189 生き延びるための戦い
村を脱出した見習い騎士たちは、森の中を走る。
たまに後ろを振り返り、敵の姿ないことを確認してはほっとする。
「敵には見つかってないみたいだね。森を迂回して敵をさけたあとは、道沿いに移動して兵士の人がいる駐在所を目指そう」
道沿いに移動するのは敵から追跡されるリスクがある。
それでもフィーがそれを選んだのは、自分たちがこの周辺の地理に詳しくないことにある。
道から離れすぎれば、フィーたちはこの辺りでの土地勘を完全に失う。
その分、追跡も避けられるかもしれないが、ここは人の少ない山あいの地帯。
知らないで山の奥に行けば、難所に行き当たったり、遭難や高所からの転落、そんなリスクがでてくる。敵に進路を特定されれば、崖際に追い詰められることもあり得る。
しかも敵の全容がフィーたちには分からないのだ。
もしかしたら、あれ以外にも部隊があって、ここらへんをうろついてるかもしれない。この森のどこかに相手の拠点があるかもしれない。
そうなったら敵の裏をかくため逆側に進んだつもりが、追い込まれることになる。
そういうことを考えると、引き離せたアドバンテージを生かして、確実な道沿いを移動して、何より早く駐在所まで移動する。
これがベストに思えた。
「ちょっとまってくれ!」
しかし、それに待ったをかけたのはコニャックだった。
「なんだよ、コニャック」
「道沿いはまずい……」
コニャックは冷や汗をたらしながら言った。まだ顔色が悪い。蹴られたお腹が痛むのかもしれない。
「どういうことだ……?」
コニャックの言葉にみんなが問い返す。見習い騎士たちも、それぞれの考えで道沿いがベストだと思ってた。
そんな見習い騎士たちに、コニャックは伝える。
「あいつら馬をもってるかもしれない」
「えっ……?」
それを聞いたフィーは、思わず呆然とした声をだした。
「捕まってるとき村の男たちが、村の外へ飼料を運んでるのが見えた。たぶん、森の中のどこかに馬を隠してるんだと思う」
「ほ、本当かよ……? 何か勘違いしたんじゃないのか?」
少年たちの声は未だ疑わしそうだった。
「そいつが言うなら間違いないと思う」
しかし、その言葉を信用できると言ったのはハイラルだった。
「俺たちは狩猟で生計を立ててる村で育ってきた。その村では馬もたくさん飼っていた。俺もコニャックも子供のころはよく馬の世話をしていた。だからそういうのには詳しい」
「じゃあ、まじで馬があるってことか……」
馬があると機動力が違う。
相手は馬の足を使えるのに対して、こっちは人間の足だ。いくらがんばって走っても限界がある。駐留所までは遠い。少しは休憩だっている。そうなると追いつかれるリスクだけじゃなく、回り込んで待ち伏せされるリスクまででてくるようになった。
「馬……まずい……」
そんな少年たちの会話に、口元を押さえて真っ青な顔になったのはフィーだった。
その表情は強張っている。
「いったいどうしたんだよ……そんな顔して……」
「確かに敵に馬まであるのはやべぇけど、道沿いや視界の良い場所をうまく避けて警戒すれば大丈夫だろ」
「そうだよ。逃げるためのルートが少し厳しくなるだけだよ」
フィーが何を考えているのか分からない少年たちは首をかしげる。不利になったのは確かだが、もともと障害の多い逃亡だったのだ。今まで的確な指揮をしてくれていた相手が、ここまで動揺することとは思えなかった。
「先に助けを呼びにいってもらった東の宿舎の二人には、道沿いに移動してもらってる……」
「あっ……」
その言葉でようやく少年たちは思い当たった。
最初に別れた二人の少年のことを。
彼ら二人は道沿いに移動して、駐在所へ助けを呼びに言ってもらってる。
そして現状、その二人と連絡を取る手段はない。敵が馬にのってやってくる事実を知らせる術もない。
つまり……。
「馬を放置してたら、あの二人が強襲されて、最悪殺される可能性がある……」
「…………」
少年たちがシーンとなった。
ようやく逃げられると思ったのに、あらたに仲間の危機が浮かび上がった。
「ごめん……僕のミスだ……」
フィーは謝罪する。
「いや、そんなわけねぇよ!」
「そうだよ。馬まであるなんて誰も予想がつかねぇっての!」
少年たちはフォローしてくれるが、たとえ判断そのものが間違っていなくても、実際にフィーの指示のせいでこうなったのは事実だ。
フィーはあのときあの指示がベストだと思った。
けど、今になって考えると、あの何もかもが不明な状況で安易に部隊を分けるべきじゃなかったのかもしれない……。
しかし、それはもう自問しても仕方ないことだった。
「コニャック、馬がだいたい何頭か分かる?」
「あの飼料が一食分の量だと考えるとたぶん20頭ぐらい……っておい、何考えてるんだ?」
コニャックはいやな予感がして、フィーの質問の意図を尋ね返した。
フィーは答える。
「僕は残って馬を止める」
「止めるって……」
それはせっかく敵の補足から逃れられたこの状況で、わざわざ敵の下に行くことを示していた。
当然、今まで得た逃亡のためのアドバンテージは露と消えてなくなる。
それでもフィーは残らざるを得なかった。
フィーに提示された選択肢はふたつ。東の宿舎の二人を見捨て自分たちの安全を確保するか、二人を助けるためにその身を危険に晒すか。
フィーの指示でこうなった以上、見捨てる選択肢など選べるはずもなかった。
いや、それも欺瞞かもしれない。
フィーは顔をあげて、見習い騎士の顔を見ながら言う。
「でも、ごめん……ひとりじゃ無理なんだ……。馬を止めるのに協力してくれる人員が欲しい」
フィーは全員で助かりたかった。そのためには、リスクを負ってでも、二人を助けるしかない。そのために自分や仲間を危険に晒すというどうしようもない矛盾を抱えながら。
「もちろん全員に残ってもらうわけじゃない。馬を止めたあと相手から逃げるには、その人数で高度に連携して動ける必要がある。だから、気心の知れたもの同士、最小限の人数で、戦うにも逃げるにも最大限に効果的に動ける人員を選びたい……」
そして、失敗しても被害が最小限になる人数で……。
言外に臭わせたこの言葉を、直接口にすることはできなかった。作戦に参加しないものたちが、後ろ髪が引かれる思いをすることなく、きちんと逃亡に集中できるように。
自分のした卑怯な言動に、フィーの心が痛む。
この作戦に、成功の保証はない。だから、少なすぎても多すぎてもいけない。一番、最適な、そして失敗時に最小の損失になる人数で……。
そんなフィーの考えを託し、提示された条件を達成できる相手は、もうほとんど決まっていた……。
その目線が自然と、集団の中のある少年たちのグループに向く。
彼らを見つめるフィーの瞳には、不安と罪悪感で揺れていた。
そんな普段は見ない珍しいフィーの表情に、北の宿舎の少年たちはくすりと笑って答える。
「おい! 水臭いぜ! 俺たちがお前と一緒に残らないわけ無いだろ!」
「うん、そうだよ。最後までちゃんと付いてくよ」
「ヒースのことは……ううん、みんなのことは俺が守ります!」
北の宿舎の少年たちはみんな頷いてくれた。
「みんな……ありがとう。ごめんね……」
フィーの顔がくしゃりとなった。
「待ってくれ! 残るなら俺にやらせてくれ! そもそもこうなったのは俺の責任だ!」
そんなフィーたちに必死の表情でいったのはコニャックだった。
その目じりには涙が浮かんでる。いつわりのない本気の言葉だと誰もが分かった。
だからこそ、フィーは言わなければならない。
「だめだよ」
「なんでだ! こうなったのはお前のせいじゃねぇ! 俺が……俺がみんなに勝手な行動を取らせたからだ! だから責任を取って残るなら俺しかねぇだろ!」
フィーはコニャックの誠意がわかった。
だからこそ、彼の願いを冷酷に切らなければなかった。自分の命令で、仲間を危険に晒してしまったつらさが分かるからこそ……。
「この中でここら辺の地理に詳しいのはコニャックだけなんだよ」
「あっ……」
その指摘にコニャックは呆然と立ち尽くす。
ここにくるまで周辺の地図を詳細に見てたのはコニャックだけだったのだ。彼は周りの人間に地図を見せようとしなかった。そのプライドと意地で……。
「相手の追跡を避けるなら、何度も道を外れた移動を繰り返さなきゃならない。そうなったとき、ここらへんの地図を覚えている人間は絶対必要だよ。それができるのは地図を覚えてるコニャック以外にない。君には残ったメンバーを安全に駐在所まで届ける義務がある」
地図をしらないフィーたちは、あくまで今まで来た道を頼りにし、駐在所や砦に戻ることができない。少しなら道を外れることができるが、それには限界があるのだ。
今まではそれでよかった。徒歩同士なら引き離したアドバンテージが生かせる。
でも、状況は変わった。相手には馬がある。道沿いを歩くだけでは追いつかれるリスクがある。フィーの作戦は必ず成功するとは限らない。
残ったメンバーが安全に敵の追跡を避けて駐在所に戻るには、コニャックが頼りなのだ。
「俺は……俺は……」
コニャックは声をふるわせてうつむく……。
見回りをしていたときのコニャックの態度がこの状況を作ったとしても、それはもう取り返しようがないのだ。地図も装備もつかまったとき村人に奪われた。もうあの地図はコニャックの頭の中にしかない。
フィーは彼を勇気付けるように、微笑みを浮かべていった。
「コニャック、東の宿舎の二人も回収して、みんなを絶対駐留所まで安全に届けてよ。僕たちも馬を止めて絶対に戻ってくるからさ」
コニャックがいるなら、馬を止めるのも、ある程度の時間でいい。東の宿舎の二人を回収し、馬の追跡を避けられるルートを取れるような時間を稼げば――。
つまり、フィーたちのリスクも減る。
コニャックはその言葉を聞いて、少しうつむいて嗚咽すると、右手でがしがしと目元を擦るといつもの強気な声で言った。
「わ、分かった。絶対、こいつらを駐在所に届けて、すぐに救助を呼んでくるから! だからお前たちも絶対に無事でいろよ! 絶対だからな!」
「うん……」
コニャックは残りの見習い騎士たちを振り返り言う。
「お前たちいくぞ! 一分一秒でもはやく駐在所にたどり着くんだ!」
コニャックに連れられた見習い騎士たちは森の向こうへ走っていった。フィーたちを見捨てるわけじゃなく、仲間を助けるために。
フィーはその背中を見送りながら呟く。
「がんばって、コニャック」
しかし、ひとりだけこの場に誰か残っていた。
コニャックの幼馴染のハイラルだ。
「ハイラル?」
「あいつには残るといってきた。あいつとは幼馴染だ。あいつの失敗のフォローぐらいはするさ。さすがに4人じゃ足りないだろ。馬を止めるなら弓が有効だ。優秀な射手が一人でも多くいれば助かるはずだ」
確かに今は弓の使い手がひとりでも多く必要だった。フィーが一本持ってるが、それだけだと心細い。
フィーたちはその好意に素直に受け取った。
「ありがとう、助かるよ」
見習い騎士、14人が駐在所に走っていった。残りのフィー、クーイヌ、スラッド、レーミエ、ハイラルが森へと残る。敵の馬を止めるために。
フィーたちは最初に敵と遭遇した森の道沿いに移動した。
騎兵を止めるなら、移動の自由が利かない森の中でしとめなければならない。弓をもってるのは3人。フィー、ハイラル、それからレーミエがハイラルの予備の弓を構える。
もうすぐ日が落ち始める時刻だが、まだまだ森の中に明かりは残っていた。日が沈みきるまでには、それなりの時間がかかるだろう。
夕暮れのはじまりに差し掛かった森。
その静寂の中、だんだんとフィーたちの耳に音が聞こえてくる。金属の鎧のこすれあうあの音と、馬と兵士たち足音が交じり合ったもの。
「みんな、こんなことにつき合わせちゃって……ごめんね……」
フィーはもう一度残ってくれた仲間たちに謝った。
珍しく弱気な態度のフィーに、スラッドとレーミエが笑ってみせた。
「何言ってんだよ! 馬を倒す! それから逃げる! 俺たちなら簡単だろ?」
「そうだよ、僕たちが力を合わせれば必ずできるよ。みんなで無事に帰ろう?」
クーイヌもフィーをじっと見て、勇気付けるように頷いた。
フィーは思う。
こんな友人たちをひとりも失いたくないと。
「うん……そうだよね……。みんな無事で帰ろう」
だからこの作戦は成功させなければならない。
敵の足音がはっきりしてくるにつれ、そんな見習い騎士たちも口を閉じた。
敵影がその視界に映った。
「来たよ……」
「行こう……」
「うん……」
小声で合図を交わし動きはじめる。
フィーたちの生き残るための戦いが始まる……。




