第二十一話 兄弟は山道を行く
よく晴れた青い空。そこから黒い雪が降る。それは溶けること無く風が吹けばまた何処かへと旅立つ。その一つが肩に乗った。手で払った跡に煤色が広がる。服に炭の臭いが染み付いた。降り積もる灰は遠くからやって来たのではない。この沿道からはそれがよく見えた。山脈から転々と白煙が上がる。生木が燃やされているのだ。山火事ではない。誰かが火をつけた。それは陣を広げるようにして古き森を顕にする。
砲音が轟いた。驚いた野鳥が一斉に飛び立つ。硝煙の臭いが酷く鼻に付く。戦場が近い。ここから先は死神の狩場だ。あの世の役人はさぞかし忙殺されていることだろう。死体は埋葬される事なく道端で朽ち果てていく。それは巨体を持った亥。山の神より恩恵と祝福の加護を受けた太古の姿を保つ尊き神獣。その腑を剥き出しにされ腐肉食動物の餌となる。そんな地獄にシータは吐き気を催した。
「ごめん…おえ」
彼女は強烈な腐臭と焼き焦げた臭いで何度も体調を悪くした。兄弟は不幸にも平気であった。神力は余計な生理現象をも無効化する。ただの街娘だったシータは彼らのような超人ではない。だから泣きべそをかいて必死にその背中を追った。けれど最後には弟の方、犬神リョウスケの背中におぶさる。
森の中は断続的な揺れに満たされている。枝が弾ける音で前進する巨大な物体の存在を派手に知らしめた。それはどんどん近づいてくる。やがて吐き出すような轟音がこちらに迫る。樹々を薙ぎ倒し、眩しい直線的なライトを焚いて、3人を脱走犯の如く照らした。それは多脚的で鋼鉄の装甲を持ったカラクリ戦車。頭頂部の砲台をこちらに定め優位な立場で尋問する。
「山神は降伏した。抵抗せず今すぐに投降しろ。さもなくばこの場で射殺する。もう一度繰り返す…」
ハッタリだ。魔王軍はこの超重量の兵器で網を貼り、麓から山の神を追い込んでいる。それは一方的な虐殺で神獣といえど鋼鉄には中々歯が立たない。兄弟は多脚戦車の脅迫を無視して先へ急ごうとする。シータは心配な素振りを見せながらも健気についていく。それを黙って行かせるわけがない。砲台に弾が装填される音と共にそれは発射された。
けれどその刹那に弾丸が真っ二つにされる。その流れで砲台ごと車体が半分になり機能を停止させられた。巨大な鉄の塊が左右に倒れ地面が揺れた。中で操縦していた軍人は勢いで外に放り出される。それは正規の魔王軍ではない。近年、属国に落ちた弱小国の軍人を集めているという話だ。恐らく強制的にここへ出兵させられたのだろう。哀れな運命だ。もう起き上がらない。同じく即死だった。そして見事な早業でそれを成したプラチナに輝く体毛の美しい豪傑がこちらを振り向いた。
彼は赤いヒヒイリカネの槍を掲げ、3メートルほどの巨体を持った白猿である。その正体は太古の姿を保つ猿神だ。人知を超えた強者である事を爆発的なオーラでヒシヒシと伝え潜在的な力を隠そうともしない。それが吸い込まれるような黒い瞳で助けた3人を興味津々に見定める。お互いに値踏みするような雰囲気が流れた。そして陽気な口調で自己紹介を始めた。
「ん?オラか?オラはハヌマーンだ。オッメェら危ねぇぞ?ここへ何しに来ただ?」
ギャップがすごい。そんな共通認識が3人に芽生えた。ハヌマーンと名乗ったその猿神は兄弟が神の使徒である事をすぐに理解した。自分自身もそうだからだ。けれど役割が違う。彼は森を守る山神の一族の一人。兄ショウタロウが悟ったようにその疑問に答える。
「俺はショウタロウ。この辺りに昔封じ込められた危険なモノがあるはずだ。それを探している」
額の疼きは一方を指さない。この山の中に入ってからというもの反応が何方とも定まらないのだ。まるで樹海に迷い込み進む方向を見失った方位磁石ようだ。それを聞いてハヌマーンは不思議とばかりに返事をした。
「オメェ何言ってんだ。そらぁーこの山の真っ下にあるモンだぞぉ。いくら探しても見つかんねぇぞ?」
何ということだろうか。フボの街にあった怪物の封じ込められた大穴は山の山頂を切り取ったもので塞いだと聞いた。ありえない事だが実物を実際に見ることで納得できた。しかしここは山そのもので塞いだとでも言うのか。もはや取り出す事など不可能だ。魔王が言い残した言葉「次の聖地で待っている」。それはフボの街と同じような企みを予期していたのではなかったのか。そんな悩みの種を残しハヌマーンは次へ急ぐ。
「オラは忙しいだ。詳しい話がしてぇならジジイんとこに行きな…」
ハヌマーンはある方向を指差してそこを真っ直ぐに行けば猿神一族の集落があると教えた。けれど森の風景は目印を付けづらい。それが3人を迷わせるだろう。彼は仕方ないとばかりに白い毛を一本抜くとそれに息を吹きかけた。するとただの毛がみるみる姿を変え1匹の小さな白猿に変化する。その小猿が集落まで案内してくれるという。
「それじゃあ、達者でな!」
彼は目にも止まらぬ速さで樹々をを伝い轟音の響く先へと姿を消した。3人は小猿の後を必死に追いかける。まるで手加減がない。超人的な脚力と反射神経が無ければすぐに見失っただろう。リョウスケの背中にしがみつくシータは絶叫マシンを体現していた。そして他とはまるで違う変わった場所に出る。
そこは高い樹の上にツリーハウスが何軒も建てられ梯子が一切ない。家と家は吊り橋で繋がれ、そこを白い猿達が行き来している。小猿はその幹を手慣れた動作で華麗に登る。そこには老いて腰の曲がった猿神が立っている。ハヌマーンが生み出した小猿はその肩に乗った。そして何かを耳打ちすると彼はこちらを観察し意味深な笑みを見せるのだあった。




