第二十七話 兄弟はなめらねる
恩を仇で返す行為は極めて恥知らずな行ないだと言って良いだろう。かつて迫害され大陸を転々としていた祖先を快く助け匿ってくれたという逸話がいまだ故郷に残っている。今は亡き母が事あるごとにその話を持ち出した。
「猿神様は恐ろしいほど強い。この島に腰を下ろして随分と時が経つが、受けた恩を忘れてはならぬ。再び人類に追い立て回される事があれば、もう一度猿神様を頼りなさい。必ずお助けくださる…」
そんな記憶が今更らになって鮮明に思い出される。軍人としての道を選び魔王国の軍事力を目の当たりにして祖国こそ世界最強であると信じて疑う事がなかった。
実際に魔王軍は最強だった。この聖峰ラヤカーンを除いて各地の山の神一族の郷は攻めれば百戦錬磨の実績を誇り負け知らずと言った具合だ。そこから採掘できるヒヒイロカネをはじめとする希少金属と爆発的なエネルギーを内包するシンギョクコウは魔王国に更なる産業革命をもたらした。
その最新技術の粋を携えて攻略に挑むことになったこの聖域での戦。魔王国の覇道を阻むようにして立ちはだかるこの山脈を突破する事が出来れば、その先に続く手付かずの秘境は全て魔王国のもの。そうなる事は決定事項だった。けれど今となっては全てがバカバカしい。敵うはずがなかったのだ。こんな化け物どもの巣に何も知らずに入ったのが運の尽き。ヤグナースは自分を囲んでいる周囲全てが恐怖の対象になっていた。
そんな自分の元に一人の青年が近づいてくる。それは猿神ではない。バンダナを頭に巻いた普通の人だ。種族は裸猿だろう。ヤグナースは咄嗟に縋るようにしてその元に駆け寄る。
「良かったぁ…。助けてくれぇ!こんなところは嫌だ!おまえもわかるだろ?!なぁ!こんな化け物だらけで気がおかしくなる。早く俺を逃してくれ…」
その青年であるショウタロウは余りの必死さに引いていた。良い歳をしたおっさんが泣きながら自分のズボンの布を掴み縋りついてくる。振り払おうとしても流石は魔人だ。先にズボンが破れそうだ。仕方なく相手をする。
「帰るなら勝手に帰れ、だがその前にお前の情報を全て吐け。そうしたら助けてやる」
ヤグナースはポカンとあっけに取られていた。本心ではこの裸猿風情と舐めてかかっていたのだ。彼は自分より弱い者を視認する事で安心を得ようとしていたのだ。それが生意気にも上から目線で命令してきた。つべこべ言わずに「はい!逃げましょう」と賛同し、何ならビビって敬語で返事を返して来るとばかり思っていた。それがどうしてかタメ口で命令口調。その見下した目が頭にくる。そして堪忍袋の緒が切れた。
「貴様!俺様を誰だと思っているんだ!!この最弱の裸猿が!!獣人の中でも力も地位も低い駒使い程度にしか使えない役立たずのくせに助けてやるだと?!ふざけるなぁ!!」
ヤグナースは立ち上がり青年の胸倉を両手で掴んで持ち上げようとした。ショウタロウは苦笑いを浮かべて同情したような目で見る。
「何だその目は?!貴様!自分の立場がわかってるのか??」
「いやぁ…。何だ…そのぉ口がクセェなって思った。それだけだ」
ショウタロウは魔人のおっさんの頭に右手を軽く置いた。そして徐々に徐々に力を込めて地面に圧縮していく。
「ちょっ?!やめっろ…ゔ」
ヤグナースに一切の抵抗は許されず、少しずつ地面に屈していく。頭は青年の掌に固定されて身動き一つ取れない。完全にホールドされていた。情けなくて涙が溢れる。自分はこんなにも弱かっただろうか。確かに軍ではそこまで体術に秀でていた記憶はない。むしろ自分は戦略に長けていた。けれど力そのものではどんな屈強な獣人にも負けた事がなかった。ましてや裸猿に屈する通りがない。何という屈辱だ。そしてショウタロウはおっさんの顔を地面に擦り付けて言った。
「失礼だぞおっさん。年下だからって初対面でその態度はねぇだろ?何とか言えやコラ」
地面に茂る雑草に唾と涙を擦り付けながらモゴモゴとおっさんは何かを言う。流石に聞き取れない。ショウタロウはしゃがみ込みボロボロの顔を持ち上げて「ん、で?なんて言った?」と発言を許す。
「ごめんなさい…。許してください」
ショウタロウはそれだけ聞くと捨てるようにしてその頭を離し、立ち上がる。
「お前から謝られても何も嬉しくねぇ。俺が聞きたいのはお前達の悪事についてだ」
この山を狙う目的、軍の数、そして攫われた幼馴染について脅すように聞き出す。けれど、やはりこんな小物からは幼馴染のまぁちゃんの情報を得ることは出来なかった。その代わり衝撃の事実が発覚する。今、侵攻している部隊はあくまでも陽動。明日、魔王国の正規軍がやってくる。元からそう言う作戦だったのだ。




