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 フィーは離宮の建物の中に入ると、部屋においてきたドレスを慌てて引き出し、それに着替えた。

 フィーが着替えてしばらくリネットの来訪はなく、2時間ほど経ったころにようやく離宮に誰かがはいってくる気配がした。


「フィーさま、いらっしゃいますか?リネットです」


 リネットの声が離宮の中に響く。


「リネット、来てくれたんだ。ひさしぶり」

 フィーは部屋から顔をだし、リネットを何食わぬ顔で迎えた。


「フィーさま!」


 フィーが顔を見せると、リネットは目をうるませて駆け寄ってきた。

 そしてフィーの姿を見て目を見開く。


「フィーさま……、髪が……」

「あー、うん。長いと面倒だから切っちゃった。あはは」


 早速、切った髪を指摘され、フィーはちょっとどきどきする。


(不審に思われてないよね……)


 フィーとしてもリネットにいつまでも秘密にしておくつもりではなかった。

 デーマンにいたころから仲良くしてくれていたリネットには、いつか話さなきゃとは思っている。


 でももうちょっと経ってからにしたかった。


 たぶんリネットは騎士になると聞いたら反対するだろう。危ないと言って。

 今はフィーも失敗ばかりで、立派に騎士になれるとは胸をはってはいえない状態だった。成長して自分に自信をもってからできれば話したい、そう思うのだ。そうすれば、リネットが反対してもきっと説得できるはずだった。


 それにリネットも、今は王妃になったフィールの侍女としてとてもいそがしいはずだった。

 余計な心配の種を増やさせるわけにはいかなかった。


 リネットは眉をひそめて、フィーのことをじーっと見た


(う……疑われてる……?)


 フィーの頬に汗がたらりと垂れる。

 リネットはフィーの顔をしばらく見ると、眉根にしわをつくってフィーの近況について聞いてきた。


「ここでの生活は不自由な思いをしたり、ひどい扱いをうけたりしてませんか……?」

「そんなことないよ。毎日す……、それなりに楽しくすごしてるよ!」


 フィーは握りこぶしを作って力説する。

 危うくすごく楽しく過ごしてるよ、と言いかけて、さすがに逆に怪しいかと思って、それなりにと言いなおしておいた。

 実際、フィーはオーストルでの生活に大満足していた。フィー王女としてではなく、見習い騎士としての生活に。

 必要としてくれる人と出会えたし、第18騎士隊の人はみんな大好きだ。友達ができて宿舎で過ごす生活はたのしい。訓練や新しいことをおぼえていくのも充実感があった。

フィーはこの国に来て良かったとさえ思っていた。


「本当ですか……?もし何か不満があるんだったらわたしがロイ陛下に抗議を―――」

「大丈夫!本当に大丈夫だから!」


 リネットが何かあったらロイ陛下に抗議すると言い出し、フィーは慌てた。

 そんなことされたら、せっかく手に入れた見習い騎士の生活がパーになってしまうかもしれない。

 それにリネットだってせっかくフィールの侍女をやってるのに、その恋人の国王の不興を買うなんてことになったらとんでもない。


「僕は大丈夫だから心配しないで!」

「ぼく?」


(うひぃっ!)


 ついつい癖でぼくといってしまったフィーは危うく飛び上がりそうになった。


「えへへ、わたしは大丈夫だよ」


 お願いだから不審に思わないでと思いながら言い直す。

 リネットはフィーのことをちょっといぶかしげに見たあと、フィーに近づいてその頬に触れ、その顔を覗き込む。


「ごはんは……ちゃんと食べてらっしゃるみたいですね」


 うん、見習い騎士の食堂で昨日もたっぷり食べました。


「顔色も……いいです」


 うん、訓練で倒れて以降は毎日健康です。


 リネットは顔からフィーの服装に視線を移し、眉をしかめた。


「ドレスの袖がしわになってますよ。慌てて着ちゃだめだって言ったじゃないですか」


 そういってリネットはフィーのドレスのしわを見つけ、手でそれを伸ばす。

 その仕草を見て、フィーはくすりと笑った。


「なんだか懐かしいね。デーマンにいるころもよく注意してもらってたっけ」


 その言葉にリネットが少し頬を膨らました。


「そんなこといわれると、わたしがずっとフィーさまに口うるさくしてたみたいじゃないですか」

「ごめんごめん」


 フィーはリネットがずっと自分のことを思って、そういう注意してくれてたのを知ってた。

 そして、それが口うるさく見られないか気にしていたことも。


「リネットには感謝してるよ。わたしに注意してくれる人ってなかなかいなかったから」


 最低限の面倒を見てくれる侍女たちだったが、本当に最低限のことはしてくれるけど、フィーに何かを教えてくれることは無かった。

 ドレスのきちんとした着方、テーブルマナー、よく考えると、ほとんどリネットから教えてもらったかもしれない。


「いつもありがとうね」


 あらためて笑顔でお礼を言うと、リネットの頬が真っ赤にそまった。


「そ……、そんな感謝していただくほどのことじゃないです。わ、わたしお茶入れますね。あんまり時間はないので」

「いそがしいなら無理しないでね」

「無理なんてしてません!」


 そういって照れ隠しか、そそくさと調理場のほうに走っていく。

 フィーはなんとかごまかせたことにほっと息をつくと、リネットのお茶はひさしぶりだなっと純粋に楽しみに思った。

 昔もフィールと一緒にいられるときや、彼女が時間が空いたときに淹れてくれてたりしたのだ。


 リネットは王室付きになれるだけあってさまざまな能力にすぐれてるけど、彼女の淹れるお茶はそのなかでも特別で本当に美味しいのだった。


 お茶を淹れてもらったら、ふたりでそれを飲んだ。


 彼女は向かいに座ることを固辞しようとしたが、さびしいからと座ってもらった。

 「侍女は本来こういうことは許されないのですよ」と言いながら、なんだかんだでリネットは向かい側に座ってくれる。

 久しぶりに飲んだリネットのお茶はやっぱりおいしかった。


「フィールは元気にしてる?」


 ついでに妹のことも聞いてみることにした。


「は、はい。フィーさまに会いたがってましたよ!」

「そっかぁ。でも、きっといそがしいから、なかなか会いにこれないだろうね」

「はい……」


 フィーの言葉にリネットは沈んだ顔をする。

 オーストルほどの大国の王妃となれば、たくさんの重要な仕事があると思う。

 きっと王妃になって一年くらいは、ほとんど自由な時間もとれないんじゃないかとフィーは思っていた。

 むしろフィールの一番近しい侍女であるリネットが、ここに来たことがフィーとしては驚きだった。


 それとフィールのことを聞いたとき、リネットの顔が少し曇ったのが気になった。


「なにかあった?何か困ったことがあれば話してみてよ。あんまり力にはなれないけど、話を聞くぐらいならできるよ?」


 その言葉にリネットは首をふる。


「いえ、こちらは大丈夫です。フィーさまのほうこそ、なにか困ったことがあったら言ってください」


 リネットはそういってフィーのことを心配してくれる。

 本当にいい子だと思う。リネットはデーマンにいたころから、こうやってフィーのことを何かと心配してくれていた。


 だからこそ、フィーはこの離宮での窮状を二人に伝えるつもりは最初からなかった。

 今は見習い騎士になり状況は改善されてるけど、たとえあのままだったとしても。

 

 フィールとこの国の王であるロイ陛下は恋仲なのであり、リネットはフィールのいちばん傍で仕える侍女なのだ。それがフィー個人のことで、わずかでも足をひっぱることになってしまうのは申し訳なかった。


 フィーも見習い騎士になって立場は改善されつつある。

 いつか立派な騎士になれると思えるようになり、リネットやフィールたちのほうも落ち着いたら、そのときに二人だけには話そうと思っていた。


 お茶の時間はおだやかに楽しく過ぎた。

 リネットはやっぱりいそがしいらしく、お茶が終わるとすぐに帰り支度をはじめる。


「本当はもっといたかったんですけど……」

「大丈夫だよ。わたしのことはいいから、フィールのことを助けてあげて」

「はい……」


 フィーの言葉にリネットはこくりと頷いた。


「また時間ができたら来ますね」


 その言葉にフィーの頬に汗が流れる。


(で、できれば、訪問はできるだけ控えて欲しいんだけどなぁ……)


 リネットのことが嫌いなわけではないし、気にかけてくれるのは嬉しい。

 でも現金な話、見習い騎士として生活してる今は、リネットの訪問は対処に困る。


「それならリネットがここに来れる日はその前のお昼に、ここから見えるお城のバルコニーにスカーフをかけておいてくれないかな」

「スカーフをですか?なぜ、そんな……」


 聞き返され、当然そんな疑問がでるよねぇってフィーも思った。


「リネットがここに来てくれるってだけで楽しみだし、もし前の日に分かったら、もっと楽しみな時間が増えるでしょ?」

「…………わかりました」


 ちょっと無理があるかと思ったが、リネットはフィーの言葉に沈黙したあと、ちゃんと頷いてくれた。


(良かったぁ。これでなんとか誤魔化せるよね)


 離宮に侵入できる技術を身につけた今は、来る日がわかればなんとかごまかせる。いそがしいみたいだから、来る頻度は高くないはず。

 今日みたい仮病でごまかせば、なんとかやり過ごせるはずだ。


「それではフィーさま、絶対にまた来ますから」

「うん、リネット。またね!」


 最後に名残惜しそうにこちらを見るリネットに、フィーは手を振った。やっぱりリネットは忙しかったらしく、フィーに別れの挨拶をすると早足で門の外へでていった。


 きっと今日の訪問も、無理してきてくれたのだろうとフィーは思った。

 フィーはリネットがそんな中で来てくれたことに感謝しながら、なんとか一回目の来訪をごまかせたことにほっと息をついた。




 離宮を出てから、リネットは早足でフィールさまのところに向かっていた。

 でも、その胸中で考えていることは、フィーさまのことだった。


(平気そうにふるまってらっしゃっていたけど、あのスカーフの約束……。やっぱりさびしい思いをしてらっしゃるんだわ……!)


 ご飯なんかはちゃんと食べてるみたいだけど、あの使用人すらいない飾り気もない煤けた離宮、ろくに掃除された様子もない部屋の中、やる気はないのに人だけは通さない守衛たち、フィーさまが冷遇されていることは間違いなかった。


 なのにこちらを心配させまいと、わざと元気そうにふるまってらっしゃる。


(せめて……、あいつらがフィーさまのもとに向かってくれれば、最低限のサポートぐらいはできるのに……)


 リネットはかりっと親指の爪を噛んで、フィーの世話に向かうことを、断固拒否している侍女たちのことを思い浮かべる。

 今日も仕事もないのに、フィーのもとへ向かうことだけは嫌がり、王宮の一室にこもって仕事をしてるふりをして時間をつぶしているはずだった。


(ううん……、あんなやつらにフィーさまを任せられない……。この国の侍女だって、何も知らないくせにフィーさまの悪口を言って……。わたしが傍にいたら、あんな思いさせないのに……。わたしは、本当は、フィーさまにおつかえしたいのに……)


 リネットは少し立ち止まって、スカートを俯いて自嘲する。


(でも、フィーさまにとっては、わたしも他の侍女と同じよね……。結局、フィーさまの側にはいられてないんだもん……)


 リネットは結局、今はフィールさまの側にいることを選んだ。


 リネットはこの国の王の顔を思い浮かべる。この国の王が、側妃であるフィーのことを冷遇している噂は。国中に広がっていた。そしてそれが当然のことだと思われている。


(この国の王には、フィールさまを保護していただいたことには感謝している……。でも、フィーさまの扱いについてはぜんぜん受けいれられるものじゃない)


 あの王は誤解しているのだ。フィーさまのことを。

 一度会ってくれればわかるはずなのに。それすらしようとしない。この国の人間たちも、誰も本当のフィーさまのことを知ろうとしてない。


 リネットはそう考えながら、自分の思考に首を振った。


(ううん、確かに納得できるものじゃないけど、でもわたしたちはフィールさまの件ですら、あの王に感謝しなきゃいけない立場にある。これ以上、何かを望むなんて頼りすぎだったのかもしれない。

 王には頼れない。

 わたしがなんとかするのよ。ぜったいにみんな偏見無しに本物のフィーさまを見たら、素晴らしい人だってわかってくれる。

 でも、いまは自由に動ける時間がない……。

 なんとか……、なんとか時間を見つけて、フィーさまの素晴らしさをこの国の人たちに知ってもらうのよ。そしたらあんな扱いされるわけがない)


 リネットはそう心の内に炎を燃やしながら、フィーのいる離宮から去っていった。


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