言った――ちょうど、その時。
「おお、こんなところに居ったか!」
医務室の扉が開くとともに、予期せぬ人物の声が二人へと投げ掛けられた。




