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58頁目「災厄の予兆」

 マルエル達が過ごしている街の遥か北東。人里離れた森林に鎧を纏った300人余りの騎士が留まっていた。



「目標、行動を開始しました。班長」



 騎馬の紋章が刻印された鎧を身につけた騎士がある男に声を掛ける。男はたむろする不良のような座り姿勢で口にくわえた煙草を指に挟み、煙を吐きながら口を開く。



「魔術班の迎撃準備は整ってるんだっけか」

「はい。目標が見え次第術式を発動する手筈だと」

「はん、そんな指示だったのか。おっけおっけ、了解了解」



 男は煙草を地面に押し付けて火種を潰し立ち上がる。欠伸をかみ殺そうともせず大口を開けながら、傍らに置いていた鞘に収められたままの剣の柄に指をかける。



「魔術班に伝達。もうぶっぱなしていいぞ」

「は? しかし、まだ目標の姿は見えませぬが」

「対象を思い出せ、目で見ても分からねえだろ。魔力で感じ取るんだよ」

「魔力で、ですか?」

「分からねえか。まあいいや。じゃあ、俺が小突いてみるから、姿が見えたら即時術式発動って手筈で頼む」

「即時ですか? 上層部からの指示では」「現場を見てねえ老人達の戯言だろ。流せ流せ、ありゃのんびり様子見しながら駆除できる手合いじゃねえよ」



 鞘の先を引き摺り、地面に跡を残しながら班長の男が木々の隙間を進む。そしてある程度進んだ地点で引き摺っていた剣をそのまま背中から前に投げるような挙動で振り下ろした。



「細枝斬り」



 男がそう軽く呟くと、天を覆っていた雲が真っ二つに割れた。

 数秒のタイムラグの後、剣を振り下ろした先の大地が轟音を鳴り響かせて裂け、先の未開拓領域である広大な森林を進んだ先、大陸の端を超えた海の入口までが抉れていった。



「班長!? 突然なにを!? ああなんてことだ、土地の大規模破壊は罪に問われますよ」

「対象の攻撃による破壊って事にしておけ。ほら見ろ、装甲が一枚剥がれたぜ」

「装甲ですか? ……っ!?」



 地殻を切り開いた衝撃で発生した土煙が晴れると、その中から先程まで何もいなかった筈の空間に天を衝く程巨大な龍が現れた。

 龍には三本の角があったが真ん中の角は先の斬撃によって破壊されている。それ以外にも縦一戦に斬撃による傷跡があるが、致命傷にはなっていなかった。



「ど、どういうことだ。姿をくらます鱗か? しかし、奴が現れるまで木々にはなんの影響もなかったはず……」

「光どころか物質すら透き通っていたって所だろ。今のちょっかいでその理屈が破壊されて、姿を現したって訳だ」

「……物質を透過するのなら物理攻撃も効かない筈では?」

「完全に全てを透過するって話なら重力に引かれて星の中心で動けんだろ。斬れたなら殺せるって事だ。それだけ分かればいい。とはいえ、後は壊しすぎるから俺は手出しをしない。任せたぜ魔術班」



 そう指示すると男はまた鞘の先を引き摺りながら後方に下がり木の幹に背を付け膝を曲げて煙草に火を付けた。


 龍は斬撃による負傷が響いているのか、低く唸るだけでその場から動こうとはしなかった。騎士達の一部が詠唱を唱え、木々の間に無数の魔法陣が展開される。



「魔術班、前線班攻撃始め!」



 紋章付きの騎士がそう叫ぶと、一斉に魔法陣から様々な魔法が発動する。それらは正確に龍の巨体に向かい爆発音を連鎖させた。


 しかし、魔法による攻撃は龍には届いていなかった。それらは全て、龍の鱗に接触する直前の何も無い空間で爆ぜている。まるで何か、透明な壁に阻まれているように。



「あれが報告にあった魔力層による防御ですか」

「あぁ。浄域龍(じょういきりゅう)シガギュラドの高密度魔力による対干渉装甲。先程の一撃で破壊出来たかと思っていたが、透明化する能力とは併用出来なかったみたいだな」

「一石二鳥で壊れていてくれれば楽に済んだんですがね」



 前線にいる騎士達が魔法による攻撃で龍を牽制する中、紋章付きの騎士が手を上げ背後で控えている騎士達に指示を出す。



「対龍最上位魔法『滅龍の砲(ヴォルスンガ)』の発動を許可する。術式起動!」



 複数名による詠唱の声。詠唱が終わると、龍の上空に巨大な魔法陣が現れる。


 対龍最上位魔法『滅龍の砲』とは人類が発明した魔法における最高位の攻撃魔法の一つである。


 下位の魔獣である竜は鱗が頑丈なだけで特殊な機能は備わっていないが、上位生命体である龍は頑丈な上に様々な機能を備えた鱗で全身を覆われている。


 龍はそれぞれの個体が強力であり、個として完全な生命として成立するために子を作るのは珍しく、一度生まれた龍は基本的に環境を破壊しながら数千年数万年を生き続ける。その為基本的には災害のように扱われ、退治出来るものでは無いと考えられるのが一般的な認識であった。


 それが近年、ウルという名の人間の魔法使いによって考案された『滅龍の砲』の発明によって龍の完全なる地位は瓦解する事となった。


 滅龍の砲は魔法陣下に存在する龍の鱗を自動解析し、その鱗の機能とは逆相となる魔力によって押し潰すことで機能を無効化し対象を圧殺する魔法である。


 龍が共通して保有する『龍涯(りゅうがい)』という龍の核に呼応する為、無効化能力は龍に対しては例外なく作用し確実に死に至らしめる事が出来る。


 こうして術式が発動し、対象が捕捉された時点で龍は防ぐ術が無くなり確実に駆除される。故に、騎士達には幾らか驕りがあった。


 だがその驕りにより術式の発動に滞りが起こるなんてことは起こり得ない。驕ろうと彼らは人を守護する騎士であり、プロなのだから。



「滅龍の砲、発動!!!」



 紋章の騎士が叫び、班長は耳を塞いだ。


 上空の魔法陣から絶えず色を変える光の滂沱が起こる。龍の姿は虹の柱の中に消え、数分間その柱は地上を照らし続けた。


 騎士達の魔力残量が一定を下回った事で術式は収まる。少しずつ柱は細くなっていき、残された大地には魔力が抉ったクレーターのみが残る。


 残る、ただそれだけのはずだった。



「……あ?」



 いつの間にか、火を付けたばかりの煙草が根元まで燃えていた。


 いつの間にか、裂けていたはずの雲がくっつきかけていた。


 そして、『滅龍の砲』に呑まれ消滅したはずの浄域龍シガギュラドは生きており、いつの間にか前線に控えていた魔術騎士達と同じ横列の位置まで移動してきていた。



「どう、なって」



 紋章の騎士が呟く。

 どうやって『滅龍の砲』を凌いだのか。どうやって空いた距離を一瞬の間に移動してきたのか。主に二つの疑問が彼の頭にあった。



「こりゃあやべえな!」



 班長がそう言って紋章の騎士の鎧を掴み後ろに投げる。既に前線の魔術騎士達は尾と爪で殲滅されていた。龍の口は赤黒く発光し、高濃度の魔力が周囲の木々の葉を揺らし空気を鳴かせていた。


 龍の口から魔力の放出が起こる。班長が鞘を抜き剣で魔力による熱線を受け止めようとするが、熱線は刃を起点として二股に裂けて背後の森をV字に焼き焦がしていく。


 数十人の騎士が巻き込まれ、1秒も経たずに鎧ごと焼失する。後には何も残らない、まるで初めから誰も存在していなかったかのように。


 龍の反撃、それは数十年間人類が忘れていた恐怖であった。



「……俺が戦闘を行う。総員、早急に撤退しろ!」

「し、しかし!」



 言葉が途切れた。それは不自然な途切れ方だった。喩えるなら、映画を見ている最中にシーンを数秒後にスキップしたかのような、同じ次元上の干渉では起こり得ない途切れ方だった。


 いつの間にか班長の剣を持つ姿勢が変わっていた。それはまるで、取ろうとしていた行動の過程を飛ばして結果が先に出力されているようだった。



 ーーまさか。そう考えに至れたのはその場では班長以外に居なかった。



 龍の口からはもう"既に"魔力の再放出は行われていた。意識の乱れにより班長の剣を握る力が弱まっていたせいで、剣は龍の攻撃を相殺しきれず班長の身の一部と、その背後に控えていた騎士達を纏めて焼き払った。



 12月28日。浄域龍シガギュラドの討伐に赴いた騎士の一団の団員およそ280名近くが犠牲となった。その後、残り数名の尽力により浄域龍シガギュラドは一時的な停止状態に陥った。




 *




「という感じなんだが、どうだ? 参加するか?」



 冒険者ギルドの招集に向かっていたヒグンが戻って来ると、物騒な話をしてきた。なんでも、王国最強の武装集団である騎士団の欠片みたいな一派がほぼ全滅にされかけた龍がいるのだとか。


 その龍ってのが、先月にヒグンが「やってみようぜ!」って言っていた龍の討伐依頼なんだとか。ふむふむ、ふーむ。



「ごめんヒグン。怖くてちょっとチビった」

「飲もうか?」

「黙れ」

「浄域龍シガギュラド、めか……」

「フルカニャルリ?」



 話を聞いたフルカニャルリが神妙な顔で腕を組み思考している。



「お知り合いか?」

「知り合いではなく。でも、噂には聞いた事あり」

「噂?」

「うむ。浄域龍シガギュラド、比較的最近誕生した龍種であり、海審龍リヴァイアサンが祖の穏便な龍であり」

「リヴァイアサン? トマス・ホッブズ?」

「なにめかそれ」

「いや。リヴァイアサンと言えば……」

「聞いた事なく。リヴァイアサンはあれめ、聖人や天使が卸す『不朽の奇蹟』を持った唯一の龍で、この星が生まれた時から最近まで海の底にいた龍めよ」

「話の規模デカいなあ」

「しかし、リヴァイアサンの『不朽の奇蹟』は鱗に含まれた機能という形で宿っていたから『滅龍の砲』で無効化できる代物だった。それで退治されため」



 はーん。よく分からんが凄いんだな、その『滅龍の砲』って魔法。まあネーミングがまんま竜を殺した勇者が出てくる北欧のお話のタイトルだもんね。こっちの世界とオレの居た世界のネーミングの互換性どうなってんだコレ。



「神話にも出てくるような龍すら屠れる魔法すら効かなかったとなると、只事じゃない事態めよ? ヒグン、現実的に考えた方がよく」

「現実的に?」

「倒せる確率はほぼほぼ無いという事であり」



 珍しく真面目な顔でフルカニャルリが言う。真面目なんだけど、やっぱり服装はエナメルビスチェなんだよね。モコモコのアウターと相まってちょっと間抜けでおもろい。



「しかし、倒せなかったら龍はこの街を目指しているんだぞ。そうでないにしても、このままでは沢山の犠牲が出る可能性があるだろ」

「あるけど、でもぼくらみたいな木っ端が参加しても勝率は変わらず。あれはそこら辺のゴブリンやアンデッドなんかとは格が違うめ!」

「でも無辜の人々や街が破壊されてるのを黙って見ているだけなんて……」



 ヒグンは葛藤していた。フルカニャルリの言葉は自分達を心配しての言葉だと理解しているからだ。


 仮にフルカニャルリが仲間に加わっていなかったとしたら参加を表明するだろうし、他の仲間が行かずに一人で参加する事となってもヒグンは迷う事なく依頼を受注していただろう。


 まあ普通に考えればそれは何の得もない蛮勇であり、長所か短所かで言えば紛うことなき短所だろう。


 戦う事自体に拘り、勝ち負けに価値を見出さないのは10世紀前後のヴァイキングくらいだ。そんな荒くれ者は長生きなんて出来ないし、時代に淘汰される側である。


 ヒグンは戦う事が好きなのではなく誰かが不幸になるくらいなら戦ってその未来をねじ曲げようって思想の持ち主だ。略奪や侵略を生業としていたヴァイキングとは在り方が異なるが、勝ち筋や道理を置いて身を動かそうとする所はやはり同質としか思えない。


 以前は魔獣にあんなに怖がっていたのに、その最上位種みたいな相手と喧嘩しようとしてるんだもんなあ。どうしちゃったんだろうね、怖いよ最近のヒグンは。



「ヒグン」

「……分かった。僕だけでも参加し」

「駄目であり」

「何故? 三人に参加は強制しないよ、僕は一人で」

「ヒグンが行って死んじゃったらとても悲しいもん。ぼく、多分自殺するめ」

「そうなの!?」「えっ、重。お前」



 ちょっと引いた。真顔で何言ってんのこの餅尻ロリ、後追い自殺とかするタイプなの?


 あ、ちなみにメチョチョはまだ寝ている。招集の時間が普段起きる時間よりだいぶ早かったから、ヒグンだけ向かってオレとフルカニャルリは身支度を整えていたという感じだ。



「ぼくはヒグンの子供が欲しく。ヒグンに、番になってほしいめ」

「ま、またそんな……」

「本気であり」



 わぁお。いつもならヘラヘラしながら言うか、最近なら照れながら言うようなセリフなのに。ここに来てまたしても真剣な顔で言い始めたよ。怖いって。オレめちゃくちゃアウェーじゃん。



「旦那さんになってほしいから、危険な事はしちゃ駄目」

「フルカニャルリ……」

「マルエルだってそう思っており」

「えぇ!? 突然!?」



 突然こっちにキラーパスが飛んできた。全然予測してなかったわ、抜けかけの羽根を抜こうと翼を動かしている最中だったわ今。



「マルエルは、どう?」

「わ、私? 私はまあ……いやでも、まだ私処女だし! お前らだって童貞処女だろ? 今まだこの段階でそんな事考えるのは早いんじゃないかな!」

「じゃあ今夜、ぼくは絶対にヒグンに精子を仕込んでもらうめ。それで糸で縛り付けて、お父さんになるまで監禁する」

「フルカニャルリ!?」

「すごい事言い出してる、もうガンガン行くフェーズなんだなお前……」

「マルエルも今日仕込んでもらうめ」

「はい!?」

「それで、一緒に母親になって、ヒグンに子供を世話させるの。ぼくとの子供とマルエルとの子供、それにメチョチョ。三人を育てるのは大変であり。危険な事に首を突っ込む余裕は無くなるめ」

「いやいや! 何言ってるのさフルカニャルリ、そんなのマルエルは望んでないだろ! なあ!?」

「……」

「マルエル?」



 望んでないだろ、と先手で少しモヤっとする。別に、そんな事はない。そんな事は無い気がする。



「……もうこの際だから言うけど、そういう事は少し考えてたよ。メチョチョにママって呼ばれるようになって、いっそう強くヒグンとの子供が欲しいって思うようになった。……節もある」

「そ、そうなの!? 二人とも、結構僕の事好きなんだな……」

「は?」「こいつマジか」

「え、え?」



 いや、口には出さないけどそりゃもう、もうだろ。ベタ惚れだろ普通に。結構なんてものじゃないだろ、想いを伝えあった後すら鈍感なのかコイツ。


 コホン。一つ咳をする。それはそれとして、だ。



「でも、私はヒグンが龍退治に参加するってんならそれは止めないし、私も着いていくよ」

「本当かい!?」

「おう」

「何言ってるの、駄目だよ! ば、馬鹿めか二人とも! なんたってそんな」

「私はヒグンがおもろそうだから着いてきた。ヒグンが居なかったら目的のない消化試合の人生だったんだ。だからヒグンのしたい方針にはなんでも従うぜ。そういう考えでずっとやって来たからな」

「っ、い、今はメチョチョもいるめよ!? 二人が死んじゃったら、メチョチョはどうなるの!」

「死ななければいいじゃねえか」

「でも!」



 全然納得するつもりの無さそうなフルカニャルリの頭に手を置く。フルカニャルリは驚いたような目でオレを見た後、不安そうな顔をした。



「……ぼ、ぼくは、家族を失いたくないの。もう、一人になりたくないんだよ……」

「ならないって。オレらは死なない、不滅ってやつ」

「……」

「あたちも着いてくよ」



 その時、二階に繋がる階段の方からメチョチョの声が聴こえた。起きて話をある程度聞いていたようだ。



「メチョチョ……」

「あたちはぱぱもままも、フルカニャの事も全員大好き。フルカニャと同じ。同じだから、あたちがお手伝い出来ることをなんでもやって、助ける。だから着いてく」

「そ、そんな、危なく!」

「うん。だから、フルカニャもあたち達を助けに来てよ」

「っ! ぼ、ぼく一人が居ても……」

「妖精の友達とか連れてきたら、きっと生存率? は上がるよ!」



 メチョチョの提案にフルカニャルリはハッと目を見開いた。



「妖精は妖精同士の仲間意識は希薄だけど、希薄だからこそ何となくで協力したりもするんでしょ? あたち達みたいな契約で縛る悪魔と違って、妖精は理が無くてもやるし理があってもやらない事もある」

「そういうスタンスなのか? 妖精って」

「そうめね、ある意味ではマルエルに精神性は近く」

「どういう意味かな」



 なんかバカにされた気がしましたが。行動原理が意味分からない人って遠回しに言われたよね、今。



「……はあ。仕方ないめ」



 メチョチョに見つめられ、フルカニャルリは長く瞳を閉じた後に根負けしたように肩をすかした。討伐依頼の全員参加が決定した。




「それ受けたらいつ移動するの?」

「適時受注可能で現場に着き次第の参加になるからいつでも行けるぞ。既にエドガルさんやフルンスカラ達も現地に向かって戦闘参加してるらしい」

「じゃあ夕方くらいから向かう事にしよう。ぼく、それまでに妖精郷に行って出来るだけ協力を募ってくるめ。もし数が揃えられたら、倒す事は難しくても無力化くらいならできるかもしれず!」

「期待して待ってるよ!」



 ヒグンがそう言うと、フルカニャルリは上着から緑色の粉が入った袋を取り出すとそれを思い切り床に叩きつけた。煙色の煙が上がり、フルカニャルリの姿が消えた。



「え、何今の」

「フルカニャルリの気配が消えた。移動術かな?」

「暖炉を介さずに移動出来るのか。便利だな〜、妖精」



 ヒグン、メチョチョ、オレの順に感想を述べる。

 こう、行動を起こす前に一言欲しかったよね。皆で目を丸くしちまったぜ。

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