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「さて、そろそろクーイヌの点数を移しにいくかな」
フィーは休憩室の椅子から立ち上がった。
(これで僕の勝利は完成する)
フィーの持っている増産した点数の用紙は書いたあと食堂の方にもっていかないと認定されない。決められたルールというよりは、そうしないと誰も分からないからという単純な理由だった。
この男らしさランキングでついに自分の勝利を決めるために、フィーは休憩室を離れ食堂へと向かう。その後ろにはクーイヌも付き従った。
その食堂の前まで来たフィーの前に、レーミエが立ちふさがった。隣にはスラッド、ギースもいる。いつもの三人組だった。
「何のつもりだい?」
フィーは細まった目で彼らを見て、その意図を尋ねる。
三人の中央に立つレーミエは、逆にフィーへと質問した。
「イウスはどうしたの?」
フィーは邪悪な顔でふっと笑った。
「彼とはお話することにしたよ。今日一日中、僕の部屋でね」
その言葉を聞いて、レーミエは腕をあげ腰を沈める。他の二人も同じだ。
明らかな戦闘のポーズ。足を怪我しているギースは腕だけだが。
「勝てそうにないから力づくで僕の一位をはばもうと言うのかい? それは男らし―――」
「男らしさなんてどうでもいいよ。友達が悪い方向に行きかけたら止めてあげる。それが友達だ」
レーミエの目は真剣だった。
その構図に北の宿舎の少年たちも盛り上がる。
「おっ……おお、レーミエたちが!」
「いいぞ!男らしいぞ!」
レーミエはフィーの瞳を見て哀しそうな表情でいった。
「ヒース、もうこんなことやめようよ! ヒースだってこんなやり方で1位になることなんて望んでなかったはずだよ! そんな勝利で自分を誇れるようになるわけがない! それでもまだやるっていうのなら僕たちをたお―――」
「いけ! クーイヌ!」
「ふぎゅっ」
「むぎゅ」
「……ぐっ」
レーミエの説得もむなしく、三人の反乱は容赦ないフィーの指示で、クーイヌにより鎮圧された。ちなみにまだ足を怪我をしているギースは、クーイヌにより比較的優しく地面に寝かされていた。
「ああ……」
その姿に北の宿舎の少年たちからため息が漏れる。
この騒動を見ていたゴルムスの隣にいた少年が、彼に話しかけた。
「おい、ゴルムス……。あいつらじゃさすがに無理だ。お前がなんとかしてくれよ」
それをすでに食事を取っていたゴルムスは言った。
「俺は別に誰が一位でもいいと思ってる。あいつのやり方にもそんなに批判はねぇ」
その言葉に少年は肩を落とした。しかし、その言葉とは裏腹にゴルムスは椅子から立ち上がる。
「でも、クーイヌには負けっぱなしだからな。ここで一度借りを返しとくのは悪くねぇな」
そう言うとゴルムスはにやりと笑い、ギャラリーになっていた見習い騎士の少年たちを掻き分け、フィーの前に立ちふさがった。その強面の顔に悪人面の笑みが浮かび、手の指をボキボキと鳴らす。
「勝負といこうぜ、クーイヌ。剣で決着をつける前に素手でな!」
クーイヌとゴルムスがファイティングポーズを取って向かい合う。
剣の勝負ではないとはいえ、お互いに見習い騎士同士。徒手の訓練もちゃんと受けている。本格的な勝負になることは明らかだった。
見習い騎士の少年たちもゴルムスの側から勝負の行方を緊張した表情で見守った。
クーイヌが地面を蹴ると、その姿が掻き消えるように移動した。
「はやいっ!」
誰かの声が響く。
瞬時にゴルムスの横まで移動したクーイヌは、そのわき腹に全力の拳を叩き込んだ。
どんっと大きな音が鳴る。直撃だった。
しかし―――
にやりと笑ったゴルムスが、そのままクーイヌへと拳を振り下ろす。
「くっ……!?」
クーイヌはそれを慌てて後ろに飛んで避けた。
「さすがのお前の攻撃も木剣がなきゃ威力は半減だ。顔に当たらなきゃどうということはねぇ」
そう言いながらゴルムスは、顎や顔を重点的に守るファイティングポーズでクーイヌへと向かい合う。ボディに隙はあるが、ゴルムスの鍛えた腹筋はクーイヌの一撃を耐え切る。
「おおおおおおっ!」
「いいぞー!ゴルムスー!」
ギャラリーとなった見習い騎士たちがその姿に雄たけびをあげる。
剣での訓練とは逆に、ゴルムスの方が攻勢に回っている。
顎や鳩尾など弱点となる部位をうまく守りながら、一方的にクーイヌへと攻撃する。当たる部位ではダメージを与えることができないクーイヌは防御に回るしかない。
ただ、クーイヌも大したものだった。その動きは素早く、ゴルムスの攻撃をことごとく回避していく。
しかし―――
「だめだ!クーイヌ!」
フィーが叫び、クーイヌが右から来た拳を左に避けた瞬間、その肩が壁に当たった。
「……!?」
クーイヌの目が見開く。
いつの間にかクーイヌは食堂と廊下の繋ぎ目の部分に追い込まれていた。そこは一方の扉がしまっていて壁になっており角になっている。
ゴルムスは誘導していたのだ。攻撃しながらクーイヌをその場所に。
「追い詰めたぜ。クーイヌ」
ゴルムスがにやりと笑う。
「ク、クーイヌ……!」
さすがのフィーも焦った声をだした。
ゴルムスは油断なく、両側から逃げられないように警戒しながら止めの拳を振りかぶる。
クーイヌの額に汗が落ちた。
「いけー!ゴルムス!」
「そこだ!とどめだ!」
「まっ、負けるなー!クーイヌ!」
みんなが叫び、ゴルムスの拳が振り下ろされ、そのあと、見習い騎士たちは信じられないものを見た。
クーイヌがゴルムスの拳をジャンプして避けた。そこまでは分かる。
そこからクーイヌは、その勢いで宙で体を回転させながら、天井に着地したのだ。
本当にそこに床があるようにしゃがみこむ姿勢で足が付いていた。それは一瞬だが、確かにその場にいた全員が目撃した。
「え……!?」
「へっ……?」
「あぁ……!?」
その人間とは思えない信じられない動きに、その場の全員が呆けた声をだす。
そして次の瞬間、どんっという音ともに天井がたわみ、急加速されたクーイヌの蹴りが呆けたゴルムスの顔に吸い込まれていった。
あとに残ったのは静かにその場に立つクーイヌと、倒れ伏したゴルムスの巨体。
食堂がしーんと鳴る。
クーイヌの見せた人間離れした動きに、フィーすらもどん引きの表情だった。
その視線の中心で、クーイヌが何かわからないという表情できょとんと瞬きする。
「よ……よくやったねぇ!クーイヌ!」
フィーが近づいて、笑みを作りながらその体を恐る恐る撫でて褒めるが、その顔はひきつり声は震えていた。
ほかの騎士たちもざわつく。
「さっきの動きなんなんだ……?」
「天井に……着地してたぞ……」
「本当に人間か?動物じゃないのか?」
そんなことをやってのけたクーイヌは、今はフィーに大人しくなでられてる。
(良かった……。クーイヌが従順な性格で本当に良かった……)
フィーはこのときばかりは心底そう思った。
他の少年たちも、普段の大人しい気性から忘れがちになってしまっていたが実感する。
ゴルムスを倒し、あのパーシルを倒し、見習い騎士たちの間で今現在も無敗記録を打ち立ててる存在がクーイヌなのである。
「なんであんな奴がヒースに従ってるんだよ……」
気性は犬そのものでも、その強さはまさに狼。
見習い騎士で最強の存在がヒースには付き従っているのである。
北の宿舎で最高の悪知恵の持ち主と、最強の武力を持つ二人のコンビ。
もう止められる者はいなかった。
そうしてフィーとクーイヌの二人は、ポイントの譲渡を終えて休憩室に帰ってきていた。
「これでこの男らしさランキング、僕の勝ちで決まりだね」
「はい」
ポイントの譲渡により本当に男らしさランキングの1位にたち、残り時間はもう1時間を切った。
フィーに対抗していた見習い騎士たちにもう逆転の目はない。
フィーの肩が震えた。
「勝った……僕は勝ったんだ……。北の宿舎で一番男らしい男、その立場をついに手に入れた。僕は……。僕はついに勝った……生まれてはじめて……」
フィーはいつもの椅子にすわったまま、俯いていた顔を上げ、勝利者の光景をその瞳に収めようとした。
その口からぽつりと呟きが漏れる。
「……勝ったときの景色って……ちょっとさびしいものなんだね」
いつもはさわがしかった休憩室には誰もいなかった。フィーたちの側には誰もいない。背中に立つクーイヌと二人きり。
「そうですね」
クーイヌがその言葉に頷いた……。
「あーあ、優勝決定まで少し暇だね」
男らしさランキング決定まであと30分。
暇をもてあましたフィーは、いつもの癖で背もたれに思いっきり体をあずけた。
椅子はしっかりと彼女の体重を支えその動きを吸収する。極めて良い座り心地だ。
(あれっ……?)
そのことに違和感を覚えた瞬間、フィーの背中にぞくりっとした何かが走った。
ばっと椅子から立ち上がり、それに目を向ける。
クーイヌが不思議そうな表情でそんなフィーを見た。
「椅子が直ってる……」
昨日までぎしぎしガタガタ言って、さっきのようにフィーが体重を預けたら傾いて少し危険だった椅子が……。それがきっちりとネジをしめ直され、よくみるとささくれ立った部分も綺麗に磨かれ、いろんな場所が補修してあった。
「そういえば、他の椅子やテーブルも綺麗になってますね」
クーイヌが休憩室をきょろきょろ見回しそう言う。
そのときにはフィーは歩き出していた。頭に走った何かの予感に誘導されるように……。
食堂に戻ってきたフィーを見つけて、見習い騎士の少年のうちのひとりが呟く。
「なんだ?あいつ戻ってきて、勝利でも自慢しにきやがったのか……?」
男らしさランキングはフィーの勝利だとあきらめた少年たちは、次の話題に移っていた。
「そういえば今度の長期休暇は実家に帰る?」
「俺はこっちにいるかもしれん。うちはボロ屋でそんなに居心地よくないからなぁ」
「でも、この北の宿舎も大分ガタが来てねぇ?」
「ああ、最近いろんなところ壊れてるよなぁ」
「トロッコさんが総務から外されてから、そういうの止まっちゃってるからなぁ」
「あっ、でもこの前抜けた水場の床は誰かが直してくれたみたいだぜ。きっちり新しい板が張りなおしてあった」
「ああ、そういえばそうだな。もう新しい人が決まって直してくれたのかな」
食堂を歩きある一点を目指すフィーの耳に、ここ最近男らしさランキングにみんなかまけていて、話題にならなかった北の宿舎の出来事が飛び込んでくる。
「そういえばこのテーブル、前はぐらぐら言ってたのにいつのまにかならなくなったよな」
「へー、気にしたことなかったぜ」
「本当だって。かなり食べにくかったんだぜ。なんか気づいたらいつの間にか足が揃ってたんだよな」
「そういえば裏手にある壁の穴がさ。今日見たら塞がっていたんだ」
「今、北の宿舎担当の人達は、再編中で管理も動いてないのに、誰がやったんだろうなぁ」
フィーは気づいていた。食堂に入ろうとしたとき扉の角になった部分にゴムのカバーがしてあったことに。それから天井についたクーイヌの足跡が消えていた。
それらを見て、聞くたびに、フィーの体に汗が流れていく。
フィーは少年たちの間を抜けると、ひとつの用紙の前に立った。それは工具の貸し出しを受けるときに記入する紙だった。見習い騎士の少年たちには、ほとんど関心を払われないもの。
フィーはその上に乗っかった説明用の用紙をどかそうと手を延ばした。
その手は震えていた。
(まさか……まさか……)
フィーの顔は真っ青になっていた。ある予感に。確信に近い予感に導かれ。
紙をめくるとそこにはただ1人だけ名前がぽつんと書かれていた。
ゼリウス。
それを見た瞬間、ぶわっとフィーの背中から汗が溢れ、その体を強い感覚が突き抜けていく。
それは敗北の予感だった。
フィーの頭脳はそこから死の危機に瀕した人間のように高速回転しはじめる。
(まさか……ずっとこれをやっていたのか……?
宿舎の危ない場所や、壊れた箇所の補修を……。男らしさランキングなんて構わずに……。誰に知られることもなく……。
確かに違和感があったんだ。集団を誘導してゼリウスの得点を下げる作戦が上手く行き過ぎていた。ゼリウスはここ最近、何故かずっと人気のない場所にいた。だからあの作戦が、あそこまで有効に働いた。
その理由がこれ……。
ゼリウスは実家から帰ってきてからずっと、みんなから放っておかれた壊れた場所やみんなが危ない目にあいそうな場所を補修してまわっていたんだ……)
フィーの頭にはっきりとその情景が浮かんでくる。
人知れずみんなのために宿舎の壊れた場所を黙々と補修していく男の姿が。
それだけじゃない。
彼は汚い手を使い、彼から一位の座を奪おうとしていたフィーの椅子すらも修理していった。明らかに敵対姿勢を自分は見せていたはずなのに、そんなことに構うことなく。
さらには何かと暴れていた自分たちのために危なくないようにわざわざゴムまで設置していった。クーイヌがあとで怒られないように天井の足跡を消した。食堂の細かいテーブルの足のズレや、ほとんど誰も気にしない裏手の壁の穴まで……。
そしてそれを誰にも言わずに、ただ黙々とやり続けたのだ。
フィーは彼とも戦ってるつもりだった。必死に彼から1位の座を奪うために戦いを仕掛けていたつもりだった。なのに彼はそんなこと気にもしていなかったのだ。
彼は気にしてなかった。
ただ自分たちが男らしさランキングで騒ぐのを静かに見守り、誰も困らないように自分たちが日常で使う場所を修理してまわり、騒いでも危ない目にあわないように危険な場所に補修を施したりまでした。
それはなんて……。
フィーは思わず喉もとからでそうになった言葉を、慌てて抑えこんだ。
(いま声にだしたら負ける……)
それははっきりとした予感だった。
もしこの声を漏らせば、それをきっかけにゼリウスの功績がみんなに伝わり、ポイントは逆転される。そうなれば残り30分。もうフィーには勝ち目はない。
(まだ勝算はある……!みんなこの事実を知らない。みんなの気を逸らし、話題をそらしてこの事実を隠してこの30分間を乗り切れば、男らしさランキングは僕の勝ちになる……!
僕は勝てる……!勝てる人間なんだ……!)
フィーは自分の心に必死に言い聞かせる。心の底から漏れでてきそうになる声を必死に抑える。全身が震えた。
(勝てる……!勝てる!勝てる……!勝てる……!勝てる……!私は……勝て……)
叫びそうになる体を必死に止め、何度も心にそう言い聞かせて……。
そこまでが一瞬の間だった。
次の瞬間、フィーの体は膝から崩れ落ちた。
がくりと膝をつき、その口から抑え切れなかった声が漏れる。
「ゼリウス……男らしい……」
その瞬間、フィーの敗北が決定した。




