講義
「さて、雑談はこの辺にして講義を始めようか」
『一応、家庭教師の仕事もこなさなきゃ』と言い、グランツ殿下は黒板の前に立った。
新しく書斎にした部屋をグルッと見回し、チョークを手に取る。
「とはいえ、前回の記憶があれば礼儀作法や座学は問題ないよね」
「ああ。俺の見立てが正しければ、貴族に必要な教養はもう身についている。わざわざ学び直す必要はないだろう」
『このままでも問題ない』と太鼓判を押すルカに、グランツ殿下は相槌を打った。
かと思えば、おもむろに顎を撫でる。
「う〜ん……じゃあ、やっぱり────身を守る手段や方法を教えた方が、良さそうだね」
「身を、守る……?」
もっと専門的なことを学んだり、新しい分野に手を出したりするものだと思っていた私は目を剥く。
動揺のあまり身動きを取れずにいると、グランツ殿下がニッコリ微笑んだ。
「もちろん、君のことは守るよ。何に代えても、ね。でも────私達だって、四六時中ベアトリス嬢の傍に居られる訳じゃない」
「俺達の居ない間に、何かあったら……そのとき、もし一人だったら頼れるのは自分自身ということになる」
「そういう事態にならないよう極力頑張るけど、私達も人間だからね。完璧じゃない。だから、万が一に備えて身を守る術を身につけてほしいんだ」
生存率を上げるためだと主張し、グランツ殿下は黒板に向き直る。
その隣で、ルカは用意された教科書を開いた。
「一番手っ取り早いのは、魔法を覚えることだけど……」
「あっ、ごめんなさい。私、魔法の才能は全くないみたいなの」
空中に浮かぶ教科書を一瞥し、私はシュンと肩を落とす。
せっかく、二人が一生懸命考えてくれているのになんだか申し訳なくて……。
『私にもっと才能があれば……』と思案していると、ルカが不意にこちらへ手を伸ばした。
「魔法の才能が全くないってことは、ねぇーと思うぜ?だって、お前からずっと────膨大な魔力を感じているし」
「えっ?でも、マーフィー先生は確かに……」
「あの女の言うことなんて、信じるなよ」
やれやれといった様子で頭を振り、ルカは頭上に手を翳す。
と同時に、目を瞑った。
なんだろう?凄くムズムズする……。
擽ったいとは少し違う感覚に首を傾げる中、ルカはパッと目を開けた。
「あー……なるほどなぁ。確かにこれだと、魔導師にはなれねぇーわ」
「や、やっぱり……」
マーフィー先生は凄く意地悪で怖かったけど、自分の仕事はきっちりこなすタイプの人だから。
嘘をついているとは、思ってなかった。
「じゃあ、魔法は諦めて体術や剣術を……」
「いやいや、何言ってんだよ」
思わずといった様子で言葉を遮り、ルカは大きく息を吐いた。
かと思えば、呆れたように肩を竦める。
「俺様は確かに『魔導師にはなれない』って言ったけど、『魔法の才能がない』とは言ってないぜ?」
「えっと……つまり?」
「条件さえ揃えば、お前も魔法を使える」
「!!」
疑問形ですらない確信の籠った言葉に、私はハッと息を呑んだ。
『ほ、本当に……?』と瞳を揺らす私の前で、ルカは両腕を組む。
「いいか?ベアトリスの場合、魔力はちゃんとあるんだ。それも、かなり多く。ただ────無属性の魔力だから、通常の方法だと魔法を使えない。その理由は言わなくても、分かるよな?」
『ちゃんと習っている筈だ』と主張するルカに、私はおずおずと頷いた。
「え、ええ……確か、魔力にはそれぞれ属性が宿っていて、ソレに沿った魔法を使えるのよね」
「そうそう。火属性だと火炎魔法、水属性だと水魔法って感じにな。ちなみに俺は全属性持ち」
「す、凄い……属性を複数持つ魔力はかなり珍しいのに」
二属性持ちですら千人に一人程度のため、私は思わず感嘆の息を漏らす。
すると、ルカは『まあな』と得意げに胸を反らした。
すっかり上機嫌になる彼は、これでもかというほど頬を緩めている。
その子供っぽい反応についつい笑みを零す中、ルカは教科書のページを捲った。
「んで、話を戻すけど────無属性の魔力でも、魔法を使えない訳じゃない。パッと思いつくだけでも、方法は二つある」
指を二本立てこちらに身を乗り出すと、ルカは宙に浮かせた教科書を机へ置いた。
何の気なしに視線を下ろす私の前で、彼は教科書に描かれた文章を指さす。
「まず、一つ目────魔道具」
「あっ……!」
完全に盲点だった指摘に、私は大きく目を見開いた。
「魔道具を使用するのに必要な魔力は、属性関係ないから……!」
「そう。ベアトリスでも使える」
ニッと笑って頷くルカに、私は目を輝かせた。
だって、自分が本当に魔法を使えるだなんて……思いもしなかったから。
『まるで夢のようね』と頬を緩めていると、グランツ殿下が口を開く。
視線は黒板に向けたまま。
「魔道具の難点は希少性が高く、なかなか手に入らないことだけど、公爵令嬢の君なら問題ないだろう」
「公爵に頼めば、山ほど貢いでくれるだろうからな」
や、山ほどって……それはさすがにない……筈。多分。
ぬいぐるみの独占権を買ったり、豪華な部屋を手配したりしていた父を思い浮かべ、私は少し不安になる。
『絶対にないとは言い切れないわね……』と。
「まあ、それはさておき二つ目の方法を発表するぞ」
ちょっと横道に逸れてしまった話を本題へ戻し、ルカはまた教科書のページを捲った。
「────それはずばり、精霊だ」
『自然の管理者』『四大元素から成る生物』と書かれた精霊の記述を指さし、ルカは少し身を屈める。
「ベアトリスも既に知っているだろうが、精霊には自我のある奴とない奴の二通りある」
「自我のない精霊は一種の概念というか、自然そのもので、世界の理に従って動くことしか出来ない。でも、自我のある精霊は理を無視することが出来る。と言っても、自然を愛する者ばかりだから極端なことは滅多にしないけどね」
「それに精霊は基本、人間に手を貸さない。だから、まあ……ほぼ実現不可能な方法なんだ」
『お前に才能がないとか、そんなんじゃないぞ』と言い聞かせ、ルカはこちらの顔色を窺った。
沈みやすい性格だから、気を遣ってくれているらしい。
『いつも、ネガティブでごめんなさい』と申し訳なく思っていると、グランツ殿下がこちらを振り返った。
どうやら、図や文章を書き終わったようだ。
「ただ、試す価値はあると思うよ。なんせ、君は光の公爵様の愛娘だからね」
「何かしら、特別な力を持っていてもおかしくないよな。公爵は自然との親和性も高いみたいだし」
「えっ?そうなの?」
思わず聞き返してしまう私は、瞬きを繰り返した。
だって、父は確かに世界の理を決定づける存在────神様に凄く愛されているが、精霊とはあまり縁がなさそうだったから。




