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番外編 コンラッドのお話 完結

 領主を暗殺するために屋敷へと潜入している、今はリャヌーシカという名前で呼ばれる青年。

 彼は街に買い物に出かけるといって、領主の屋敷を出てきた。


 街に出て数分、尾行がないことを確認すると、するすると路地裏に入っていく。路地裏には貧民たちが暮らしていた。

 領主の悪政で住処を追われた者たちだ。でも、青年が領主の暗殺に成功したとしても、彼らの生活が変わることはないだろう。また新たな領主によって、次の悪政が敷かれるだけ。青年はそれをなんとも思わなかった。そもそも義心で殺すのではないのだから。


 貧民たちのほとんどは無気力に俯いて地面を見つめている。横を通っても、誰が通ったのかなど覚えていないだろう。

 しかし、ごくたまにギラギラと目で、周囲を観察している者もいる。まだ生きる気力を失っておらず、金になるチャンスを探している人間。そういう人間がいるのを、事前に察知できる青年は、気づかれる前に道を変えて進んでいった。


 そして辿り着いたのは、サーカスという看板は名ばかりの、見窄らしい見せ物小屋だった。

 ここが彼の『家』だ。


 この家に住むのは、青年の『父』とその『子供たち』

 『子供たち』はみんな孤児だ。どこかしら『変わった部分』を持ち、親に捨てられ、そして『父』に拾われ育てられた。ただし、普通の子供ではなく、暗殺者としてだ。『父』はそんな暗殺者たちを率いて、金を稼いでいる男だった。


「ただいま」


 この場所に、愛郷心などを感じているわけではない。

 それでも習慣で青年はそれを口にした。


「お帰り、フィリヤァカ」


 フィリヤァカというのは、青年が最初の仕事のときにつけられた偽名だった。彼にとっては、たくさんある偽名の一つにすぎない。でも、『家族たち』はそれを彼の名前として扱ってるようだった。

 暗殺者として子供の時から人殺しとして育てられた子供たち。その境遇に対する反応はまちまちだった。


「仕事はうまくいきそう?」

「ええ、今回もすぐに終わりそうだわ」

「君は優秀だからな。父さんも君のことを一番に信頼している。羨ましいよ」


 彼は何も疑問を抱かず、この生活に馴染む者。

 目の前の少年にしか見えない男は、青年よりも歳上だった。この暗殺者集団の古株で、何十年以上前から見た目が変わっていない。


「フィリヤァカ! 帰ってきたんだね!」

「ジョン……」


 青年の前に、彼より少し若いぐらいの年頃の少年が現れる。

 彼はキラキラと目を輝かせて、青年に言った。


「僕にも何か手伝えることはないかい? 絶対に失敗しないよ」


 少年は『父』の愛を信じる者だった。

 このサーカスのメンバーの中でも、たぶん一番に化け物じみた力を持っている。青年や他のメンバーのような特異な体質というレベルではない。もはや魔法や奇跡、もしくは呪いとしか思えないような力だ。


 けれど、誰もその少年と仕事を組みたがらなかった。

 暗殺者には向かない自己顕示欲の強い性格、多動的で注意力にも欠けている。その性格から、どんな仕事を任されても、必ずミスを犯してきた。一部のメンバーからは『役立たずの死体袋』と呼ばれ、侮蔑すら受けていた。


「大丈夫よ、今回の仕事は一人でできるから」

「そっか……残念だな……。今度こそ、仕事を成功させて、父さんに認められたかったのに……」


 少年は比較的に優しく接する青年には懐いていた。

 青年からすると、わざわざ邪険にする理由がないだけで、仲良くしたいわけではないのだが……


 仕事の手伝いについては、ちゃんと断らせてもらう。


「フィリヤァカ、油断しすぎではないか。もっと暗殺者だという、自覚を持て。我々はプロなのだ」


 人を殺す罪悪感を誤魔化すように、仕事へのプロ意識にのめり込む者もいる。

 モグラのような目をした大柄な青年。


「心配ないわ。いつも通り、人を殺すだけの簡単な仕事よ」

「領主という常に注目を浴びる男を暗殺する仕事だぞ。不測の事態は常に起きる。お前は確かに天才だ。しかし、そんな姿勢では、いつか大きなミスを犯すぞ」

「そうね、ありがとう。気をつけるわ」


 忠告を涼しい顔で流され、目の前の相手はため息を吐いたが、それ以上何かを言うことはなかった。

 それから同じようなやりとりを家族と繰り返し、青年はテントの中で仕切りで作られた部屋の前に立つ。


 そこを開くと、車椅子の老人がいた。

 老人は青年を見ると、目を輝かせた。


「おお、帰ってきたか、我が愛しき息子よ」


 老人の青年を見つめる瞳には、確かに愛情が宿っていた。彼こそ、このサーカスの『父』。しかし、その愛情は平等ではなかった。

 優秀な子供には愛を向け、役立たずには無関心か敵意を向ける。


 青年はこの『父』から一番の愛を受ける者だった。それを当人が喜んでいるかは、別の話だったが。

 青年は手早く、経過の報告だけを済ませて部屋を出た。


***


 そして暗殺の日、当日がやってきた。


「リャヌーシカ、ついにこの日がきたな」


 領主は不気味な笑みで、青年のことを見つめる。


「人払はしてくださいました?」

「ああ、お前の望み通りにしておいたぞ」

「良かったわ。私、声が大きくて恥ずかしいので……」

「ふっふっふ、安心しろ。私はそういう女も嫌いではない。今夜はお前とずっと二人っきりだ」


 実際に、外の気配を探っても、見張りがいる気配はしなかった。

 この領主は自分の言う通りにしたのだろう。護衛の兵士も、使用人たちも、この部屋に近づいてくることはない。


 また全てが予想通りに運んだ。

 人を殺すなんて簡単なことだった。家族たちが悩むんだり、慎重になったりする理由がわからない。


「それじゃあ、先にベッドで待っててください。すぐに向かいますわ」

「お、おお……」


 鼻の下を伸ばした領主は、青年に背中をそっと押され、ベッドに座り込む。この瞬間にも、命を奪うことはできた。でも、寝ている体勢の方が確実に殺しやすい。

ベッドの近くの壁には飾り用の剣が掛けられていた。しかし、領主の手が届く位置ではないので問題は起きないだろう。


 青年は水差しを取り、大きめの布を湿らす。


「それは……?」


 間抜けに首を傾げる領主に、青年は妖艶に微笑んだ。


「領主様には今までしたことのない、特別な体験をしていただきますわ」


 濡れた布を持って、そっと隣に座る。領主が青年を警戒することはなかった。


「ふふふ、どんなことをしてくれるんだ……むぐっ……うっ……!?」

(ほら、今回も簡単だった……)


 素早く動いた青年の腕が領主の口を塞ぐ。

 「何をする!」―――手のひらの下で、相手の口がそう動いた気がする。

 けど、それが声になってでることはなかった。


 濡れた布と、何より青年の腕の力が領主の呼吸を完全に奪う。

 領主の顔は赤く、やがて赤黒く染まっていく。


 領主の手が、必死に青年の手を引き剥がそうともがく。しかし、女性と勘違いされるほど細い青年の腕は、びくともしなかった。


 これが青年の能力だった。

 細い体に見合わない、異常な膂力。でも、それだけあれば、相手を殺すには十分だった。


 サーカスには彼より強い筋力を持つ子供もいた。変わった特徴を持って生まれてきた子供たちの中でも、異常な筋力は珍しくない特性だった。

けれど、青年ほどうまく人を殺せた者はいない。


 どんな場所でもどんな人物の側にもあっさりと入り込み、人を殺すのに必要十分な筋力で、武器も持たずに殺す。

 その才能を『父』は「王をも殺すことができる」と褒め称えた。


 今回も、何事もなく、仕事は終わるはずだった。


「やめて、リャヌーシカ! 父様を殺さないで!」


 その腕に、小さな子供が飛びついて来なければ……


「セシール様……」


 青年の目が見開く。その唇が、その子供の名前を呟いた。

 恐らく、ベッドの下に隠れていたのだろう。


 気づかなかった……。油断はしてないはずだった。ずっと敵になる者の気配は探っていた。今は部屋を離れているはずの兵士の気配から、もしかしたら部屋に隠れているかもしれない護衛の気配まで……

 けど、子供が部屋の中に隠れていたなんて……しかも、自分を出し抜くほどうまく息を潜めていたなんて……予想できていなかった。


「お願い! リャヌーシカ!」

「セシール様……なんで……」


 セシールは顔を伏せて、悲しそうな表情で言った。


「ごめんなさい……ときどき、リャヌーシカが怖い目で父様のことを見てるのに気づいてたんだ……。最近、その目がどんどん怖くなっていって……。確かに父様は悪い人だけど……みんなから嫌われてるけど……でも……お願い……父様のことをどうか許してあげて……」


 いつだって仕事は青年の思う通りに運んだ。不測の事態があっても、あっさりと対処できた。

 感情を読み取られないことには自信があった。誰にも本当の感情を見せたことはないと思っていた。


 それは青年がはじめて出会った自分の予想を超えた事態だった。


「かはっ……はあ……はあ……」


 領主を抑えていた腕は、いつの間にか外れていた。

 呼吸を取り戻した領主の顔は、次の瞬間、激昂で再び真っ赤に染まる。


「き、貴様ぁ、よくも! 殺してくれる!」


 飾り用の剣を手に取り、それを抜き放つと飛びかかってくる。

 セシールに抱きつかれていた青年は、まだ呆然としたまま、動きを取り戻せていなかった。


 動いたのはセシールだけだった。


「待って! やめて! 父様!」


 セシールは青年を庇うように腕を広げた。

 もともと、領主の剣は青年には届いてなかった。ろくに訓練もせず、不摂生を続けていた領主は、つんのめるように剣に振り回され、それは青年を庇うように立ったセシールの体だけを切り裂いた。

 肩口から袈裟に切るように心臓に至るまで……


 誰が見ても、それは致命傷だった。


 領主は地面にうつ伏せに倒れると激昂から一転、今度は怖気付き、四つん這いでもがくように青年から逃げようとし始めた。


「だ、誰か! 殺される! 助けてくれ!」


 自分が斬りつけた息子を一瞥することもなく。


 力を失った体はベッドの中に倒れこむ。その体を青年の腕が支えた。


「ごめんね、リャヌーシカ、僕のせいでこんなことになっちゃって……逃げて……お願い……」


 口から溢れる血で掠れた声で、セシールは申し訳なさそうにそう呟いた。


「あ……でもその前に渡したいものがあるんだ……」


 弱々しく動く手が上着のポケットを探る。

 セシールが取り出したのは、お茶の葉が入った包みだった。


「なんで……」


 青年は自分がその質問で何を聞きたかったのかわからなかった。

 そんな青年にセシールは微笑む。


「だってリャヌーシカ、お茶を淹れるの好きでしょ……?」

「いや、私は……」


 お茶を淹れる技術を身に付けたのは、こういった屋敷に侵入するため。

 今回は、少年に気に入られ領主に近づくためだった。


「ううん、リャヌーシカ、お茶を淹れるときいつも楽しそうな顔してたよ……。普段は辛そうな顔してるのに、その時だけ、すごく幸せそうだった……」


 その言葉で、青年はようやく気づいた。

 セシールのことを一方的に観察し、理解していたつもりだった。


 けれど、セシールの方もまた自分のことを見ていたのだ。

 見てくれていた……


 セシールはお茶の包みを震える手で青年に渡そうとして、あっと気づいてその手を止めた。

 包み紙は彼の血で真っ赤に染まっていた。


 それを悲しそうな瞳で見て呟く。


「ごめんね、汚しちゃったみたい……これじゃ、プレゼントできないね……」


 そこでセシールの言葉は途切れた。

 包み紙を持った手は、力なくベッドに落ち、2度と動くことはなかった。


 青年の手が優しく、その手から包み紙を受け取る。

 それから、優しくその体をベッドに横たえると、立ち上がった。


「ひっ、誰か助けてくれ! そうだ! お前! 金をやろう! いくらで雇われた! 私を見逃してくれるなら、その倍、いや十倍は出そう!」


 腰を抜かしていた領主は、まだ部屋をでてすらいなかった。

 無言で領主へと歩み寄った青年は、セシールから受け取ったお茶っぱを持つ手とは逆の手を振り上げると、その顔面へと拳を振り下ろした。


 次の日、領主とその息子の遺体が、屋敷の使用人によって発見された。

 領主は凄惨な殺され方をされており、血が部屋中に飛び散っていたという。猟奇的な殺され方は怨恨だと考えられ、次代の領主の統治にも随分と影響を与えた。


 反対に息子の遺体は、彼の部屋のベッドに綺麗に安置され、まるで眠ってるような姿だったという。彼のお気に入りだったテーブルには、誰も飲むことのなかったお茶が一杯、冷たくなったまま置かれていた。


 その夜以来、リャヌーシカ、フィリヤァカ、さまざまな名前で呼ばれていた青年が、『家族』のもとに戻ってくることはなかった。


***


「コンラッドさん、このお茶菓子、すごく美味しいです!」


 第18騎士隊の詰所、いつも通りお茶菓子をねだりにきたヒースに、コンラッドはお茶を淹れてやっていた。


「お茶菓子はいいけど、お茶の方はどうなの? 新しい茶葉を取り寄せたんだけど」

「コンラッドさんの淹れてくれるお茶はいつでも美味しいですよ」


 そういって、ヒースは上機嫌にお茶菓子とお茶を交互に口をつける。


「まったくこの子は参考にならないのよねえ」


 コンラッドはため息をつきながらも、美味しそうにお茶を飲むヒースの顔を見ると、微笑んでおかわりの準備をはじめた。

作品を書こうとするたび、サボってきたこの6年間の重みがのしかかってきてミシミシいって心が折れそうです。

アンケートとかして読者さんの意見求める癖に、全然何も手をつけられなくてごめんなさい。

誤字報告ありがとうございます。とても助かってます。

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― 新着の感想 ―
[一言] ここはひとつ、筆者様の王道と考える結末で良いのでは無いですか? 結末が無いので落ち着きません。 焦らずのんびりで良いので、結末までよろしくお願いします。 面白い作品が勿体ないです。 どうか…
[一言] 待ってた!
[一言] 更新多謝!!!!
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