193
森に鮮血が飛び散る。
振り下ろされた剣はクーイヌの肉体を切り裂いた。
しかし、致命傷ではなかった。
(ちっ……)
ゲリュスは心の中で舌打ちする。
その首筋からは、つーっとわずかな血が滴っていた。
唯一敵を倒しフリーになっていたフィーが咄嗟に投げた短刀がその首をわずかにかすっていった。
そしてゲリュスの剣はクーイヌの腕をざっくりと切っていた。
ゲリュスがもう少し踏み込めばクーイヌは死んでいた。
しかし、そのときは短刀がゲリュスの首筋を切り裂き殺していただろう。
(厄介な動きをする奴がもう1人いるな。まるであいつらみてぇな動きをしやがる)
ゲリュスは作戦協力のときに無理やり組まされた不気味な連中のことを思い出していた。
状況は相変わらず緊迫していた。
そしてフィーたちは圧倒的に不利だった。
クーイヌは死ななかったものの斬られた右腕がだらりとしてまったく動かない。ゲリュス相手に戦うのはもう無理だと傍目でも分かった。
真っ青な顔で腕を押さえながら、悔しそうにゲリュスからこの隙に距離を取る。それでも健気に何か隙はないか窺っていた。
他のみんなも必死に相手をおさえている状況だ。
自由に動けるのはフィーだけ。しかし、さっきは敵がクーイヌに集中していたからナイフが効いたけど、さすがに警戒されている状況では、払い落とされるだろう。
もう勝つのは厳しい。逃げるしかない。
でも正直に言えば逃げるのすら厳しい。なんとか気をそらさないと、誰も逃げられる状況ではない。
(もう、これを使うしかない)
こちらを警戒しながらクーイヌに剣を向けるゲリュスにフィーは腕を向けた。
「ん? なんだ?」
動きの意味が分からずゲリュスは首をかしげる。
フィーの体から何かガチャンと音がした。
次の瞬間、ドンッと森に大きな音が響き、何かがものすごい勢いでゲリュスへと飛んでいく。
「ぐはっ!」
それはゲリュスの腹にぶち当たり、茂みの向こうに吹き飛ばしていった。
そしてそれを放ったフィーも、何かを発射した反動でごろごろと逆側の茂みに転がっていく。
「ゲ、ゲリュスさま!」
「ヒース!?」
何が起こったかわからず混乱する兵士と見習い騎士たち。
そんな中、フィーが飛んでいった茂みから声がした。
「今のうちだよ! 逃げよう! クーイヌも連れてきて!」
「お、おう!」
はっと気づいた見習い騎士たちは、ゲリュスに注意がいった兵士と距離を取り、逃げ出す。
「く、くそっ!」
ゲリュスの応答がないせいで兵士は、ゲリュスの飛んでいった方向と、見習い騎士たちが逃げていく方向を迷うように見たあと、結局ゲリュス方へと走っていった。
森の中に戻った少年たちはフィーと合流する。
少年たちはフィーの姿に驚いた。
「よし、みんな揃ったね。逃げよう……」
そうみんなにいうフィーの左腕はぷらーんと垂れ下がっていた。肩を脱臼している。
「ヒ、ヒースその肩!」
レーミエが心配そうにいう。
「大丈夫。ちょっと外れただけだから。あれをつかったらそうなるってわかってたし」
相当痛いはずで、フィーは平気そうにしゃべってみせるが、その額には脂汗が浮かんでいた。
「あれって、あの何か飛ばした奴か?」
「うん、仕込み木剣の強化版みたいなのをガルージさんと作ってたんだけど、威力の調整をミスしちゃって、撃ったあとは絶対に脱臼しちゃうから使うの控えてたんだ……」
当たり所が悪くない限りは相手を殺すほどの威力はないので、たぶんまだゲリュスは生きている。
これを使えばもしかしたら、もっと上手く相手を倒す方法があったかもしれない。
でもこの状況でひどく脱臼し戦えなくなるのは避けたかったので、最後まで使う決心がつかなかった。
「さすがにこのまま逃げるのはきついから、ちょっと戻すの手伝って……」
「う、うん」
「おう」
レーミエとスラッドがその体を掴んで、丁寧に肩を戻す。
「うっ……んっ……ありがとう……」
少し痛むけど手は動く、まだ走れそうだった。
肩を直すと、フィーはクーイヌに目を向けた。
「クーイヌは大丈夫……?」
クーイヌの傷は二の腕から手首の近くまで深く傷ついていた。右腕がまったく動かせていない。
ちゃんと治っても以前と同じく腕を動かせるのだろうか……。
もし、この傷が輝かしいクーイヌの将来をもし奪ってしまったら、そんな不安がフィーの胸を突いた。
判断ミスをしてしまったのだろうか、そう思うと泣きたくなるけど我慢して、クーイヌの肩を止血した。
クーイヌは失血した青い表情でフィーに言う。
「大丈夫です。それよりすみません……俺のせいで……」
「ううん、クーイヌのせいじゃないよ。まだつかまったわけじゃない。みんなで逃げよう?」
もう何も作戦はないけど、さらに二人が腕に怪我を負い戦うのが難しくなったけど、それでもまだ諦めたくなかった。
相手の包囲をなんとか抜け出し、逃げればまだ希望がある……。
それはほとんど掴みがたい希望だけど。
「いこう」
クーイヌの腕の止血が終わり、少年たちは動き出した。
さっきの兵士との攻防で、誰もが大小の切り傷やけがを負っている……。それでも、少しでも生き残れる可能性に賭けて……。
一方、フィーたちが逃げ出した敵の本陣では、茂みに突っ込んだゲリュスが兵士たちに助け起こされていた。
その腹には皮の鎧をめくると大きな青い痣ができていた。
ゲリュスはふらふらしながらも、少年たちが逃げていった方向を見て憎々しげに呟く。
「あいつら、エリートのガキ以外は生かして奴隷にしてやろうと思っていたが、全員みなごろしだ。ここにつれて来い、俺が殺してやる!」
***
カインとネーナは組んでジョンと戦っている。
しかし、正直言ってしまうと、邪魔だった。
カインは相手の動きを封じるために動いている。なのにネーナは相手を殺すためにうごく。
二人の動きがばらばらなので、うまく力を発揮できない。
さらに相手は男で力も強い。ネーナが捕まれば危険だ。
だからカインはフォローしながら戦わなければならなかった。
「ネーナ、時間がない。死なないのならば、まず動きを止めることを考えよう!」
ネーナの技術なら、それができるはずだった。
だが、カインの提案にネーナは首すら振らずにそれを否定する。
「カイン、不死身の人間なんているはずがないわ。それに暗部の敵と遭遇したら殺すのは、私たちの役目よ。今、一番に優先すべきことはそれよ」
ネーナのいうことは正しかった。
この場で草として優先すべきことは、この男を倒すこと。
暗殺者の口を割らすのは難しい。だから最終的には殺して、相手の戦力を奪うことが基本になる。
しかし、それでは、異常な生命力を持つこの男相手に、フィーたちの助けにいけない……。
そんなカインの悩みを察することなく、ネーナはまた相手の懐に武器を構えながら飛び込んでいった。
カインはそれをフォローするために動くしかない。
***
ボロボロの体で、少年たちは森を駆ける。
全員が全員を庇うように走っていた。
わずかでも生き延びる道を探すために。
そんな彼らに声が響く。
「見つけたぞ!」
鎧を着けた兵士たちの姿が映った。
もう、少年たちに戦う術はない……。
全力で逃げる。
力を振り絞るけど、体力は限界で、クーイヌがよろけたのをフィーが支えた。
でも、そのせいでその場で動けなくなる。
兵士はぐんぐんと迫ってくる。
動けないクーイヌとフィーのために全員が立ち止まって剣を構えた。
仲間のために。
みんなのために。
絶望的な状況でも弱音ひとつはかずに、仲間を庇う。
しかし、敵のほうが体力も残っていて、数も多い。
もう、少年たちの逃亡劇も終わりだった。
兵士たちが剣を振りかぶり、フィーたちに襲い掛かる。
(もう、終わりなのかな……ごめんね……みんな……)
フィーも心の中でそう呟きながら、わずかでもみんなの力になるために片手で剣を握った。
小さな背中の少年たちと、大きな大人の兵士たちが剣を交わそうとしたとき。
横から、1人の男がその間に割って入った。
男は一人目の兵士の兜を後ろ回し蹴りで蹴り飛ばしすと、そのまま露出した顔を剣で斬りつける。
続いて、驚いた別の兵士に接近し、そのまま首の隙間に剣を入れて、さっと動脈を刈る。
一瞬にして、二人の兵士がやられた。
「なっ、何者だ!?」
動揺する兵士たちに距離を詰めると、鎧を脱いでいた腕や足を切りつけ、瞬時に無力化していく。フィーたちに襲い掛かった兵士たちは全滅した。
フィーたちはその男の背中を呆然と見つめた。
後ろ姿のまま、男は少年たちに優しく声をかける。
「遅くなってすまない。道が混んでてね」
その金色の髪が、夕暮れの光を反射する。
「ク……」
フィーはその名前を呟きかけた。
男が振り返る。
「やあ、助けにきたよ!!!」
整髪料と汗でべっとりの顔で、とても見覚えのある男。
フレンドリーに手をあげてフィーたちに微笑んだ。
「カ、カーネギスさん……」
フィーたちのテンションが一気に下がったのは言うまでもない。
カーネギスさんについてお忘れになってしまった方は東北対抗剣技試合の【88】をご覧ください。
再登場に時間がかかってしまい申し訳ありません(誰も望んでない)。




