アルマ、手合わせをする
――数十分後。
アルマは第二騎士団の訓練場の片隅にて、入念に柔軟を行なっていた。
久しぶりの、ガルムやゼム以外の人間との手合わせが実現し、気を抜くとついつい顔が緩んでしまう。
すると、訓練場脇に備え付けられた休憩用のベンチで昼食のサンドイッチを頬張っていたダグラスが、半眼になってアルマに指摘した。
「……お前、もしかして狙ってやったんじゃねぇのか?」
「いやいや、そんなこと出来るわけないでしょ……先に絡まれたのはわたしなんだから」
「だが、手合わせに持っていったのはわざとなんだろ?」
「…………黙秘します」
明後日の方向に視線を逸らしながら、アルマは大きく伸びをして息を吐いた。
ちょうどそこへ、木剣を携えたディートハルトがこちらへ歩み寄ってくるのが視界に入る。
彼はアルマに対してその木剣を差し出すと、
「……まったく、そんな楽しそうな顔をしないでください」
と、珍しく苦笑交じりに言った。どうやらそれほどまでに顔や態度に出ているらしい。
アルマはわざとらしく咳払いをして誤魔化しながら、木剣を受け取る。まだ真新しいそれは、おそらく騎士団の備品の中では一番軽いものだろう。何度か振って感触を確かめつつ、アルマはとある方向へと視線を走らせる。
そこには、アルマ同様に手合わせの準備をする護衛の女性と、ベンチに座りながらこちらを射殺さんばかりに睨みつけてくるエリーチカの姿があった。
あまりの形相に周囲の騎士たちがやや引き気味になっているが、当の本人は取り繕う余裕もないらしい。普通にしていればキツめの美少女なのにもったいないな、とアルマがぼんやり見ていると――
「ちょっと! なに見てるのよ!」
キャンキャンと威嚇する子犬のようにエリーチカが吠える。
かなり距離があるにも関わらず耳をつんざくような声量を受け、そのあまりの煩さに顔を顰めたダグラスは思わずといった様子でアルマへと話しかけた。
「あれがグランツ卿の孫娘ってか……なかなか迫力あるお嬢様だが、団長とは相性悪そうだな」
「うーん……まぁ、否定はできないかなぁ……」
「てか、あの様子でよくお前と自分の護衛との手合わせを許可したな、あのお嬢様も」
「……あー、それはね。ディートハルトさまが条件を付けたからなんだよね……」
「条件?」
ダグラスが首を傾げるのに、横で二人の会話を聞いていたディートハルトが事も無げに口を挟む。
「アルマが勝ったら二度とこちらに干渉をしないことを約束させた。代わりに、あの女の護衛が勝ったら私と正式に縁談の席を設けると」
そうなのだ。最初は「どうしてワタクシたちが貴女なんかに時間を割かなければならないのよ!」とエリーチカに拒否されたのだが、見かねたディートハルトが先ほど述べた条件を提案したところ、今度は二つ返事で手合わせが了承されたのである。
「……アルマお前、意外と責任重大じゃねぇか」
「そうなんだよね……向こうはすっかり勝った気でいるし、なんだか色々と気まずいんだけど」
アルマがチラリと目線を上げれば、それに気づいたディートハルトが目を柔らかく細めて、実に優雅に微笑んでくる。
「こうなった以上、アルマは僕のために勝ってくれるんですよね?」
嬉しそうに脅しをかけないで欲しいと思いつつ、アルマは「最善を尽くすよ」と返した。
無論、やるからには負けるつもりなど毛頭ないし、何より無様な試合をしてディートハルトを失望させたくはない。自ずと気合いが入り、アルマは木剣を握る手に力を込めた。
そんなやりとりをこちらがしていると、再び不機嫌そうな甲高い声が訓練場に響き渡る。
「準備が出来たのなら、さっさと始めなさいよ! ワタクシも暇じゃないのよ!」
「あはは……承知いたしました。えっと、そちらの方も準備は大丈夫でしょうか?」
アルマの問いに護衛の女性が神妙に頷く。そこでアルマはディートハルトへと目配せをし、訓練所の中央へと歩を進めた。相手の女性も同じように前へ進み出てくる。
彼女も騎士団から貸し出されたと思われる木剣を手にしているが、アルマが持つ物よりも少し刀身が長かった。
アルマの目算では自分と彼女との身長差は三十センチといったところだが、腕の長さに加えて剣のリーチ差にも気を付けなければと、改めて表情を引き締める。
一方、相手の女性は未だにこの状況への戸惑いを捨てきれていないようだった。
それも当然だろう。アルマの見た目は小柄で華奢な幼女そのものなのだ。貴族令嬢の護衛職に就くに当たってそれなりに長い時間訓練をしてきたであろう彼女にとっても、こういった手合わせは未経験なのではないだろうか。
ほどなく女性と十歩ほどの距離で向かい合う。
両者の中間地点にディートハルトが立つと、スッと片腕を上げた。
「――制限時間は特に設けない。相手を降参させるか、私が勝負ありと判断した段階で終了とする。両者、構わないな?」
アルマと女性が同時に頷くのを確認し、ディートハルトが後方へと下がる。
そして――
「――はじめ!」
振り下ろされた腕を視認した瞬間、アルマは滑るように動き出した。
長期戦になれば体力のない自分が不利。であるならば、なにはなくとも先手必勝である。
アルマは相手の左側へと回り込むようにして走りながら、極力姿勢を低くして剣の届く間合いへと飛び込もうとする。
が、相手も即座に対応してきた。圧倒的なリーチ差を活かして突進してくるアルマの進路上に剣を繰り出す。しかしアルマは俊敏な動きでそれを難なく回避すると、器用に片手で剣を操って相手の太ももを狙う。
だが寸でのところで相手のバックステップにより、アルマの剣は空を切った。
向こうもおそらく速度に自信のあるタイプなのだろう。
彼女はアルマの身のこなしに驚愕しつつも、きちんと動きを読んで的確に応戦してくる。辺境伯家の護衛を務めているのだから、このくらいは出来て当然といったところだろう。
「っはあああ!!」
今度は彼女の方から仕掛けてきた。
アルマは両手で木剣を構えると、上段の振りを全身を使って弾き、右斜め下からの切り上げを最小限の動きで躱し、横薙ぎに対しては木剣の刀身をずらして軌道を逸らしてみせる。
訓練場で試合を観戦していた者たちが、そんなアルマの動きに驚きと感嘆の声を漏らした。
まだ年端もいかない幼女が、女性とはいえ護衛職の人間を相手に一歩も引かないどころか、その剣を上手く捌いている。膂力では確実に押し負けることは誰の目にも明らか。つまり、相手の剣筋を読んで力を受け流しているのだ。
その技術は、一朝一夕で身につくものではない。
熟練者であればある程、この非力そうな少女に秘められた底知れない力量を目の当たりにし、思わず舌を巻いていた。
「――ッやぁ!!」
そんなアルマの見事な受けに焦れたのか、相手の女性が額に汗を滲ませながら、剣を大きく振りかぶった。打ち下ろせば小柄なアルマが受けきれないことを見越しての容赦ない一撃。
だが、それは同時に自らの急所を晒すことにも繋がっていた。
そしてアルマは、その隙を決して見逃さない。
――回避は、まさに紙一重。
自分のすぐ右横、振り下ろされ地面を叩いた相手の剣先に自らの剣を滑らせ、アルマは両手で持った木剣を相手の首筋に突きつけた。
アルマと女性、両者がピタリと動きを止め、二人の荒い呼吸音のみが静寂の場を乱す。
観衆の誰もが瞬きすらも忘れ固唾を呑む中、
「……参り、ました」
護衛女性の擦れた声が落とされた瞬間――
爆発するような歓声が、訓練場内に留まらず辺り一帯に響き渡った。




