お詫び
あっ、不味い……!食事では、基本身分の高い者から順番に食べていくのに!私ったら……!
ハッとして顔を上げると、呆気に取られている様子のグランツ殿下が目に入った。
「……なあ、ユリウス。私の目は狂ってしまったらしい。あの公爵が食事の世話を焼いているように見えるんだが……」
「大丈夫です。正常です。私の目にも、そう見えます。というか、最近の食事風景はいつもこうです」
「いつも……」
「はい、いつも」
愛想笑いに近い表情を浮かべ、ユリウスは『まだこんなの序の口ですよ』と述べた。
その途端、グランツ殿下は大きく息を吐く。
「これは……本当に重症だね」
「ええ、ですから昨日の件は覚悟なさった方が良いかと」
「やっぱり、謝罪と賠償程度じゃ無理か……」
ガクリと項垂れ、グランツ殿下は額に手を当てた。
『参ったなぁ』と零す彼の前で、ユリウスは苦笑を漏らす。
「仕方ありませんよ、公爵様にとってベアトリスお嬢様はまさに逆鱗そのもの。下手に近づけば、怒り狂うのは必然」
「まあ、そうだね……」
『悪いのは全面的にこっちだし』と言い、グランツ殿下は椅子の背もたれに寄り掛かった。
「とりあえず、今すぐ渡せる鉱山の権利書と税金免除の書類は持ってきたけど……足りないよね、絶対」
「足りないというか要りませんね、それらは」
私の口元をナプキンで拭きながら、父は『持って帰ってください』と言い放つ。
どうやら、他に欲しいものがあるらしい。
特になければ、そのまま貰う筈だから。
「では、お詫びの品としてこちらは何を差し出せばいいのかな?」
『出来れば、こちらで用意出来るものがいいんだけど……』と述べるグランツ殿下に、父はチラリと目を向ける。
「物じゃなくても構いませんか」
「ああ……余程の無茶ぶりでなければ、ね」
極力希望に沿うことを約束し、グランツ殿下はテーブルの上で手を組んだ。
『何を要求されるのか』と身構える彼の前で、父はスープへ手を伸ばす。
「では────ベアトリスの家庭教師を派遣してください」
「「「えっ?」」」
思わず声を揃えてしまう私達に対し、父はポツリポツリと語り出す。
「ここ数ヶ月、新しい家庭教師を探しているのですが、なかなかいい人が見つからなくて……」
「それは全然構わないけど……それだけでいいのかい?」
「はい。ただし────派遣する家庭教師は優秀で性格も良く、カーラ・エアル・バレンシュタインと関係のない人物にしてください」
珍しく母の名前を口にし、父は真剣な面持ちで前を見据えた。
と同時に、私は全てを悟る。
そっか……お父様は────マーフィー先生のような人材を選ばないよう、かなり慎重になっているんだ。
その結果、新しい家庭教師が見つからなくて……皇室に目をつけたんだわ。
お城には若くて、優秀な人材が多く居るから。
お母様のことを全く知らない人だって、存在するかもしれない。
「分かった。その条件に合う人材を家庭教師として、派遣しよう。ただ、出自や身分までは保証出来ないよ」
「構いません。条件の合う人物なら、平民でも何でも」
新しい家庭教師の選出にかなり難航していたのか、父はある程度妥協する姿勢を見せた。
すると、グランツ殿下はホッとしたように表情を和らげる。
「それなら、直ぐに派遣出来るね。それこそ、明日にでも」
────という言葉の通り、グランツ殿下は即行で新しい家庭教師を……自分自身を派遣してくれた。
「やあ、ベアトリス嬢。今日から、よろしく頼むね」
昨日よりラフな格好で現れ、グランツ殿下はニコニコと笑う。
その後ろで、父が仁王立ちしているというのに……。
『怖くないのかな?』と疑問に思う中、父は眉間に皺を寄せた。
「何故、殿下なのですか……」
「ん?だって、私以上に条件の合う人材は居ないだろう?」
心底不思議そうに首を傾げ、グランツ殿下は『考えてご覧よ』と促す。
「私は歴代皇帝を凌ぐほどの天才で、聖人と言われるくらい性格が良く、公爵夫人と一切接点を持たない。まさに適任だろう?」
「……」
確かに一応条件は満たしているため、父は押し黙る。
物凄く、嫌そうな顔をしているが。
「お忙しい殿下の手を煩わせる訳には……」
「心配ご無用だよ。父上に家庭教師の件を話したら、『公爵の機嫌を取ってこい。公務はこっちでやっておく』と背中を押されたから」
「……」
『全く問題なし』と言われ、父は手で顔を覆った。
どうにかして追い返そうとしている彼の前で、グランツ殿下はクスクスと笑う。
「安心したまえ。私は弟のように愚かじゃないからね。ベアトリス嬢の嫌がることは、絶対にしない」
『可愛い女の子に酷い真似は出来ないよ』と冗談交じりに言い、グランツ殿下は目を細めた。
「そういう訳だから、公爵は自分の仕事に戻っておくれ。そろそろ、ユリウスが泣くと思うよ」
「……」
「お、お父様……私は大丈夫ですから、行ってください」
「……分かった」
やっと首を縦に振った父は『何かあったら殿下を殴っていいぞ』と言い残し、退室。
おかげで、グランツ殿下と二人きりになった────表面上は。
「やっと行ったか〜!ったく、これだから親バカは」
『んー!』と軽く伸びをして、はしゃぐのはルカだった。
「イージスも外で待機しているし、思い切り会話出来るな〜!」
半開きの扉からオレンジ髪の青年を見やり、ルカは上機嫌になった。
ここ数日ずっと父の傍に居たため、まともな会話を交わせず、不満が溜まっていたのだろう。
『一緒に居るのに一人だけ、蚊帳の外だったもんね』と同情する中、グランツ殿下はクルクルと指を回す。
と同時に、音を遮断する類いの結界を張った。
「ずっと構ってあげられなくて、悪かったね」
「いや、言い方!それだと、俺がカマチョみたいだろ!」
心外だと言わんばかりに反論してくるルカに、グランツ殿下は頬を緩めた。
「ごめん、ごめん」
「絶対、『ごめん』なんて思ってないだろ!?」
「いや、そんなことはないよ。ただ、こうしてルカと話すのは久しぶりだから楽しくてね」
「あー……逆行してからは、ベアトリスに付きっきりだったからなぁ」
『心配で目が離せないんだよ』と語り、ルカはこちらを見る。
すると、グランツ殿下も釣られるようにこちらへ視線を向けてきた。
「さて、雑談はこの辺にして講義を始めようか」




