第二十三話 英雄ハヌマーン
小さな世界観で自分一人が最強だと思い込んでいる愚か者を御山の大将と比喩することわざがあるがこの霊峰ラヤカーンにおいて偉大な大将と呼ぶに値するのは猿神ハヌマーンただ一人を置いて他にいない。皆は彼を生きる伝説と呼ぶ。
世界各地にて数々の偉業を成し遂げた本物の英雄だ。その言い伝えは逸話として残っている。実際に調べれば調べるほどその凄さを思い知るだろう。けれど人々が書き残した叙事詩の英雄はいつも他の名前で呼ばれることが多い。それは時代の支配者が都合よく政治の道具として逸話を改変して自分の功績のように吹聴した経緯があるものばかりだ。しかし実はその殆どがこのハヌマーンであると言っても過言ではないだろう。
サヘラ王国で最も尊敬されている英雄サヘランはこの霊峰ラヤカーンで山の神から修行を受けて超人的な力と神器と山頂を手に入れたと叙事されているが事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。
「オラの山から出ていくだ!!」
昼間に突如として魔王軍の構えた陣に夜の暗闇が訪れた。空を見上げた指揮官ヤグナースは巨大な足の裏を目に焼き付ける。それは周り全てを踏み潰すようにして彼の部隊を襲った。
巨大な足跡の持ち主こそ伝説のハヌマーンその人だ。彼は自由自在に体の大きさを変える神力を持つ。霊峰ラヤカーンの山頂を切り取った時も同じ力を使ったのだ。その超重量による一撃は最強と自負するに十分な理由を与えるだろう。けれど彼がここ数百年の間、驕り高ぶった事は一度もない。
「ありゃー。やり過ぎちまったか?おーい!生きてるかー?」
彼は純粋無垢だ。故に神々に愛されている。しかしその純粋さは時として狂気となる。特に敵軍にとっては恐ろしいだけの存在だ。
「敵襲!!」
辛うじてハヌマーンの一撃を免れた部隊の一部が敵の襲来を知らせサイレンを鳴らす。そこにはズタボロになりながらも何とか生き残ったヤグナースの姿もある。彼は山の布陣を捨て早急な撤退作戦を指示した。
「何だあの化け物は?!撤退だ!急げこの馬鹿どもが!!」
ハヌマーンは深追いすることなく強者の余裕を見せる。そして手でシッシと追い払うようなジェスチャーをして見せた。
「そーだ!けーれけーれ!」
その煽りの一言にヤグナースは憤慨する。運ばれるタンカーの上でジタバタと怒りを露わにしそこから転げ落ちた。
「貴様ら!!私を誰だと思っている!!もっと丁重に扱え!役立たずどもが!」
属国の兵は苦渋を味わいながら浴びせられる罵詈雑言と執拗な暴力に堪えるしかない。戦争に負けた敗戦国の未来は辛いことばかりである。誰も好き好んでこんな男に従っているのではない。けれど感情に任せてこの暴君に害を成せば、痛い思いをするのは自分だけではないのだ。皆誰しもに家族がいる。そんな愛する家族に銃口が常時突きつけられていることを想像してほしい。それはゾッとするような現実だ。眼を背ける事など出来ない。
魔王国は監視の手を緩めない。もし反旗を翻した次の日には心臓を抜かれ見せしめにされた妻や子や父母の惨たらしい亡骸が祖国の広場に吊し上げられるだろう。そんな地獄のような日が訪れぬよう誰も逆らうことができない。
「ほら!何をしている!!さっさと私を安全なところに運べ!!」
その大人気ない駄々をこねる子供のような姿はよく目立った。高いところから見下ろすハヌマーンに興味を持たせるに十分なリアクションである。
「何だオメェ?大人げねぇ奴だなぁ」
「な?!こら!何をする!こんな事してタダで済むと思うな!!」
ヤグナースを指で摘んだハヌマーンは「ほーれほーれ」と言いながら人形遊びの真似をし始めた。それは意地の悪い苛めっ子を叱りつけるつもりでやっているようだ。
やがてヘトヘトに疲れ大人しくなったのを確認すると男を地面に下ろした。そんなグッタリしている人に向かって腰に手を当て前屈みになり目線を近づけるとハヌマーンは説教を始めた。それはまるで大人と子供のようだ。
「だーめだろぉ!仲間に乱暴しちゃぁ。大事にしねーとよぉ。可哀想だろーが。なぁ?」
呆然と成り行きを見守っていた兵たちは急に話しかけられて直ぐに反応することが出来なかった。けれどハヌマーンは返事を待たずして説教を続ける。
「いっくらオメェが偉くてもよぉ。暴力はいけねぇよ。怪我して運んでもらってるのによぉ。そらねぇよなぁ?」
目がたまたま合った兵の一人が「あ…いえ」と答えを曖昧にした。それは彼を訝しむ視線が肯定の言葉を許さないからだ。そんな空気感をハヌマーンは見逃さない。
「オメェ。まーだ反省してねぇのか?ほらぁ行くぞ!こういう時はなぁ。一回離れてみるもんだぁ。そうすりゃあ、仲間がどんくらい大事かすぐにわかる」
ヤグナースは問答無用に連れて行かれた。残された魔王軍の属国の兵たちはその無様でダサい姿を眺め、込み上がる笑いをただ堪えるのに必死だった。




