28話 ただいま(サリュークレ視点)
埒が明かない。
自分が精霊として高い度合いにある事は自負していた。この程度の魔が少数単体でくれば、大した事はない。
しかし数が異常だ。
倒しても溢れ出てくる。
最初の内こそ、ただただ作業であったものが、その内に間に合わなくなった挙げ句、疲労から判断を違え傷が増えていった。
「……腱が切れたか」
金の剣を落とす。
左腕は力をいれれば動く。親指が伸ばせないのを見ると手首から先がいかれただけのようだ。
出血もあるが動けなくなる程でもない。まだいけるな。
「……」
時間をとるために周囲を水に飲み込ませた。
その間に金の剣を握らせて破いた服を巻き付け縛る。これなら剣は離れない。
魔がさして、貰ったネックレスも外れないよう一緒に巻付けた。綺麗な青色が転がって光る。
「はっ……」
自分でも驚くほど女々しくて笑う。
その青色に唇を寄せて。
ただ想うのは彼女だけ。
「だいぶおかしくなっているな」
水を引けば、まだまだ湧いて出てくる魔の数々。
この屋敷は守ってみせる。
そこに自身の消失があろうとも。
この場所は、この屋敷は、私の願いが叶った場所だから。
「……」
当時の主である聖女ピランセスの元にやってきた見習いは、聖女の中でも有名で話題であり、浮いている女性だった。
聖女間で疎まれていた碧眼を持ち、他とは種が違う転移という力を使い、特殊な御先祖の記憶に影響された変わり者。
けれど、彼女はひたむきだった。
いつも全力で、学ぶ事に真剣で、師匠と呼びつつも、その師匠ですら受け止め包むほどの優しさを持っていた。てっきり冷遇されている故に擦れた者が来るのではと考えていたが、恐ろしいぐらい自分に正直な者だった。
世話役として傍にいる事が常だった私が、彼女に愛着を持つ事にそんなに時間はかからなかった。
彼女の時として強烈な個性が眩しく羨ましかった。
『サリュークレさん』
私の名を呼び慕い、ついて来る姿に満たされるようになったのは、いつからだったか。
今も前も変わらず、よくわからない言葉を使ったり、癒しがどうのと一人笑っている姿は傍から見れば奇妙であるのに、そういったところを超えて仕様もなく惹かれていくのは、ひとえに彼女が自分自身を信じていたからだと気づいたのは、丁度この頃。
けれど、私が自覚する頃合いは彼女の見習い期間が終了する時と同じだった。
「ずっと、」
見習いを終え離れ、定期的な集まりで聖女ピランセスの元へ駆け寄って来る彼女の姿を見られるだけでもいいと思っていた。その傍に立つ精霊達が羨ましく思えていたとしても。
「願っていて、」
貴方が私の名を愛称で呼んで、傍に置いてくれればと。
だから瘴気をそのまま、彼女の元に連れられた時点で私の願いは叶ってしまった。
あの時、あの立場では、抱く事すら憚られる想いが。
「ずっと、貴方の精霊として傍にいて、名前を呼ばれたかった」
くしくも、聖女ピランセスを最悪の形で失うのと引き換えに私の願いは叶った。
誰かの死の上に叶う願いとは、惨いにも程がある。
私は罰せられるべきだ。
ピランセスが亡くなったあの日、最期が彼女に浄化されるなら、本望だと思ったし、最期に彼女を一目見られたなら幸福だったと言えた。だから心にもない言葉を投げて、彼女の反感を買おうと思った。
なのに彼女の選択は私を連れ生かす事。
彼女の宣言通り生かされ、そして甘やかされ、ここまできてしまった。
別れの日が今日、願いが叶ったこの場所を守る為に死ねるなら丁度いいと思う。
「ぐっ」
いよいよ焼きが回ったか。
まともに攻撃を食らうようになってしまった。
片膝をつく。
これ以上の出血では動けなくなる。
見上げれば、まだまだ結界内を覆う魔の数々。
数が減って空が見えてきたが、その多さに劇的な変化は見られない。
けれど、その出来た隙間から光が見えた。
「明けの、明星……」
夜明けを連れてくる光。
白み始める地平線。
あの日、彼女と見た輝き。
その光は向かってくる魔によって遮られた。
腕は上がらなくなっていた。
「そうか」
終わりはこうも呆気なく来るのか。
諦めて最期を迎えようと受け入れた時だった。
「サリュ」
「……エクラ」
これが俗に言う走馬灯を見るというものか。
最期に彼女の声を聞けるなら、それもいい。
「サリュ、手を」
最期なら、触れてもいいのか。
本当は生きている貴方に触れたかった。
我ながら驚く程、意気地のない事を考える。
それでも彼女の手をとってしまう。
とってはいけないと分かっていっても最期だけでも触れたかった。
「!」
ぐいっと強い力で引き寄せられる。
驚く最中に、触れた手の温かさだけがとても優しかった。
初めて瘴気を払われた時と同じ温かさだった。
嘘だと思いたかったのに、事実として認識する程じわりと嬉しさが滲む。
「……おかえり」
ひどく優しい声音に胸が締め付けられた。
私の覚悟はこうも簡単に瓦解する。
彼女のたった一言で、生きたいと思えてしまう。
ずるい人だと思った。そしてそれに甘える自分もずるいと。
それでもその一瞬に縋らずにはいられない。
「…………只今……戻りました」
暗くなる視界の中で、彼女が私の名を呼んでいる。
遠い昔、精霊という存在はそもそも形がなかったはずだった。
いつから人の形や動物の形をとるようになった?
あの少女は人でありながら精霊だった。私と同じ水の性質を持った者。
だから水の上を自由に歩けた。
彼女の心内はよく知っている。
何度も不幸に遭い痛めつけられ、悲しみに暮れているような娘だった。
悲しみがいつしか世界すらも否定するようになる。そういう未来があるはずだった。
「……夢か」
目が覚めると見た事のない天井だった。
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