第十六話 兄弟は先手を取られた
魔人。それは悪魔と人ノ子の間。或いは不老不死を手に入れるため禁忌に触れた愚か者。その祖先誕生には諸説あり多くの謎が残されていた。彼らは獣人の特徴を殆ど持たず、寧ろ自然発生する邪悪な怪物達に近い存在として悪名高い。
神話に出てくる最大悪は決まって魔人がその役を買って出る。凡ゆる悪事の裏には彼らの存在が隠されているとも言われていた。そしてここ数百年。魔人の国、魔王国が独立してからその認識は改められつつある。
彼らは獣人よりも神に近い存在としてその名を世界に知らしめた。強い生命力と超人的な身体能力そして長い寿命から齎された豊富な知識。その全てが発揮された。後もう一歩で世界の覇権を握ろうとしている。それが現代の認識だ。
けれど魔人たちの観てきた歴史は違う。かつての故郷は大陸の最北端に位置していた。自然崇拝と多神教の信徒で森の中でひっそりと暮らす少数民族だった。争いを好まず穏やかさを愛し自然のまま食うも食われるも同じと何者も恨む事なく苦しみも幸せも全て受け入れる固有の文化を持っていた。
ある日、魔人の祖先は故郷を追われる。土地を奪われ、迫害されるようになった。そして各地を転々とする生活を何百年も強いられるようになるのだ。彼らは徐々に南下し遂に大陸の最南端にたどり着いた。逃げ場はもうない。魔人達に残された選択肢は二つ。戦うか降伏するか。
そうして前者を選んだ。いつの日か故郷を取り戻す。けれど正面切って戦う必要はない。彼らは賢かった。自分達が持つアドバンテージを最高のタイミングで使い。いずれ人類に復讐する事を決断する。戦わずして勝つ。人の愚かさを知りその業を利用した。そして少しずつ人類社会を蝕みながら魔人たちは孤島に身を隠し、しばらくの間鳴りを潜めるのであった。
ブロディは比較的若い魔人だ。年は百歳を超えるが一族の中では若者である。物心着く頃には既に魔王国が建国された後だった。祖国での発言権は低く、より上位に昇り詰めるためインパクトのある実績を欲していた。そんな時に魔王が提唱した陸海一路構想は自分の有能さを示すに相応しい壮大なプロジェクトだと、いの一番に立候補した。
実際にブロディは有能だった。武力もさることながら知略にも明るい。そして神の加護を受けた信心深い信徒だった。その才能を最大限に発揮しサヘラ王国に揺さぶりをかけ有利に交渉を進めてきた。そして最も難しいとされる信仰というものにメスを入れた。
彼らの聖地を自らの手で汚す事で国民感情に歪みを起こさせるためだ。そうする事で国民を懐柔することがいずれ容易になる。信仰の対象を失ったサヘラの民の宗教観は間違いなく亀裂が生まれるだろう。そこで自分らの神の偉大さを知らしめ教えを広めれば国の体制は塗り替えられる。彼は既に何十年先の未来まで予想して動いていた。
全ては順調だった。お膳立てはほぼ済み。後は軽い軌道修正だけで自分の傀儡国の出来上がりだった。その実績を祖国に持ち替えれば、上位の権限を得ることができるはずだったのだ。それをあの野郎が台無しにした。やられっぱなしで逃げ帰れば恐らく命はない。
けれど一つだけ希望が残っていた。あのショウタロウとか言う男は間違いなく神の使いだ。そいつの首を持って帰る事が出来れば汚名を晴らすなど簡単だろう。寧ろ褒め称えられるに違い無いはずだ。そんな事を思いながらブロディは時を待つ。彼は兄弟の弱点を掴んだ。そしてその日、シータは姿を消す。
兄弟は結局、シータの親が切り盛りする宿屋で一晩を過ごした。朝、二人は子供の姿に戻ってた。いまだベットの上でうたた寝をしている。そんな恋しき一時をブチ破るようにして部屋の扉をドンドン叩かれる。そんな耳障りな音で飛び起きて警戒しながら第三の眼を覚醒させる。そして直ぐに鍵が勝手に開錠されドアが開いた。そこには妻に止められながらも怒りの形相の父親が入ってくる。開口一番に怒鳴り始めたのだ。
「テメェ!俺の娘に手ェ出しやがって!シータは何処だ!」
全くの事実無根である。けれど父親は妻から娘が部屋にいない事をボソッと告げらると真っ先に頭によぎったのはあの青年の部屋に入ったのだということだ。想像もしたくない過ちが行なわれたのではないか。そう思い失望し激昂した。結婚もしていない男女がそんな事を…許されるはずがない。目の前が真っ暗になった。
気付けばこんな事態だ。父親は青年に詰め寄りその太い腕で渾身の一撃を喰らわそうとする。その目は血走って全く周りが見えていない。けれど兄はあの言葉を思い出す。
(遠慮なく俺を殴ってくれ、頭が冷えるかも知れない)
兄に迷いはなかった。一応手加減はした。軽い一撃が父親の顔面にめり込んだ。それは見るからに軽く無い。鼻が折れたかもしれない。前歯も2本は持ってかれただろう。母親が目を見開き驚きのあまり口を押さえる。
弟リョウスケは「にいちゃんやりすぎだよ…」と呆れる。兄ショウタロウは「え?あぁ…ごめんなさい…」と頭を下げて謝罪した。けれどもう店の主人は意識を遠くにやっていた。




