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フィール嫁入り前の話です(本編開始より前)
その後、フィールは工房の一室で一緒に来ていたリネットと過ごしていた。
わざわざフィールのために用意したのか、部屋の中にはソファやテーブルなど高級な家具が準備されていた。
「もうすぐ移動の馬車が参りますので、フィールさまはゆっくりしてください」
リネットがそういいながらお茶をいれてくれた。
今日はカランド王国の名産である陶芸品を見学するために、パーパオゼの工房を訪問するという予定だった。実際に陶芸品を作ってみるという予定も終わり、この後はカランド王国の王城に招かれて夜会に参加することになっている。
いろんな人たちに囲まれて疲れたことを察したのだろう。リネットは侍女も側仕えの自分だけが残って人払いをしてくれた。
リネットのいれてくれたお茶を飲みながらほっと一息つく。
パーパオゼとトマシュ王子があの場を立ち去ったあとも、まわりに残った大臣や王子たちから頻繁に話しかけられて正直つかれてしまった。
しばらく休んでいると、外からノックされ女官らしき人間が顔をだした。
応対にでたリネットが女官から何か聞かされると、リネットは振り返ってフィールに言った。
「すいません、迎えの馬車が故障してしまったようです。ちょっと私も様子を見てきます」
そういうとリネットは外にでてしまった。
フィールは部屋にひとり取り残される。
お茶を飲み終え手持ち無沙汰になっても、リネットは戻ってこない。
しばらく大人しくしていたあと、さすがに退屈してしまったフィールは部屋の外が気になった。フィールはちょっと工房を歩いてみようかと思った。
フィールが来るということで、工房自体に厳重な警備が敷かれている。フィールが部屋の外にでても問題ないはずだった。
フィールが扉を開け外に出ると、みんな馬車のほうにいってしまったのか工房にひと気はなかった。
フィールは無骨な内装の工房の中を、適当に歩いてみる。
フィールとしてはあまりない経験かもしれない。いつも回りに人がいたし、行く場所も決まっていることが多いから。
石畳の廊下を歩いて行くと、扉が少し開いた部屋を見つけた。
中を覗いてみると、窓から入ってくる光でほんのり薄暗く、誰も中にいないのかとても静かだった。
フィールはなんとなくその部屋に入っていく。
入ってみると、たくさんの棚がならんでいて、いろんな形の陶磁器が置いてあった。
白い綺麗な花瓶や、絵の描かれた皿や壺。どうやら完成した作品が置かれている場所らしい。
フィールはなんとなくその作品を眺めながら、部屋の中を歩いていく。
そんなとき、ふいに後ろから声がかかった。
「ふふ、気に入った作品はあったかい?」
ちょっとびっくりしながら振り向くと、後ろに立っていたのはトマシュ王子だった。あのエプロン姿で笑顔を浮かべこちらを見ている。
「は、はい。とても美しい作品ばかりで、パーパオゼさまが素晴らしい職人でいらっしゃることが実感できました」
その答えは百点満点の回答のはずだった。
なのに、なぜかトマシュ王子は、何かに受けたようにくすくすと笑ってから、目じりに涙を溜めて楽しそうに謝る。
「ごめんね。パーパオゼ師匠は腕は良いんだけど、どうにも権威に弱いところがあって、身分の高い人相手だとああなっちゃうんだよねー」
トマシュ王子は謝りながら楽しそうに笑う。
フィールにだって分かる。あのフィールの作った珍品の件を笑っているのだ。
ちょっとフィールだってムカッときた。
顔にはださないけど。
抗議がわりに黙りこくると、トマシュ王子は何か作業をはじめた。気になってちらっと見ていると、どこからか土を取り出し混ぜ合わせはじめる。
それはやがて、フィールが最初に陶器を作るときに使った粘土になっていった。
「何をしてるんですか……?」
フィールがついつい気になって訊ねると トマシュ王子はそれをこの部屋にもあったろくろの上にどんと置く。そしてにこっと微笑みかけた。
「癒しの巫女さまは自分の作品の出来にご不満だったようだからね。良かったらもう一度作ってみない?今度はちゃんと僕が教えてあげるよ」
「えっと……」
フィールは戸惑った。
だってこれは役目でも仕事でもない。それにドレスなんかを汚したら、リネットに迷惑をかけてしまうかもしれない。
でも、パーパオゼはフィールに遠慮していたのか、あんまり詳しいやり方を教えてくれなかった。
戸惑うフィールの後ろにまわって、さっと何かをフィールの前にかけた。
「えっ……?」
それはエプロンと作業服が一体になったようなもの。前から袖を通して後ろで紐を結ぶようになっている。
「大丈夫。これさえ着ておけばドレスは汚れないよ」
そういうとトマシュは強引に、というよりはもうフィールがやることが確定しているかのような、自然に感じてしまうぐらいの動作でフィールに作業服を着せていく。
フィールもついつい手を出して着てしまった。
そこでフィールの心もようやく決まる。
「じゃあ、ちょっとだけ……」
そうしてフィールは指示された通り、トマシュが用意してくれた粘土の前に座った。
「それじゃあ、まずはリラックスしてみようか。そう気張らずに肩の力を抜いて。まずは深呼吸してみよう」
「は、はい……」
それからフィールはトマシュに教わりながら、もう一度陶器をつくっていく。
「そうそう、やさしい手つきで触ってあげて。まわす速度はもうちょっと速くていいよ」
「はい」
フィールは真剣な表情で、ろくろを回しながら粘土を陶器の形にととのえていく。
「姿勢に気をつけてちょっと曲がってきてるから」
「はい!」
トマシュの教え方はやさしく、細部まで行き届いていてわかりやすかった。教え方はパーパオゼよりも上手かもしれない。
そして20分後、フィールの前には綺麗なカップの形ができあがっていた。
「できたぁ!」
その形は綺麗ですべすべでしっかりとカップの形をしていてフィールも満足のできだった。思わず笑みがもれてしまう。
これを自分が作れたなんて信じられなかった。
すると隣からくすくすとしたもう聞きなれてしまった笑い声が聞こえてくる。
「癒しの巫女さまにもご満足いただけたかな?」
「あの……」
フィールは俯いてトマシュの顔を見上げながら言った。
「癒しの巫女じゃないです。フィールです」
そういってからフィールは自分が何を言ってるんだろう……、と思った。
でも、トマシュはすこしきょとんとしたあと、にこっと笑って言った。
「ああ、ごめんよ。フィール」
そのとき、廊下の側からリネットの声が聞こえてきた。
「フィールさまぁ!どこにいらっしゃるんですかー!」
しまった、馬車の準備ができたのだ。
行かなきゃ、そう思ったがフィールはあっと立ち止まる。
カップの形はできたけど、まだ焼けてないのだ。これじゃあ持ち帰ることができない。
物欲しげに作りかけのカップを見たフィールの視線の向こうで、大きな手がそのカップを大切そうに持ち上げる。
「大丈夫。これは僕が焼いて君のもとにちゃんと届けてあげるよ。せっかくのフィールが作った作品だからね。それより手を洗ってはやくいってあげないと、侍女の子が心配するよ」
「は、はい!」
フィールは水場で手を洗い廊下にでると、自分を探しているリネットのもとに駆け寄る。
「ごめんなさい、リネット」
「フィールさま、どこにいってらっしゃったんですか」
「あの……、ちょっとお散歩を……」
「わかりました。新しい馬車の準備ができたので、カランド王国の王城に向かいましょう」
「はい」
馬車の方に向かうとき、フィールが一度振り返ると、エプロンを掛けた変わり者の王子が大切そうにカップを胸に抱えながらにこっと手を振ってくれた。
二週間後、フィールはデーマンの自室にいた。
そんなフィールのもとにプレゼントが届けられる。とはいっても、フィールのもとには毎日、貴族や隣国の王族たちからたくさんのプレゼントが贈られてくるのだけど。
お付の侍女の一人が、小さな白い箱を手に持ち誰から送られてきたのかを読み上げる。
「フォルラント王国のトマシュ王子?」
「ほとんど付き合いのない小国の王子ではありませんか」
「箱も小さいですね。宝石かなんかでしょうか」
箱を持ちながら口々にそんなことを言った侍女たちは、箱から顔を離した瞬間、飛び上がりそうになった。
フィールさまがいつの間にか立ち上がって、自分たちの前に来ていたのだ。
「あの……それを……ください……!」
普段の流麗な口調ではなく、興奮したような途切れ途切れの言葉遣いで、フィールは侍女たちに手を差し出す。数秒たってようやく、侍女たちは箱を渡して欲しいのだときづいた。
恐る恐るそれを差し出した侍女たちから、箱を受け取るとフィールは彼女にしては早足で座っていた椅子にもどり、すぐに箱を開けだした。
手つきはどこかもどかしそうだった。
その姿にはリネットも驚く。フィールさまはあまり贈り物に興味をしめしたことはないのだ。一応、貴族や王族たちとの付き合いのために、侍女たちにあけてもらって中身は確認しておくけど。
もどかしげにフィールが開けた箱の中からでてきたのは、一客のティーカップだった。
それを見て、お付の侍女たちは口さがなに話す。
「ただのティーカップですか?」
「あまり高価でもなさそうですわ」
「まさかあんな粗末なものをフィールさまに送るなんてトマシュ王子ってどんな方なのかしら」
そんな彼女たちの前で、フィールはカップを取り出したあと。
いきなり駆け出して、どーんっとベッドに飛び込み、足をじたばたさせてベッドの上を転がった。
「フィールさま!?」
「ど、どうされたのですかフィールさま!」
「いったい何が!」
いままでフィールが取ったことのない動作に、お付きの侍女たちは混乱する。側仕えのリネットですら目を丸くしてしまった。
そんなフィールの胸元には大切そうに白い綺麗なティーカップが抱きかかえられていた




