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クーイヌとの約束を取り付け、フィーは自分が住んでいるはずの小さな後宮にリネットを迎える準備をはじめた。
空き時間を見つけては後宮に侵入してほこりだらけになった部屋を掃除をした。
壊れた箇所もあったので、それも修理しておく。
街にこまめに買い出しにいって、一週間ちょっと分の食料を中に運び込む。これでしばらくは大丈夫なはずだ。
そうした準備完了したところで見習い騎士たちの訓練も終わり、長期休暇の初日に入った。
その日、フィーは寝坊してしまった。
起きてみると宿舎のみんなはもう城の外にでてしまった時間。クーイヌだけがのんきにコーヒー(に砂糖とミルクをたっぷり入れたもの)を飲んで、ゆっくりとフィーのことを待っていた。
「あ、おはようございます」
フィーを見ると微笑んでおはようを言ったクーイヌを責めることはできない。
正直に言うと起こして欲しかったけど、クーイヌには理由は聞かずに彼の実家に泊まりにいったことにしてほしいと頼んだのだから仕方ないのだ。
今日はリネットがいつくるか分からないから早起きしておきたかったのはフィーしか知らない事情だし、むしろ休日だからゆっくり寝かせようとしてくれたのかもしれない。
そもそもいろいろ準備が忙しかったとはいえ、当日に寝坊してしまった自分が悪いのだ。
泊まってることにして欲しいと言ったときのあの表情を考えると、こうやって微笑んでくれるように戻っただけでも良いことかもしれない。
とりあえずそんな優しいクーイヌと一緒にいられる環境を守るために、今からでも急がなければならない。
「待っていてくれてありがとう。それじゃあ行こう」
フィーは昨日準備していた荷物を持ってクーイヌに言った。クーイヌも同じく荷物を持って一緒に北の宿舎をでる。
二人は並んで王城の門まで歩いていった。
「僕たちしばらく出かけてきます」
「ああ、君たちも長期休暇か。いってらっしゃい」
顔見知りの門番さんに挨拶をすると、フィーとクーイヌは門の外にいったん脚を踏み出した。
それからフィーがクーイヌの耳元でこそっと囁く。
「それじゃあ、あとはよろしくね。クーイヌ」
フィーはさっと身をひるがえすと、門番の後ろを気づかれることなく通り過ぎ、それから城の中に戻って近くの茂みに姿を消していった。まったく音の立たない静かな足取り。
クーイヌ以外の誰もフィーが城にもどっていったことなど気づいていない。
クーイヌはその動きを思わず目で追ってしまったが、指示されたことを思い出し、できるだけまっすぐ急いで城から出る道を歩いていった。
城の茂みに飛び込んだフィーは、後宮の方に急ぐ。
リネットより早く中で入って準備をしておかなければいけない。
フィーはまっすぐ走り後宮を目指した。
そして裏手にたどり着くと鉤縄を壁にかけするすると登る。うつらうつらとしている見張りたちの姿が見えた。
とりあえず時間が惜しかったフィーは、鉤縄を回収せず壁から飛び降りた。どうせ後宮の裏手なんて誰も来ない。あとでリネットの隙を見つけて回収すればいいのだ。
カインから習った受身と猫のような柔らかさで音もなく地面に着地する。でも衝撃はさすがに殺しきれないので、ころころと転がった。
あからじめ空けておいた窓から部屋にもぐりこみ、土で汚れた服を脱ぎドレスに着替える。そして恐る恐る離宮の中を確認すると、まだリネットは来てなかった。
「ふう、良かったぁ……」
フィーはほっと一息つく。
リネットが来たのはそれから30分ほどあと。
「フィーさま! リネットです! 来ました!」
無意味にインパクトのある挨拶で、両手には大荷物を持って、リネットはきらきらした笑顔でフィーの後宮にやってきた。こんなにご機嫌なリネットを見るのはフィーははじめてである。
その大荷物はいったい何なのかと思っていると。
「フィーさまのためにドレスやアクセサリーや宝石をたくさん持ってきました。これを使ってフィーさまのお茶会デビューを最高の形でプロデュースしてみせます! 私にすべてお任せください!」
ということらしかった。
フィールのお世話は大丈夫なのかと聞いたら。
「五日間だけですけど、ゼファスさまの奥様が代わってくださることになったんです。その間、お茶会の準備だけでなく、私がフィーさまをすべてお世話しますから安心してお過ごしくださいね」
そんな嬉々乱舞のリネットが「お茶をいれますね」と言いだした瞬間。
庭のほうで、ドシンッと大きな音がした。
「な、何の音ですか?」
びくっとしたリネットを置いて、フィーはすぐさま庭の方に走り出す。
「ま、待ってくださいフィーさま! 何かあったら」
リネットも慌ててその後を追う。
フィーが庭を出ると、ちょうどフィーが飛び降りて来た位置に少年が落ちて気絶していた。その少年のことをフィーは知っていた。




