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ゼファスの邸宅の一室。トマシュ王子が眠る部屋。
そこにロイの姿があった。フィールの姿はない。もう帰る準備をしなければならないからだ。
ベッドの上で眠るトマシュを見つめるロイの表情はいつも通りに見えるが、彼をよく知る人たちが見れば少し険しくなっていたのがわかるだろう。
すでに帰りの支度を終えたロイは、その格好のままトマシュのベッドの横に立ち、その顔をずっと見つめ続ける。
「何か困ったことがあったら俺に言えといっただろう……。頼りすぎたくないといっても、死にかける前に連絡ぐらいしろ……」
口から漏れでた言葉は友への恨み言だった。
「トマシュ……」
目をつむった眉間には苦しそうなしわがよっていた。
「フィール王女との結婚は俺が何をしてでも実現させてやる。だから早く目を覚ませ。フィール王女が待っているぞ……」
ロイは反応を返さないトマシュに、そう告げると、部屋を去っていった。
フィールと国王のゼファス邸宅訪問は何も起きずに無事終わった。
これからまた第一騎士隊の護衛を受けながら王都のほうに戻る。
事情を聞き終えたフィーも行きと同様、帰りもフィールの乗った馬車を護衛する。
邸宅を裏側から出るとき、隣にはクロウの姿もあった。クロウは第一騎士隊と連携して屋敷の警護にあたっていたのだ。
「そういえばクロウさん」
「ん、どうした?」
フィーはクロウに事情を聞いたときに、ちょっと気になったことを今さらながら聞いた。
「クロウさんってロイ陛下とすごく仲が良いんですね。呼び捨てにしてましたし」
その言葉にクロウはぎくりとした。
またしてもロイとイオールを混同して話していたことにようやく気づいた。普段はそれなりに使い分けられるのだ。なのにヒースの前ではどうにも気を抜いてしまうようだった。
実のところ話してしまってもいいのだ。イオールの正体がこの国の王であるロイだということを。
でも、一応騎士になるまでは秘密という話になっている。
「あ……ああ、まあな」
クロウの反応にさすがにフィーも怪しいところがあるのはわかる。
でもフィーは追求しないことにした。フィーにも秘密はあるし、クロウさんたちにも秘密はあるだろうから。
それに彼らはフィールを守るために動いてくれてるのだ。
あまり印象が良くなかった王も、妹のことを守ろうとしてくれていることがわかった。
自分が酷い扱いをうけたことについては許す気なんてないが、妹のことについては感謝しなくちゃいけないな、と思った。
そうしてフィーたちはゼファスの邸宅を去っていった。
ロイとクロウは王宮にもどって話をしていた。
「道中、特に怪しいものは見つからなかったぜ」
「そうか、こちらも問題なくフィール王女とトマシュをあわせることができた。ずっと落ち込んでいたみたいだが、少しだけ元気になったと侍女が言っていた」
「そいつはよかった。たぶん生きてる姿が見れて安心したんだろうな……」
話していると、廊下の向こうから人が歩いてくる気配がした。
二人は口を一瞬閉じ、話を切り替える。
「そういえば見習い騎士たちの長期休暇だが、予定通りの日にちでいいか」
「ああ、問題ない」
コツコツという規則正しい足音。
その響きがロイたちの近くまでやってくると、中年の細身の男性がそこに姿をあらわした。
年のころは40前半ぐらい、しかし苦労したのか顔に刻まれたしわが、時折かれを老けて見えさせる。固そうなまぶたの下にある、ほの暗い灰色の目の色は、どこか彼に陰気な印象を与えていた。
彼はきっちりとした臣下の礼でロイに挨拶をすると報告をする。
「陛下、南部のアステオール地方の治水事業の視察を終えてきました。いまのところ、うまくいっているようです。夏の大雨の季節ものりきりました。このまま安定するなら、農場地帯に転換することもできるでしょう」
「ありがとうございます、叔父上」
彼はこの国の宰相だった。名をゾォルスと言う。
そして先代の王の弟であり、ロイにとっては叔父にあたる人間だった。
ゾォルスの経歴は少し異色だった。
彼はロイの父の弟に当たる人間だったが、ほとんどその人生においてオーストルにいたことはない。10歳のころから勉強という名目で、国外を転々とさせられてきた。
祖国の土を踏むのは数年に一度あるかないか。
その扱いは先王が死んでも続いていた。あまりにも国外に長くいすぎて、誰もが忘れ去っていたのだ。彼の存在を……。
それを呼び戻したのはロイだった。
あらゆる国を旅して得た知見や知識、そして当人の優秀さは、政務に興味をしめさず暗愚だったと今では評価されている先王とは比べ物にならなかった。
先王が残した負の遺産から国を建てなおす為に、ロイはゾォルスに協力を仰ぎ、外交や内政において力を貸してもらっていたいと思った。
王位を継いだ当初はゼファス周辺の騎士頼みで政治を立て直すしかなかったロイにとって、貴重な優秀な文官になりえる人物だった。
なんとか今の文官と騎士たちを分けた状態での国の体裁を整えられたのは、ゾォルスがいたおかげだとロイは思っている。
ゾォルスは神経質そうな眉をしかめると、ジロッとクロウのことを睨んだ。
クロウがあからさまにげっとした顔をする。王家と付き合いの深かったクロウにとって、ゾォルスは数度ばかりだが子供のころに会ったことがある人物だった。
そしてその印象とはいえば……、苦手の一言である。
「クロウ君、君には再三注意したはずだが。いくら幼馴染とはいえ、ロイ国王陛下と君は君主と臣下。とるべき態度や話し方というものがある」
「す、すぃません……」
子供のころにも会ったことがあるのだが、やたらと礼儀にうるさいのだ。
クロウにとっては一番、苦手なタイプの人間だった。いまでさえ自覚があるのだが、謝る態度がちょっとだらしない感じになってしまった。
そして案の定、ゾォルスの気に障ったらしい、その眉がぴくりと動く。
「君も騎士として国に入り、国王の臣下として勤め上げてきたのだろう。君も―――」
ゾォルスがそういいながら襟に手をやったとき、いつもの口癖と説教がはじまることをクロウは悟った。
「ほんとすいません!すいません!じゃ、じゃあ、俺ちょっくら街にいくから!じゃあなロイ!」
まったくゾォルスの説教を反映できてない態度で、クロウは逃げ出した。自分でも大人になってこれはさすがにどうかと思うが、あまり貴族に向いてないのだと思う。かといって公爵の息子でもなければ、無礼者として打ち首だろうか。なんとも微妙なクロウの立ち位置だった。
その後姿をゾォルスはため息を吐きながら見送る。
「クロウはああいう奴です。私は気にしてません、叔父上」
クロウを擁護したロイまでも、ゾォルスはまた暗い色の灰色の目でぎろっと睨んだ。
「陛下、あなたもです。私はあなたの臣下です。たとえ血縁関係では叔父に当たろうと、臣下として扱っていただきたい」
しかし、ロイの方はロイで、何度そう言われても態度を変えることもなかった。
「私にとってあなたは宰相である前に叔父に当たる方です。態度を変えるつもりはありません」
ロイは彼を尊敬していた。まず肉親として。
その返事にゾォルスはため息を吐いた。




