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(ちくしょう……、なんであんなやつがこの北の宿舎に居続けてるんだよ……)
アベルは鏡を見て頬にできたそばかすを指で触りながら、心の中で愚痴をいった。
アベルは見習い騎士になってからずっと同じことを愚痴っていた。
彼は北の宿舎に入ってすぐにヒースを貧民出身だからということでいじめようとした少年のうちの1人だった。
そんなアベルの見習い騎士生活はうまくいってるとは言い難かった。
ヒースのことが気に入らず無視しているうちに、ヒースと他の北の宿舎の人間たちが仲良くなり、代わりにアベルが1人周りに取り残される形になってしまった。
宿舎での成績は低迷し剣の腕は伸びず、模擬戦ではいちばん憎い相手であるヒースにまで負けるようになってしまった。
(妙な動きをするから戦い難いんだよ! 真正面から戦えば俺の方が強いのに……!)
さらに気に入らないことに、一緒にヒースをいじめてやろうとした自分の友人だったはずのボヤンまで今じゃヒースの味方なのだ。
「お前もいつまでも意地張ってないでいい加減仲良くしろよ。ちゃんと謝ったら許してくれたし、話してみたらすごくいい奴だったぞ。そんなお前といるとこっちまで恥ずかしくなるわ」
そういってこちらを呆れた目で見てきたボヤンの言葉を思い出しアベルはさらに苛立つ。
(なんでみんなあんなやつを受けれいてるんだよ……! そもそも貧民出身の癖に騎士をめざすのがおかしいんだよ! あんなやつずるくてせこくて卑怯なだけじゃないか。おまけに小さいくせに生意気だし。それなのにゴルムスさんやあのクーイヌと仲良くして。少し顔がいいからって侍女の子たちとも仲良くしやがって……!)
身分は平民ながら男爵家に縁をもつ血筋のアベルにとって、平民ですらない身分を持たない貧民が騎士をやるなんて信じられないことだった。しかも、あの憧れの第18騎士隊に入るなんて……。
侍女たちだってそうだ。ヒースのことをちやほやして、喧嘩したと聞いたときはいい気味だと思ったが、もう仲直りしたらしい。侍女の中で少し気になっていたレビエナちゃんだってヒースと仲良しなのだった。
あんなやつのどこがいいのかと思う。
見習い騎士に入ってからは輝かしい生活を送るつもりだったのに。せっかく準決勝まで残り―――その前の対戦相手は腹痛でまともに戦えない状態だったが―――見習い騎士になり将来のエリートたちの仲間入りを果たし、そのうち仲間たちの間でも出世していずれは第一騎士隊にと思ってたのに、このままでは1人でおちこぼれ一直線である。
それもこれも全部ヒースのせいなのだ。あいつさえいなければ、もっと自分の見習い騎士生活はうまくいっていたはずだと思う。
今日も1人、北の宿舎をあてどなく歩いていると、ヒースが他の見習い騎士たちと下町に行こうと話しているのを見てしまった。
ヒースは北の宿舎の人間たちといろいろと遊びにいったりしているのに対し、アベルはほとんど誰とも行ったことがない。ヒースがいるところを避けていると自然とそうなってしまったのだ。
アベルが思わず恨みがましい目を向けてしまうと、ヒースと目があった。
あろうことかヒースはにこりと笑って話しかけてくる。
「あ、アベル。いまから下町に行くんだけど、アベルも一緒に行かない?」
アベルは顔を真っ赤にしてヒースに怒鳴り返した。
「誰がそんなもん行くか!」
そもそも他の人間と遊びにいけないのはヒースがいるせいなのだ。それなのに何も気にしてないみたいな笑顔で話しかけてきやがって。きっと笑顔を見せながら、腹の中では自分のことを馬鹿にしているに違いない。
貧民出身で性根が曲がっているのがあいつなのだ。きっとそうに決まっている。
怒って部屋に戻ろうとしたアベルの背中から、他の見習い騎士たちの声が聞こえてきた。
「あんなやつ放っておこうぜ。誘ってもどうせ来ないんだし」
「うーん、でも本当は行きたがってると思うんだけど……」
(くそっ、いい子ぶりやがって! 本当は俺のこと馬鹿にしてるんだろ!)
ヒースの自分を擁護するような言葉が聞こえてきて、アベルの気分はさらに悪くなった。
そんなアベルは長期休暇は北の宿舎に残る組だった。
実家に帰っても口うるさい母親にいろいろと言われて、弟や妹の面倒を見させられるだけ。騎士隊での成績もよくなくて、あんまり帰りたいものじゃなかった。
(くそっ、ヒースさえいなければ……)
長期休暇でクーイヌの家にいくらしいが、そのまま帰ってこなければいいのにと思う。
ヒースがいなくなったからといって、他の宿舎の人間ともなじめてないアベルは、暇をもてあまし王城の中を歩いていた。そのとき。
(あれはヒース?)
正午ちょっと前に北の宿舎から出たはずのヒースの背中を見つけた。
しかも、やたら急いでいるのか、まわりも見ずに、でも身を隠すような怪しい動きで、城内のどこかに向けて走っていった。
「なんだ、あいつこそこそして……」
そう疑問に思ったアベルだが思いつく。
もしかして何か秘密にしたいことをやっているのではないだろうか。貧民のあいつのことだ、何か人には言えないことをやってるに違いない。弱みが握れるかもしれない、と。
そう考えたアベルはすぐさまヒースの背中を追った。
しかし、それも途中で見失う。
(くそ、すばしっこいやつめ……)
アベルはヒースの背中を見失ったまま、その方向に歩いて行くと、ひとつの建物の前にたどり着いた。お城の中にあるというのに、まわりを壁に囲まれた小さな建物。
(これはフィールさまと一緒の国から来た側妃がいるっていう離宮?)
フィーというフィールさまと紛らわしい名前をしたその側妃はフィールさまの姉にあたる王女らしい。性格が悪く、顔も不細工で、妹の結婚話に割り込もうとした意地汚い女だとオーストルでたまに噂になっている。フィールさまとは似ても似つかないらしい。
実はアベルはフィールさまを一度その目で見たことが会った。フィールさまがプラセ教の儀式に参加したときだが、見習い騎士でありながら警備の任務に参加させてもらったのだ。遠目からしか見れなかったが、フィールさまは本当に美しく高貴なことが遠くからでも分かって、アベルはひと目でファンになってしまった。
その任務に参加できたのは、アベルにとって見習い騎士生活での数少ない自慢である。
そしてなんとなく見上げて気づく。
(あれはヒースがよく使ってる!)
後宮の壁にはヒースがよく使っている鉤縄が引っかかって揺れていた。
(なんでこんなものが……)
なぜヒースがこんな側妃がいるだけの建物の壁を登ろうとしたのか、アベルにはまったくわからなかった。とんでもない不細工だと噂の側妃の顔でも拝みにいったのだろうか。
疑問に思ったアベルはその鉤縄を登ってヒースが何をしようとしていたのか見てやろうと思った。もしかしたらヒースの決定的な悪事を働いてる瞬間を見られるかもしれない。
縄に手を付き登り始める。
最初の方は順調だった。慣れない動作に戸惑いながらも、紐を握り壁を蹴りアベルはそこを登っていく。しかし、どんどん登っていくごとに状況が変わっていった。
半分以上を登り高いと意識した瞬間、なぜか足が壁にうまく付かない感じがしだした、縄を手でうまく握れなくなってくる。汗ですべる。アベルの体は急にぐらぐらと揺れ始めた。
(や、やばい……!)
降りるかと思ったが、手が震えて鉤縄が不安定になっている。もし降りるときに外れたら、そんな恐ろしい予感が頭をよぎる。
そう考えたのか悪かったのか、鉤縄が一瞬、ガタッと少し動いた。背筋があわ立つ。
登る手が思わず止まってしまったアベルだったが、ちょっと強い風が吹いた瞬間、震えたままの手で必死に縄をたぐりよせて登り始めた。もう重心も姿勢もめちゃくちゃで、鉤縄もガタガタと鳴っていていつ外れて地面に落ちてもおかしくない。
そんな状態で奇跡的に手を動かし縄を登りきったアベルは、揺れる縄から逃れようと何も考えず勢いのまま壁の上にあがりぐらりとバランスを崩し。
「うわっ、うわわあぁあっ」
足を滑らして壁の内側の方に落ちていった。




