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突然はじまった勝負に、食堂の全員の視線が集まる。
「あの寮則の本が、偽物って話は本当なのか?」
「わ、わかんねぇよ……」
あくまでイウスの証言は先輩が言っていたというだけなのだ。その証言をした先輩を直接ここに連れて来ているわけでもない。ギャラリーからの反応も微妙だった。
イウスは遠くから目を凝らす。
自分自身でも不正があったら見抜くために。
しかし、頼りにしているのはやはり間近で直接チェックするルータスだった。
「それじゃあ、チェックするぞ」
どこか周りの視線に怯えているルビーヌに対し、場を制するようにルータスが開口一番に宣言した。
チェックの主導権を取ろうとしてくれているのだ。
「慎重に取り扱っておくれよ」
椅子に座ったままのヒースが余裕そうな表情で茶々を入れた。
しかし、その内心は穏やかでないはずだとイウスは確信していた。
こうなったらヒースが取れる手段はひとつしかない。ルビーヌを使って何とか状況を誤魔化そうと謀るはずだった。
「表紙をとってみてくれないか」
イウスはルビーヌの一挙手一投足を見逃さないように見つめながら、ルータスたちに指示をだした。
(まず考えられるのは布の表紙の入れ替えだ。簡単だがほとんどの人間は意識を払わない)
視線の中で、本の布表紙が取り払われていく。
みんながごくりと生唾飲んだ。
「あっ……」
誰かの呟く声が聞こえる。
布の表紙がはがされたあとでてきたのは、今年のものを著わす数字とタイトルだった。
イウスの見る景色が一瞬、動揺に歪む。
しかし、すぐにイウスは心臓を落ち着けた。
(落ち着け。あの本はずっとあいつの手元にあったんだ。それに騎士隊の装備の改造なんかを一手に引き受けてくれるガルージさんとも親しい。簡単な偽造ぐらいならできるはず)
「ルータス!手触りなんかに違和感がないか調べてくれ!」
イウスの指示に従い、ルータスは本を手で触って調べる。しかし、何か見つかる気配はなかった。
「な、中をめくって年の表記が違ってないか調べてくれ!」
その言葉にルータスはぱらぱらとページをめくっていく。
それでも……、不審な何かを見つけた様子はない。
「ページか何かに違和感はないか! きっと―――」
そう焦った声で叫ぶイウスの前で、ルータスが苦しそうな表情で首を振った。
「すまん……、イウス……。怪しい点はどこにもなかった……。これは……たぶん本物だ……」
イウスはその言葉に呆然と佇む。
(先輩の言ってたことが間違えだった……?いや、ちがう。先輩は嘘をつくような人じゃない。じゃあ……どうやって……)
イウスは答えがわからず沈黙する……。
ヒースは絶対に嘘をついているはずだったのだ。なのに調べても何の証拠もでてこなかった。
なぜ……。どうして……。
ヒースの口もとがにやりとみんなの前で歪んだ。
その闇に落ちた目が見下すようにイウスを見つめる。
「イウスくん、君も納得してくれたようだね。それじゃあ、約束どおり―――」
そしてヒースは一枚の紙をイウスへと差し出す。
「男らしく君のすべてのポイントを渡してもらうよ」
フィーは休憩室のいつもの椅子に座り、ポイントの入った紙を見上げて喜んでいた。
「これでついにゼリウスの予測最終ポイントを追い抜かした!男らしさランキングの1位は僕のものだ!」
イウスから得た902ポイント。それにより、ついに勝利への道筋が完成したのだ。
このままゼリウスのポイントを押さえ続け、最後にクーイヌのポイントを自分へと移せば、男らしさランキングで1位を手にすることができる。
そしてもうその準備は完了していた。
ポイントの部分だけ白紙のクーイヌのサインが入ったポイント投票用の紙。それはクーイヌのポイントの全権を受け、いつでも移せる証。あとは最終日までに数字を書き込むだけでいい。
すべての準備は万全。作戦も完璧だ。
フィーは満足げに、いつもどおりに椅子の背もたれに、いつもよりちょっと勢いを付けて体重をのせた。
その瞬間、ガタンッと椅子が鳴って、ぐらりとバランスが崩れる。
「ひゃあっ」
後ろに倒れかけ悲鳴をあげたフィーを咄嗟にクーイヌが支える。
フィーはほっと胸をなでおろしたあと、クーイヌを振り返って言った。
「あ、ありがとう、クーイヌ。助かったよ」
「いえ。でも気をつけてください」
椅子に座りなおすと、椅子がおおきくぎしっと音を立てた。
「うん。ここの椅子もう結構ガタガタだね」
「そうですね。それなりに古い宿舎ですから、いろいろガタがきてる時期なのかもしれません。前も水場で床が抜けたって誰かが言ってましたし」
フィーのいつも座る椅子は、ねじが緩くなってしまっていた。すわると音を立てながらぐらつくのだ。
危ないから注意しなきゃいけない、とフィーは思った。
食堂に膝と両手をつき、イウスは呆然と床を見つめていた。
敗者となったイウスへの視線は冷たかった。
「けっ、何が疑惑だよ」
「この状況にトドメを刺しやがって!」
少年たちはそんな言葉を投げながら、水場へと向かった。
イウスは反論することなく、ただ虚ろにその場に留まり続ける。
そんなとき、ふと正面に誰かが立つ気配がした。
「さっきの勝負、すごく男らしかったよ。だから、はい、僕はイウスに男らしさポイントを投票するね」
少年にしては少し高めのきれいな声がイウスにかけられる。
顔をあげるとやさしく笑ったレーミエが、床にしゃがみ込み視線を合わせ、ポイント投票用の紙をそっと差し出していた。
それにイウスは目を見開く。
「レーミエ、それは……お前……」
そこに書かれた数字は160ポイント。一見、少ない数字に見える。
でも彼は投票用のポイントはすぐに人にあげてしまい、いつも終盤ではまったく投票用のポイントが残ってないのだ。だから160ポイントというのは、彼が自分のポイントからイウスに譲渡した分だった。
東北対抗剣技試合で活躍し、躍進するかに思われた彼だが、中堅だったという順番が災いし、ゴルムス、クーイヌに活躍の印象を奪われ、さらに打ち上げをはさんだことにより、みんながポイントを投票するのをわすれてしまった。
それでも彼の活躍を覚えていた少数の人間から与えられたのが160ポイント。それは彼が持つポイントのすべてだった。
最下位を脱出できるかといったら微妙。でもいままででは最高得点で、もしかしたらという数字だったのである。
でも、それを譲渡した今、彼がもつポイントはゼロだった。
「いや、だめだろ! それを渡したらお前、今回もまた最下位になっちまうぞ……!」
いまフィーの行動により、各人のポイントは大幅なデフレ状態だった。160ポイントでも十分に最下位を脱出できる可能性がある。
いや、自分がヒースに全てをのポイントを奪われゼロに落ちた以上、放っておけば最下位は脱出できたはずだ。
なのに……。
止めるイウスに、レーミエが返してきた答えはまったく別の言葉だった。
「あのね……、ぼくヒースの気持ちが少し分かるんだ……」
その優しい目つきに少し影を落とす。
「ずっと女の子っぽいとか、情けないとかまわりに言われてて、それがコンプレックスで。性格もこんなだからさ、すごく自分に自信が無かった。だから何か自分が誇れるものが欲しくて、いちばん得意だった長距離走をがんばりはじめたんだ。ずっと前にね。
ヒースだって悪気はないと思うんだ。きっと何かコンプレックスがあって、だから何かになりたいってずっと思ってて……。それが手に届く位置に来てしまったから、無我夢中で掴もうとしちゃっただけ。
僕もね、ゴルムスに負け通しのころに、一回、勝てそうに見えたときがあったんだ。見習い騎士になってわりとすぐのころに。そうしたらあとの訓練のことなんて忘れて飛ばしちゃって―――」
レーミエはちょっと情けなさそうに笑った。
「結果は散々だったよ。途中で体力が尽きて10位まで落ちちゃって……」
でも、ヒースのことを語るレーミエの声は暖かかった。
「ヒースもね、きっといまそんな状態なんだと思う。
でも、それで勝ってもたぶんきっとヒースのためにはならないよ……。だから止めてあげたいんだ。でも、今のヒースは僕の言葉を聞いてくれない……。
だからイウス、今日の戦いを見て君ならヒースを止めることができると思ったんだ。もしよかったら、そのポイントも使ってヒースのことを止めてあげてくれないかな。僕たちの大切な友達を」
レーミエはそれからいたずらっぽく笑った。
「それでヒースを止められたら、きっとイウスにたくさんポイントが入ると思うからさ。そのときはさっきのポイントの分だけ僕に返しにきてよ」
絶望していた心に、レーミエのやさしさが注がれ、力が戻ってくる。
それと共に、まだ負けられない、ヒースを止めなければ、という強い意思がイウスの心にも宿っていった。
北の宿舎の信じる男らしさを守るためにも。そしてあいつ自身のためにも。
イウスはレーミエの両手をぎゅっと強く握った。その瞳からは感動の涙がこぼれる。
「ありがとう、レーミエ!お前は北の宿舎の女神だ!」
「えっ……ええ……!? そこは男らしいって言って欲しいんだけど……」




