顔見せ五千円の男とオリジナル人相学
面の良さを売りにして何が悪い。
薫は度を過ぎた美形を五千円で売っている。顔見せ五千円、たった一文だけのXアカウントから顔見せの依頼を請け負っている。
PayPayで五千円が送金されたのを確認してから、客に会う日時を指定した。
会うのは大抵、チェーン店のカフェの片隅だ。
薫はキャップを深く被り、マスクで顔の半分まで覆い、豊中市のマンションから新大阪まで移動する。
ルクアイーレのタリーズでアイスコーヒーを買って、店の奥に座る。
約束の時間の十一時半。五分過ぎたのを確認して、イラッとする。
嫌な予感が当たったかもしれない。
『あらそうなの、PayPayしか無理なの。それってどうやるか教えてください、私機械はあんまりなものですからトホホ』
句読点のない文章から、この人物がまくし立てるように話すのが想像できる。人相占いをしていて、「勉強のためにお顔を拝見したいです」という理由はええやん、と思っていた。だが、薫はニンテンドースイッチ2が欲しくて、早くお金が欲しいと焦っていた。
顔見せ五千円はSNSで宣伝しているが、基本は口コミ式で秘密裏にこの小遣い稼ぎは成り立っている。興味本位で依頼をしてきたDMに「隠し撮りはしない、ネットに会ったこと・顔の感想を書き込まない、返金しない」を約束させ、それを守ると誠意を見せた者のみに対応する。
誠意はあった。PayPayをすぐ理解して送金も早かったが、何か嫌な予感がする。
薫は客のDMに「到着しています。お待ちしております」と送信して、アイスコーヒーをズビッと飲み込む。
「あなたねー、遠くからでもわかった。全身からイケメンオーラ出てるじゃない。ほんまシュッとしてはるわぁ。あ、ごめん、ドリンク買ってくるわ。えー、何にしよかな」
やたらでかい、いろんな猫の顔がびっしりプリントされたカバンを薫の目の前に置いて、おばさんはカウンターへ行く。
薫はスマホをテーブルに置いて、顔を手で覆う。
十五分待たせといて、ごめんなさいも言わんのか。
あかんやつ来てもたー。
「お待たせお待たせ。悩んだけどカフェオレにしたわ。それでこれ、あれよ。さっきそこでおいしそうなカヌレあったんよ。はい、どうぞ」
おばさんが白い包みを薫の前に置く。
いらんねん、カヌレ買ってる場合か。約束の時間にはよ来いや。
「…………いや、いいです。で、もう顔見せますから、ちゃんと見といてください」
薫は言って、キャップを外した。
女性は頬がふっくらとして、くっきり二重の大きな目に、目尻のシワが深い中年。白い麻のジャケットに花柄のワンピース、茶髪のパーマでアイラインとチークが濃い。きらきらした目でおばさんはテーブルに身を乗り出して、薫を凝視する。
タイムウォッチ、スタート。顔見せは十分まで。
おばさんは薫の顔を見て、しきりに頷きながら「なるほどねー、なるほどそうねぇ、そうねぇ」とうるさい。こいつ美術館でもぺちゃぺちゃうるさいやろ、黙っとかれへんのかいと薫の眉はピクピクする。
「はい、終わりです。どうもありがとうございました」
薫はマスクをつけて立ち上がろうとした。
「わかった、あなた肺の病気で死ぬわね」
おばさんが言う。
「あぁ?」
薫はキャップをかぶろうとした手を止めて、おばさんを睨んだ。
「私のオリジナルの人相学によると、あなたは肺の病気で死ぬわね。タバコをやめなさい。静岡の茶畑の良い空気を吸うといいわね。いっそ静岡に引っ越しなさい。大阪って空気悪いじゃない」
おばさんはまくしたてる。
「はぁ? なんやねんオリジナル人相学って。それ占いやなくて個人の感想やろが。言うに事欠いていきなり死ぬとかなんや」
薫はどかっと椅子に再び腰をおろし、おばさんを指差して言う。
「私が考えた私による人相学よ。私ね、スナックのママやってていろんな人と接してわかったのよ。顔にはその人の性格、健康、死に方までわかるって。顔がきれいだとかブサイクだとかかわいいとかかっこいいとか関係ない。人は死ぬ。その死を見るのがね、私はできるのよ」
おばさんがそう言ってニッコリ笑う。
「死神か、あんたは。人は死ぬって当たり前やし、そんな適当な人相学で人の死に方決めるな。僕の顔のどこが肺病で死ぬん、言うてみろや」
「そうね、鼻筋が細いからだわ。空気を一気に吸い込めないわね。そして顎も細すぎるのよ。無呼吸症候群って小顔の人もなりやすいのよー、気をつけなさいねぇ」
おばさんはテーブルの上で手を組み、滑舌のよい早口で微笑みをキープしたまま話す。
「空気は口からも吸えるやろ。…………無呼吸症候群は、それ聞いたことある」
「あなた、口もそんなに大きくないじゃない。口の形はいいけど唇薄いのよね、そういう人ってあんまり人と話をしないのよぅ。ダメよー、人間って自分の気持ちを人に伝えないといけないわぁ」
薫はマスクの下で、あんぐりと口を開ける。
人と話さない、当たっている。薫は極度の人嫌いで友達はいない。
父、母、弟の三人、世界を放浪している旅人の親友、この四人とのみしか薫はまともに話さない。
「あなた、この仕事だけで食べてるわけじゃないでしょ。下まぶたがふっくらしてるから、あなたおじいさんのお陰で生活できているみたいね。縁の下の力持ちの、力もらってるから下まぶたふっくらなのよ。かわいいと周りから言われる子にありがち。あと耳はきれいな形だけど、人相学的にはやっぱり副耳がいいのよ。あなた右耳だけちょっと耳たぶが外に向いてるから、こうして人と会って話を聞くことで幸運があるわ」
おばさんはなおも表情を変えずベラベラ話す。
なんで当たってるねん。
薫は祖父から相続した立地の良い駐車場の収入源で生活している。
このおばはん、何者や。
薫はタバコが吸いたくなる。混乱するとタバコをくわえたくなる。
「あ、またタバコのこと考えてるわね。ヘビースモーカー、ダメよ。せめてタールの低いタバコ吸いなさい。あ、それから瞳の虹彩から見て何か小さなペットを飼ってるわね。小動物好きの目の虹彩ね。あなたペットの前ではタバコ吸わないみたいね。だったら飼う小動物を増やしたら健康にいいわよ」
なんでやねん、また当たってる。
薫はハムスターのチェリーちゃんを溺愛していて、タバコの煙でチェリーちゃんの健康を損なわないため、いつもベランダでタバコを吸っている。
たった十分間で目の虹彩まで確認されたのか。
「そしてあなた長男ね。男性は鼻の形で長男かそうでないかわかるの。頬の小さなホクロは運が上がってるみたいだから意識した方がいいわよ。あと、そうねぇ。長いまつげが特にこの顔を見せる仕事では意識して、まつ毛美容液塗るといいわね」
「も、もういいですって。わかった、あんたの人相学がすごいのはわかった。なんかもう怖い、やめて。これでおしまい、それじゃ」
薫はキャップを被り立ち上がり、席を離れようとしてスマホをテーブルに忘れたことに気づき、一度戻る。
「これも忘れているわよ」
「あ、どうも」
薫は足早にタリーズコーヒーを後にした。ルクアイーレのエスカレーターで、いらないと言ったカヌレを持たされていることに気づいた。
まつ毛美容液。
ルクアのコスメショップについ立ち寄ってしまう。
別に顔見せ五千円でそこまで稼ぎたくない、これはあくまで小遣い稼ぎなのに。
デニムの右ポケットにまつ毛美容液とスマホ、左のポケットには無理やりねじ込んだカヌレ。
帰りの電車でも、薫の鳥肌は止まらなかった。
「オリジナル人相学」なんていうインチキ臭いのに、当たってるなんて。あのおばさんに顔を見せるだけであらゆる個人情報を引き抜かれるなんて、クレカ詐欺にあったぐらい怖い。
カヌレは、とても美味しかった。




