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それからフィーとコンラッドは、ルボエラの部屋にあった資料や手紙などから、奴隷の隠し場所や店同士のつながりなど手がかりになるような情報を集めていった。
「やっぱり二人いると楽ねぇ。でも、さすがにこのマヌケでも、顧客リストみたいなのは残してなかったか」
コンラッドが足を組んで、ぱらぱらと資料をめくりながら言う。
一番欲しい情報というのは、そういうのらしい。
売り手を取り締る方はさほど難しい話ではないが、問題は買い手なのだそうだ。
おおくの顧客は、この国でも古い権力をもった貴族たちなのだ。彼らの所領には国の兵士たちの捜査の手が届きにくい。住み込みの使用人など、奴隷たちを隠す名目も持っている。
「まあ、でも何人かはこれで終わりだけどね」
そういうと、コンラッドはルボエラの手紙の中にあった数枚を、微笑みながらひらひらさせてみせた。
「さあ、めぼしいものは手に入れたし、帰りましょう」
コンラッドが椅子から立ち上がる。フィーもあとに続いた。
二人で資料や手紙をもとの場所にもどし、コンラッドはベールのついた帽子をかぶりなおすと、何食わぬ顔で部屋をでていく。
見張りが二人の姿をじろっと見るが、コンラッドは振り返って見える口元だけで微笑んで見せる。
「ルボエラにとっても良かったと伝えておいて。でも彼、しばらくは入ってくるなですって」
くすりと笑って見せると、見張りたちの頬が朱にそまった。
それから来たときと同じく、優雅な動作で堂々と廊下をあるいていく。
フィーもそのうしろをついていった。
このとき、フィーは緊張感が抜けてしまっていた。
もうあとは店をでるだけと思ってたからだ。
気を抜いたフィーの肩が、配置の悪い花瓶に当たってしまう。
ぐらりと、首の長い花瓶がかたむくとフィーのほうに倒れてくる。
慌てて受け止めるが、口のほうから溢れた水がフィーの頭にぱしゃりとかかった。
「うわっ!」
おもわずそう叫んでしまい、あわててフィーは口を閉じた。
(しゃべれない設定なのに……!)
心臓がばくばくする。
「大丈夫ですか!?」
見張りの男たちがこっちに歩いてくる。フィーの叫びを不審におもった様子はない。
どうやらフィーの変装姿がしゃべれないという話は、見張りの男たちには伝わってなかったらしい。フィーはほっとした。
しかし……。
ぽたっ、ぽたっとフィーの髪からしたたおり落ちる水が、赤色にそまっていた。
染料の流れ落ちた部分から、フィーの本来の髪色が現れる。
「お前、なぜ髪を染めている……。ちょっと来てもらおうか」
そういって見張りたちは、フィーをルボエラの部屋に連行しようとする。
(まずい……!)
そう焦ったフィーは、こちらを掴もうとした見張りの腕を避けてしまった。
咄嗟に、他の人間にばれないうちに、見張りを倒そうと動いてしまう。
しかし、武器がなかった……。
潜入任務だということで、剣はおいてきたのだ。武器もない状態で、こんな大柄な男たちを倒すすべはフィーには無い。
(どうしたら……)
「こいつ!抵抗する気か!」
「あやしいぞこいつ!やっちまうか!」
腕を避けてしまったことで、抵抗の意志があると判断した見張りたちにも、フィーに本格的に襲い掛かってきた。
フィーは慌てて二人が振り下ろすナイフを避けた。
(どうしたらいいの……?!)
ひとつの油断で完全にピンチにおちいってしまった。フィーの心は焦って何も考えられない。しかも、失敗はコンラッドさんまで巻き込んでしまっている。
状況を打開するすべが思いつかない。それどころか、このままでいると、ほかの人間までやってきて完全に終わってしまう。
そんなとき、さっきまで気配のなかったコンラッドがさっと優雅な動作で、フィーと見張りたちの間に入り込んできた。
緊迫した空間に似つかわしくない、どこの王族かと思わせる動きに、フィーも見張りの男たちの視線も、一瞬縫いとめられてしまう。
いつのまにかベールのついた帽子を外していたコンラッドは、見張りの男たちの顔を見上げると、天女をおもわせるような笑顔でふたりに微笑みかけた
ふたりの視線が、そのうつくしい笑顔にすいこまれていく。
その瞬間、二人の死角から延びてきたコンラッドの腕が、その首を握り絞め、その体を上へと持ち上げた。コンラッドを上回る体格を持つはずの男たちが、その細腕に宙へと吊り上げられ、足が床から浮く。
ゴキッメキッ、と鈍い音があたりに響いた。
二人の見張りの男たちは泡を吹き、意識を完全になくしていた。
フィーはあまりに一瞬の出来事に、呆然としてつぶやく。
「コンラッドさん……」
振り向いたコンラッドは、いつものどおりのやさしげな笑顔だった。
「いい勉強になったわね、ヒースちゃん。潜入任務では一瞬の油断が命とりよ」
「すいません、ぼく……」
「だいじょうぶ。想定通りいかないことはいつだってあるわ。そういうときにはフォローが肝心なの。
今回はわたしがしっかりやってあげるから、ヒースちゃんはそこで大人しく待ってなさい」
そういうと、コンラッドは優雅な動作で廊下を降りていく。
そこに物音を不審におもった店の人間がやってきた。
「メーヌエさま、さっきの音は……?」
「うふふっ、わたしの執事が花びんの水をこぼしちゃって」
コンラッドが店の人間とおだやかに会話する音と、ミシッメキッなど鈍い音が交互にフィーの耳に響いてくる。
そして数分後。
「おわったわよ~」
優雅な動作のままコンラッドがフィーのもとに戻ってきた。その顔にはあせひとつかいてない。
「とりあえず、だいたいは全滅させたから帰りましょ」
「あの……ほんとにすいません……」
前回の任務に続いて大失敗だ。
フィーはへこんでしまう。
「別に問題ないわよ。もう少しだけ泳がせてみようかと思ってたけど、近々通報するつもりだったから仕事に支障はないわ。そんなことより―――」
コンラッドはフィーに近づくと、その頬をなでた。
そこは動揺してわずかに相手のナイフを避けそこない、小さな切り傷ができていた。
「顔には気をつけないとだめよ。女の子なんだから」
「あ、はい……」
そう一瞬頷いて、言われた言葉を頭で読み返し、フィーは慌てて首をふった。
「いえっ、ちがいます!ぼくは男です!」
そんなフィーの反応にコンラッドは、いたずらっぽくくすりと笑う。
「わたしは変装の専門家よ。そんないい加減な男装で騙せてると思ったの?まあ、ほかの朴念仁たちは気づいてないみたいだけど」
どうやらずっと前からばれてたらしい。フィーはその答えに心底驚く。
それと同時に他のメンバーにはどうやら気付いてないことに安心した。
「あの……、できたら秘密にしてくれませんか……」
「いいわよ。そっちのほうが面白そうだし」
コンラッドはあっさりと了承してくれた。でも、面白そうだからって……、フィーが別の意味で不安になる答えだった。
コンラッドと一緒に店の外に向かう。
店の人間たちは全員、コンラッドの手によって気絶させられていた。
(これだけの人数を武器もなしに……!?)
信じられない光景に、フィーの背中に汗が流れ落ちる。
最後に店をでると、出口のところに見張りがいた。店の中の出来事にはまったく気づいた様子は無く、来たときと同じく店の外を見張りながら立っていた。
「これは、メーヌエさま―――」
見張りがこっちに振り向いた瞬間、コンラッドの腕がその首にのびて、一瞬でその意識を刈り取った。
そしてそのまま男をひきずりちょっとだけ歩くと、ぽいっと路地裏に投げ捨てる。
「さて、最寄の騎士隊に伝えて、こいつらを全員捕まえてもらいましょうか」
手をパンパンと叩くと、コンラッドは笑顔でフィーにそういった。
「はい……」
フィーはその笑顔に冷や汗をたらしながら頷いた。
フィーはこの日、みっつのことを知った。
ひとつはコンラッドさんが、とてもおそるべき人であるということ。
ふたつめは、本当はいそがしい人であること。
味方の騎士隊への通報を終え、一緒に王城に帰るときに知った。
コンラッドは普段は変装していろんな場所に潜入して、犯罪組織の情報を掴むために動き回ってるらしい。
だから騎士隊の中でも、あの集会所にいられる時間は少ない方らしかった。フィーがくるときはわざわざスケジュールを調整して、あの集会所にきてたらしい。
そこまでがんばっていた理由は、フィーを見るのが楽しいからだそうだ……。
そしてみっつめは……。
「今日はどうだった?」
「いろいろびっくりしたり、緊張したりして疲れました。あと失敗もしましたし……」
「ふふっ、そう。でも失敗は本当に気にしなくていいわ。まず潜入任務の空気を感じてほしくて連れてきたんだから」
「はい」
王城へ帰る中、フィーたちはもの凄く注目を受けていた。
それはそうだ。絶世の美女がこんな道端をあるいてるのだから。
フィーはすでに着替えを終え、見習い騎士の少年の格好にもどっていた。なのにコンラッドは女装を解かず、そのままの格好で歩いている。
ベールも外した妖艶な美女の姿に、都の男たちの視線は釘付けだった。
そしてそんな視線を受けるコンラッドの顔は、どことなくいつもより二割り増しぐらい楽しそうだった。
その姿に、フィーは確信した。
(この人ぜったい任務とか関係なく女装好きだ……)
と。
それがコンラッドについて、フィーがようやく知れた日のできごとだった。
潜入任務とはなんだったのか……。
次回潜入任務書くときがあればもうちょっとよくしたいです、反省……。




