60
そういうわけで、二人は城門を出て、街の前に立っていた。
街は日が暮れかけて、赤橙色に染まる空が、雲の上に広がっている。
そんな夕日で照らされた町並みの前で、二人はしばらくぼーっとその場にたたずんでいた。
(そういえば、こうして男の人と二人で出かけるのってはじめてかもしれない。まあ、クロウさんとだけど)
ゴルムスたちと何度か街に買い物にいったことはあるが、こういう風に外出するのははじめてだった。
貴族や王族でも恋仲の相手がいれば、側仕えや護衛だけをつれて外出したりすることはあるらしい。その場合、側仕えや護衛は極力、二人の視界に入らないようにするのでデートみたいなものになる。
でも、フィーはまったくそんな経験はなかった。社交界にでたことがあるのはわずか1年ほどの期間で、フィールのついでという感じで放り込まれ、社交経験のまったくないフィーは、貴族たちの輪にはいれるはずもなく、壁の花と化していた。
そしてきらびやかなパーティーの中でも、ひときわ美しく輝く主役ともいうべきフィールがいるのに、わざわざ劣化品というのすらおこがましいフィーに話しかけるものはいなかった。
フィーとしては少し苦痛な時間だったかもしれない。
未来の展望もなく、何かやりたいことがあるわけでもなく、ただパーティーが始まり、終わるまで立って時間を潰すだけの日々。
このまま相手も見つからず、国内の貴族と無理やりに結婚でもさせられるのかなぁ、と思っていた。
でも、心の底では、願っていたのかもしれない。恋でなくてもいい、ただの政略結婚でも、ちゃんと自分のことを見てくれて、そんな人と一緒に暮らせるのを。
まあ、そんなわけでフィーとしては、気合を入れてクロウに協力すると決めたものの、何をすればいいかまったくわからないのだった。
一方のクロウといえば、女装した後輩を前に悩んでいた。
(いったいどういう風に扱ったらいいんだ。女の格好はしてるけどいつものヒースとして扱うべきなのか。いや、でも訓練だし、ちゃんと女として扱うべきなのか?しかし、本当に女みたいだなぁ……)
クロウは街に視線を向けて、ぼへーっとたたずむフィーの横顔を眺めた。
夕焼けに染まる頬や、赤い夕日を映す瞳は、いつもと同じはずなのに透き通って見えた。無言でそのまま佇まれると、知らない女の子にしかみえない。
その瞳がクロウの方を向いた。
無言でしばらく二人は見つめあったあと。
「クロウさん、石鹸買いにいってもいいですか?この前切れたんです」
フィーがクロウにそう言った。
フィーがデートについて考えた末、たどりついたのはそんなことだった。デートなんてやったことないし、これがデートなのかもわからない。そんな中、思いだしたのは、この前、石鹸が切れたことだった。
クーイヌに借りようと思ったけど、クーイヌはなぜか水浴び場のときフィーの近くに入るのを嫌がるのだった。だから、相変わらずゴルムスに借りている。
でも、さすがにそろそろ借りを返さなければいけないころだろう。
街にでるのはいい機会だった。
「ああ、晩御飯までは時間があるしな。適当に買い物で時間をつぶすか」
フィーにそう言われてクロウは頭を掻いた。
いつもは女性を気分良くエスコートするなんて簡単なことのはずなのに、女装したヒース相手だとどう対応したらいいのかわらかなくなる。
それはそうだろう。相手は女ではなく、女装した後輩なのだから、と自分でそう思うのだが。
なぜかヒースが喋ると、やっぱりほっとするのだった。
「はい!」
クロウの言葉にフィーは笑顔で返事して、二人は城から街へと降りていった。
クロウに先導され目的地へと向かいがてら、商業街に二人は寄った。
さすがは都会オーストルというべきか、夕暮れのこの時間、道には人が多い。
とんっと、フィーの体が通行人にぶつかり、その体がよろけた。
「わわっ」
ヒールにあまり慣れてないフィーは、そのまま転びそうになる。その体をクロウの手がのびて支えた。
「ありがとうございます。クロウさん」
「気をつけろよ、ったく」
クロウに支えられ、なんとか立ち直りながら、フィーは眉をしかめた。
「この靴歩きにくいんですよ。脱いでいいですか?」
「訓練なのに早速妥協するな……。つか、靴を脱いでどうする気だ。ほら、俺のちょっと後ろを歩け。大分、歩きやすくなるだろ」
そういってクロウはフィーの手を握り、自分の少し後ろにやった。そうして歩く速度を少し落としてあるきはじめる。
(おおぉ……)
クロウに手をひかれながら歩くフィーは純粋に感心した。フィーの少し前にあるクロウの大きな肩が、通行人を自然とはじいてくれてかなり歩きやすい。
こんな技があったのか、と感心する。
「こういうので女の子を落としていくんですね。女ったらしも伊達じゃないです」
フィーがクロウを褒めると、その頭にちょっぷが降り注いだ。
「あほ。お前のためにやってやってるんだぞ」
クロウもフィーのことをいつもの後輩として扱うことに決めた。フィーの態度がいつも通りだったからだ。
これで訓練になるのかと怪しい気持ちだったが。
まあ、悪い気分でもない。
商業街の雑貨屋に入ると、フィーは石鹸をみっつほど買った。
ひとつはゴルムスへのお礼の分だ。
それから妙な形のカップがあることに気づく。陶磁器のようだが、なんか妙なデザインだ。カップの持ち手から5分の1ほどいったところが、盛り上がって尖っている。
そしてかなり売れてるようだった。たくさん置いてあったようだけど、残りは2、3個ほどしかない。
おもわずじっと見てると店の主人が話しかけてきた。
「お嬢さん、良いものに目を付けたね。それはカランド王国でつくられた陶磁器で、その形は光の聖女であるフィールさまが考案されたらしい。なんでも神の手を模した形で、世界の平和と繁栄を願われたとか。
まさに国に繁栄をもたらすと言われる光の聖女さまにふさわしい品だ。うちでも大人気さ」
その言葉を聞いてフィーは首をかしげた。
(光の聖女……?国に繁栄をもたらす……?)
フィーの故国であるデーマンでは、プラセ教という宗教が信仰されていた。
その宗教では、フィールのような不思議な力をもった人間は巫女と呼ばれありがたがられている。でも、国に繁栄をもたらすとか、そんな教えは存在しない。
たしかに稀少な力だし、それだけでありがたいものだけど、別に何かを期待される能力ではないのだ。そんな伝承も存在しない。
そしてオーストルも、そのプラセ教を信仰する国のはずだった。
聖女という呼び方や救国や繁栄の神話があるのは、むしろルシアナ聖国などが信仰するユーニル教に近い考え方だった。
(国が違うと考え方もちがうのかなぁ)
故郷のデーマンからあまり出たことがなかったフィーには、オーストルの人たちの信仰にたいするスタンスはわからない。
フィーは妙な形をしたカップを手にとって眺めながら、しばらく会ってない妹の姿を思い浮かべた。
(フィールは元気にしてるかなぁ)
「フィールさまといえば、あまり行事にはお出にならないのですが、それも陛下の寵愛が篤いという証!実際に目にした人々がいうには、噂どおりの本当に美しく慈愛に満ちた素晴らしい方だったとか。陛下がなかなか人前にだしたがらないのも当然ですなぁ。いやはや、本当にありがたい!」
店の主人はそんなことを、フィーの横ではなしていた。
(幸せに暮らしてるといいけどなぁ)
リネットが言うには大丈夫らしい。
オーストルの国王にはあまり良い印象はないけど、フィールとの仲はうまくいっていて欲しいなぁって思っている。だってせっかく恋をして結婚をしたのだ。妹には幸せになってほしい。
フィーはカップを眺め、しばらくフィールのことを思ったあと、そっとそれを置いて店をでた。
「あれ?お買いになられないのですか!?みんな買われてますよ!」
店主が慌てて呼び止めるが、クロウと一緒に店をでる。クロウはすっとまた人避けになってくれた。ナンパ男はだてではない。
遠ざかる店主の声を聞きながらフィーは思った。
だってどう考えても、飲みにくそうだったんだもん、と。




