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 その日、北の宿舎では珍しい光景が展開されていた。


 ヒースのことをクーイヌが追っかけまわしているのが、最近のこの宿舎でのいつもの光景だった。なのに今はクーイヌの方がヒースのことを避けてまわっている。


 クーイヌは心の中で思っていた。


(みんなは知っているのか……。あのことを……)


 クーイヌは頭の中であの光景を思い出しかけて、あわてて頭をぶんぶんふってそれを振り払う。

 だめだ。想像してはいけない。


 クーイヌの顔がかーっと赤くなった。


(なななんで騎士隊に女の子がいるんだ……?)


 まさかヒースが、女の子だったなんて……。

 でも、間違いない。あの体つきは……、とまたクーイヌは水浴び場での光景を想像しかけてしまう。そしてまた慌ててそれを振り払う。さっきからクーイヌの心臓はどきどき鳴りっぱなしだった。


 というか知ってしまえば、どう見ても女の子だった。

 あの男とは違う華奢な体つき、低い身長、顔だちも女の子である。凹凸はあまりないけど……。

 騎士隊に女の子がいるわけないという先入観で、完全に小さな少年だと思い込んでいた。


 騎士隊に女の子がいてはだめという規則はない。

 というか、この国では騎士になりたがる女の子など今までいなかったので、まったくの想定外でそんな規約すらない状態なのだ。


(どうしたらいいんだ……)


 クーイヌはもうわけがわからなかった。

 みんなはヒースが女の子だということを知っているのか。それとも知らないで一緒にいるのか。まわりと馴染もうとしていなかったクーイヌにはまったくわからない。


 普通なら隠しているのだと思う。

 騎士隊に女の子がいるなんてありえない。

 でも、あのまったく悪びれない態度が、何かあるのではとクーイヌに思わせている。


 クーイヌは誰にも相談できず、とにかくヒースのことを避けてまわっていた。

 そんなクーイヌが人気のない休憩所を通りかかったとき、後ろから声がかかった。


「クーイヌくん、話すことがあるよね。僕と」


 思わずびくっとふりかえった先には、ヒースがいた。

 ソファにどっしりとすわり、ぽりぽりと街で買ってきたクッキーを食べている。この上なくくつろいでる姿勢なのに、その眼光はしっかりとクーイヌのことを捉えていた。



 フィーはひたすらソファーでクーイヌのことを待っていた。

 今日のクーイヌがふらふらといろんな場所をうろついているという話は、すでにフィーの耳元に入っていた。なら、このあまり人が利用しない休憩所にもやってくるはずだ。

 そうにらんでいた。


 ひと気がないことは絶対条件だ。

 フィーにとってまわりに女だとばれるのはとてもまずいことだった。でも、それは悟られないよう、表にださない。

 あくまで悪いことをしたのは相手、糾弾するのはフィーの方。そんな雰囲気を作り出さなければならない。


「ほら、座りなよ」


 そういってフィーは相手に椅子を勧めた。有無をいわさぬ目で相手をみながら。

 クーイヌはにらまれて、大人しくフィーの反対側に座る。


「あ……、あの……」

「ねぇ、男だから覗いたの?それとも女とわかってて覗いたの?」


 フィーはクーイヌが何か話し出そうとするのを遮って、カウンター気味に先制攻撃をしかけた。

 あくまでも会話の主導権を握るはフィーの方だ。


「ち、ちがうっ……。そんなつもりじゃ……!」

「まあどっちでもいいよね。覗きには変わらないんだから」


 べつに質問の答えはどうでも良かった。相手に自分の意志で喋らせず、フィーが主導で話させる。ついでに相手の弱みをえぐるのが目的だった。

 そしてそれは効いたようだった。


「そそそ、そんなんじゃ……!ないんだ……」


 クーイヌの方は顔を赤らめ動揺しながら、最後の方は掠れた声でいった。効果はかなりあったみたいだ。フィーの予想以上かもしれない。


 フィーは以前からのやり取りで、クーイヌはどちらかというと簡単な相手だというのはわかっていた。

 剣の腕は立つけど、会話術やコミュニケーション能力は高くない。

 予想外のことがあるとすぐに慌てるし、あのときも赤面し慌てまくっていた。真剣な表情をすることが多いためパッと見はクールに見えるが、実際のところ真逆、真剣なときも動揺してるときも感情がただ表にでまくってるだけ。


 感情に素直ということは場の空気に流されやすいということだ。そしてころころ変わる感情では場の空気を己の感情でコントロールすることはできない。


いけるっと、フィーは確信する。


「これって変態だよね。女の子の水浴びを覗いたならそれは変態だし、男の子の水浴びを覗こうとしたならそれはそれで変態。そんなことばれたら、きっと騎士隊にはいられないだろうね」


 あくまで相手が悪いという体で話をすすめていく。


 本当は女だとばれたフィーのほうが圧倒的に立場はまずいのだ。


 でも、クーイヌは錯覚してしまう。フィーのあまりに堂々とした態度と、あくまでクーイヌが悪いとフィーが全力で発信し続ける空気につられて、自分の方が本当にまずいことをしてしまったのだと……。


 クーイヌの体からだらだらと汗が流れ止まらなかった。


「覗きなんかしたことが表ざたになったらきっと第一騎士隊の名に傷がつくだろうね。そうなったら全部クーイヌのせいだし、そのときクーイヌは騎士失格だよ?どうするの?」

「どうするって……。ど、どうしたら……」


 当然だけど、それは答えられない疑問だった。

 どうするのか聞いておきながら、あくまで表ざたにするかしないか、行動の選択権はフィーの方にあるのだから、クーイヌがどうこう言えるわけがない。

 実際はそれすら含めて錯覚なのだけど。

 本来、この状況をばらそうとするなら、それはクーイヌの側であり、フィーはそれを防ぎたい側なのだ。なのに、フィーがあまりに堂々と振舞い、クーイヌの弱みを抉るせいで、考える立場が逆転してしまっている。


 クーイヌは完全にパニック状態だった。


 覗き、変態、不名誉、騎士失格……。

 クーイヌになげかけられた精神的な重圧が、この場で裁定権をもっていると見せかけているフィーに、思わず縋るような視線を向けさせる。

 その目を見たとき、フィーは勝利を確信した。


「大丈夫、今回は特別にばらさないであげる」

「ほ、本当か……!?」


 本当はばらされたら困るのは自分のくせに、フィーは恩着せがましくそう言って、それにまんまと嬉しそうに食いついたクーイヌに笑顔で「うん」と答えた。


「代わりにクーイヌは僕に絶対服従だよ?」

「え……?」


 クーイヌはフィーの口から出た言葉に、いったい何を聞いたのかわからないように聞き返した。


「絶対服従」


 もう一度フィーは丁寧に、クーイヌに言い聞かせるようにいった。


「えっえ……?なんで……?」


 クーイヌがまた聞き返したのは、言葉そのものに疑問をもったというより、まるで信じられないことを聞いてしまったという反応だった。


「わかってないの?クーイヌがこれから見習い騎士として生活していけるかは、僕が握っているんだよ?僕がその気になったら、クーイヌの生活なんて―――」


 フィーはクーイヌの前で、食べていたクッキーをてのひらに乗せ掲げてみせる。


「―――こうだからね」


 そしてそれをクーイヌの未来を暗示するが如く、ぐしゃりと握りつぶした。


「だからクーイヌはもう僕の言う事に、逆らっちゃだめなんだよ?」


 そういって侍女たちに天使の笑顔と呼ばれていた少年―――中身は女の子だが―――は、クーイヌの前で悪魔の顔で微笑んだ。


  もともとフィーを相手にするには交渉力が決定的に不足し、さらに精神的にも追い詰められていたクーイヌは頷くしかなかった。


「はい……」



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