55話「不吉な影」
大聖堂からしばらく移動した俺たちは、愛理の館のある区画までやって来た。
この辺りは基本的にお金持ちの住む地区だ。
貴族とか豪商とかのセレブタウン。
住んでるだけでステータスになるような場所。
こんなとこに建ってる館を王様からもらえるんだから、愛理の奴ほんといい扱いされてるよな。
でもまぁ、そのセレブタウンも今はひと気が無い。
居るのはむしろ妖魔ばっかり。
あちこちの建物の屋根の上とかにとまってて見張りみたいにしてる。
俺たちはそいつらを避けて移動中だ。
裏路地とか建物の陰とかをこっそりと、な。
でも実はこれ、そんなに難しいことじゃない。
何せ大通りからクシャナさんが正面突破してる最中だ。
そっちの方の妖魔の鳴き声に呼ばれて、こっちの見張りたちも次々に集まっていってる。
だから俺たちはかなり楽に動けてるってわけ。
クシャナさんの陽動がかなり効いてる証拠だ。
まぁ、陽動って言うか主力でもあるけどさ。
とにかく俺たちは無事に愛理の館のすぐ側までたどり着いた。
あとは中に入れば愛理に会えるはずだ。
たださすがにここまでくると妖魔がいっぱい残ってるから迂闊には近づけない。
クシャナさんからも無茶せずに大人しく待ってるように言われてるからな。
こっそり様子を覗うくらいにしとこう。
「さすがに結構荒らされてるな。敷地を囲ってる壁があちこち崩れてるし、戦闘の痕跡がひどい。妖魔の死骸の数からしても、相当激しく戦ったみたいだ」
愛理の館は個人の家としてはかなりデカい。
建物も立派なら、その前に広がってる庭だってちょっとしたサッカー場くらいはある。
ほんとなら壁で外からは見えないんだけど、今はあちこち壊されててここからも中が丸見えだ。
しかも見える範囲だけで数えても、死んだ妖魔の数は20とか30とかだ。
「それにしても殺風景な庭だったのね。せっかくだし花でも植えて庭園にすればよかったのに」
白夜の言う通り、今はともかく普段のこの庭は、ぶっちゃけ何も無いただの広場だ。
一面の芝生にはなってるけど、草とか花とかは端っこの方の花壇にちょっと植えてあるだけ。
それも錬金術の研究に必要だから育ててるだけらしい。
「前にも似たようなこと言ったんだけどな、虫が湧くのがいやなんだってさ」
こんなファンタジー世界に住んどいて何が虫がいやだよ。
クヌギ植えろよ。カブト育てろ。
「それはちょっと分かるけど、せっかくの庭がもったいないわね」
「だがこの有様じゃ全部だめになってたさ。諸神君。庭の中に色々散乱しているあれが天能寺君の錬金術か?」
「だと思うよ。はっきりとは分かんないけど、どうせ罠でも仕掛けてたんだと思う」
いくら愛理の庭が元は殺風景だったにしろ今はひどいお祭り状態だ。
たとえば地面から鉄の氷柱みたいなのが地面から生えてたりする。
他にも犬っぽい形した鉄の鎧みたいなの(自動人形的なやつ)の残骸が転がってたりとか。
愛理は基本研究者だからな。
戦いになってすぐ攻撃に使えるような錬金術はあんまり持ってない。
その代わり罠を仕掛けたり番犬ロボットを開発したりして工房の防御を固めてた。
デイドリームもそうだけど、罠好きだよな、みんな。
「なるほど、たしかに錬金術だけじゃなくて色々と才能にあふれてそうだな。あそこには戦車まである。撃破こそされてるが、結構しっかり作ってあったみたいだ」
獅子雄中佐の視線を追いかけると、たしかに戦車が一台あった。
上から攻撃されたらしく、庭の中で動かなくなってる。
あいついつの間にあんなもの作ったんだ?
前にここに来た時はあんなの無かったし、作ってるって話もきいた覚えがない。
俺に内緒にしてたのか?
「ともかく、妖魔たちを近づけさせてないんだからたいしたものだ。問題は僕たちも近づけないってことだが」
そうね。
たぶん、今庭に入ったらひどい目に遭うと思う。
たとえば、庭の真ん中あたりで地面から生えた巨大鉄氷柱に串刺しにされてる妖魔みたいに。
まぁ、あれだ。
クシャナさんが来たら愛理に罠を停止するように伝言を頼もう。
あの人なら狭間を移動して館の中に出れるからな。
それまでもうちょっとここで――
「ん? なんだ、あれは?」
俺たちが様子を覗ってると、愛理の庭に妙なものが現れた。
それはなんていうか、ひと塊の黒い霧みたいなものだった。
どこから来たのか分からないけど、気付いたら庭の中を愛理の館に向かって移動してる。
空中を流れるように動いてる様子は妙に現実感が無い。
でも確実に存在してる。
なぜなら愛理の罠が反応したからだ。
館の壁の一部分に魔法陣が浮かんで、中央から細長い鉄の杭が飛び出した。
一直線に伸びた杭が霧に直撃。
でも霧だけに実体が無いらしく、杭は貫通して地面に突き刺さった。
そのあとも何個か罠が作動したけど全部無駄。
靄は止まることなく玄関までたどり着いた。
「なんなんだ、あれは……?」
獅子雄中佐は露骨に戸惑ってる。
でもそれは俺も同じだ。
あと白夜と緒方大尉も。
玄関のドアの前で止まった霧から一本の黒い手が生えた。
そこだけ霧の密度を高くして形を作ったみたいな腕。
そいつがドアを手の平で突くと、ドアはあっさりぶち破られた。
「なんかちょっとヤバいかも……」
開いた扉から中に入っていく霧。
あれはどう考えても愛理狙いだろ。
俺は慌てて世界転移能力を発動する。
もちろんインターバルの問題で今はちゃんと使えない。
それでも世界の『境界』に揺らぎを作ることは出来る。
そしてそれがここに居ないクシャナさんへのSOSになる。
クシャナさんは世界の外に出られるだけあって、『境界』の状態に敏感だ。
そこに何かあるとすぐに分かるらしいけど、『境界』が揺らぐことなんて滅多にない。
それこそ俺が転移能力を使った時くらいらしい。
だから『境界』を揺らがせることで俺からの伝言になる。
今回は何かあってクシャナさんを呼びたい時に使うように言われてた。
そしたらすぐに来てくれるって。
「あれ、おかしいな……」
どうしたんだ?
クシャナさんが来ない。
妖魔とかグリフォンに苦戦するような人じゃないはずだけど……。
くそ。
どうする。
このままじゃ愛理が心配過ぎる。
クシャナさんには待ってるように言われたけど、これはやむを得ない状況ってやつだな。
「よし。仕方ない。俺たちだけで愛理を助けに行こう」
俺がそう言うと真っ先に反応したのは白夜だった。
「でもどうやって? 建物に入るまでにはあのトラップだらけの庭を通らないといけないのよ?」
「まぁ、普通に考えてそうなるな。でも別にわざわざ庭の上を歩く必要は無いだろ?」
「どういうことよ?」
俺の言ってる意味が分からないらしく、白夜が眉をひそめた。
いや。お前だよ、お前。
俺が頼りにしてんのは、他でもない白夜だ。
「なぁ。イベントホライゾンで地面の下にトンネル掘れないか?」
白夜は一瞬キョトンとして、それから楽し気に笑みを浮かべた。




