意思の疎通
協会の周辺を取り囲んでいる無数の魔物が眼下に見える。
蛙人魔、双蛇魔、鰐人魔といったお馴染みのメンバーだけでなく、見たことのない個体もいる。今まで遭遇してこなかっただけで、清流の湖階層に生息している魔物なのかもしれない。
懸命に防衛していたであろうハンターたちは、疲労の限界が近かったのだろう。門番ズとミシュエル、最強の老夫婦に場を譲り、扉付近の壁に背を預けて乱れた息を整えている。
今、テラスで敵に対応しているのは、比較的元気な名も知らぬ五名ほどのハンター。門番ズ、老夫婦、ミシュエル、それと驚いたことに両替商の助手をしている大男のゴッガイ、いつもの露出度の高い服ではなく、体に張り付くライダースーツの様な格好をしたシャーリィまでいた。
ゴッガイは柄が長く先端が斧の様になっている武器、確かハルバートだったか。それを軽々と振り回し、トンボの様な羽の生えた魚を叩き斬っている。
シャーリィは鞭をしならせ攻撃を加えるだけではなく、敵に巻き付けて相手の動きを封じ、鉄串のような物を投げつけ敵を葬っていた。
えっ、二人ともそんなに強かったのか。ダンジョンの様な危険な場所で商売をする人にとっては当たり前の嗜みなのだろうか。
集落の現状に我を失いかけていたヒュールミだったが、皆の活躍を目の当たりにして気を取り直した。
そして、大きく息を吸い込むと、戦闘中の三人に待ち望んでいた情報を大声で知らせる。
「爺さん、婆さん、娘と孫は無事だったぜ! カリオス、恋人も元気だ! みんな心配してたぞ!」
老夫婦とカリオスはすっと拳を上げ、振り返ることなく背中で応える。
何も言葉を発していないというのに、三人が喜び笑みを浮かべているのがわかった。
そこから、彼らの動きは勢いを増していった。
お爺さんが左と右に金色と鉛色をした色彩の扇子を握り、舞うような動作をすると、空に暗雲が広がり天からの落雷がハンター協会の周囲を薙ぎ払う。
お婆さんは自分を中心とした半径五メートル以内に入り込んだ敵を即座に斬り捨て、テラスの縁にそって歩くと、進んだ後には切断された魔物の死体が折り重なっている。
カリオスはハンター協会の壁を登ってきている蛙人魔を槍で次々と突き刺していき、地味な働きではあるが貢献している。
「咆哮撃!」
ミシュエルが竜の大剣を振る度に、赤い刀身から炎が扇状に広がり、群がってきていた魔物たちを焼き尽くしている。
老夫婦の無双っぷりが凄まじいが、ミシュエルも負けていないな。大多数の敵に通用する攻撃方法があるというのが、この状況ではかなりありがたい。
俺もボーっと見学している場合じゃないな。ヒュールミに降ろしてもらい、いつもの自動販売機に戻ると、休息中のハンターたちにスポーツドリンクや軽い食事を提供する。
怪我は全てお婆さんが治したようなので、問題は体力と失われた血の補充か。鉄分豊富と言えばレバーだけど、そんなもの商品になかったしな。あとはココアがミネラルと鉄分や亜鉛が豊富とか……お、ココアの缶の成分表に書いているな。
ココアの説明を読み、何もしないよりマシだろうと彼らにココアも提供しておいた。しじみの味噌汁も確か効果があったよな。どちらか好きな方を選んでもらうか。
「みんな、無事!?」
テラスに飛び込んできた小さな影は、ラッミスか。辺りをキョロキョロと見回し、俺を発見すると駆け寄ってくる。
「ハッコン、大丈夫? 壊れたりしてない? あっ、みんな休むなら屋内じゃないと危険だよっ」
そう言うと、壁際で休憩しているハンターを二人ずつ両肩に担ぎ、テラスに繋がる出入り口から中に手際よく運んでいく。
最近、瓦礫運びや負傷者の運搬が多かったから、動きに無駄がなく様になっている。
全員を運び終えると俺を背負い、ヒュールミに向き直った。
「後は任せて。ヒュールミは危険だから中に」
「おう、任せるぜ。無茶だけはすんなよ」
「うん、わかってる」
手を打ち合わせてニヤリと笑い、ヒュールミは屋内に入り扉を閉めた。
「よっし、うちも頑張るよっ!」
ムナミの生存を確認して、やる気も充填されたようだ。顔を両手で挟み撃ち、気合を入れて腕を回している。
「あら、元気ね。お久しぶり、ラッミスちゃん」
「あっ、シャーリィさん! その格好……カッコイイね!」
「うふっ、ありがとう。ちょっと疲れたから、飲み物頂いてもいいかしら」
シャーリィさんの好物って実はフルーツ牛乳だったよな。風呂上がりに、顔をほころばせて飲んでいたのを覚えている。
〈念動力〉で商品を取り出すと、すっと彼女の手元に運んだ。
「今のどうやったの? ラッミスちゃんの風の魔法なの……それとも、操作系の加護も持っているのかしら」
「ううん、違うよ。これってハッコンの力だよ」
「あら、そうだったのね。ハッコンさん、ありがとう。本当に優秀な方ね。魔道具なのが惜しいわ」
艶かしい仕草をしてウィンクされると、その色っぽさに生身の体なら勘違いしそうだ。
普通なら防衛中にこんな呑気な会話をするのは無謀の極みだが、時折飛んでくる矢や投石は〈結界〉で弾き飛ばしているので何の問題もない。
「シャーリィさんって強かったんだね!」
「うふふ。ダンジョン内で夜の仕事をするには、腕に覚えがあった方が何かと便利なのよ」
荒くれ者も多いだろうし、魔物と遭遇する確率だってゼロじゃない。言われてみれば、その通りだな。
「ここからは、うちらが踏ん張るから、ゆっくりお昼寝でもしていてね。寝不足は美容の大敵だって、前にシャーリィさん言ってたよね」
その言葉に目を丸くして驚くと、シャーリィは口元に手を当て、心底楽しそうに笑っている。
「これは、一本取られたわ。じゃあ、お言葉に甘えて、そうさせてもらおうかしら。ゴッガイさん、一緒に戻りましょう」
近くでハルバートを振り回していたゴッガイに、シャーリィが声を掛けると、振り返り重々しく一度頷いた。
「では、お先に失礼しますわ。身体を癒したら直ぐに参りますので」
「自分も一度休憩を取らせてもらいます」
二人が退場し、ここに残っているのは、老夫婦、門番ズ、ミシュエル、ラッミス、自動販売機となった。
お爺さんは戻る際に魔法を使いっぱなしだったので、魔力の量が乏しいのか大魔法は初めの一発のみで、それからは小規模な魔法を使用している。それでも充分な威力なのだが。
ラッミスもずっと引っ張ってきたから体力を消耗している筈なのに、テラスを駆けまわり乗り込もうとしてきた敵を、片っ端から吹き飛ばしている。
あまり無茶はして欲しくないというのが正直なところだが、今無茶しなければ全てが終わる。止められるわけがない。
俺も〈高圧洗浄機〉に変化して手伝いたいところなのだが、堪えている。時間制限があるので、いざという時の為に取っておきたい。
ポイントは冥府の王との戦いで激減したのだが、俺が金銭を力に変えていることを知っていた熊会長が、前払いと称して金貨を十枚投入してくれた。
これで、飲食料の提供も〈結界〉の維持も問題なくなり、ポイントにも余裕ができている。だからといって、無駄遣いが許される状況ではないので、何かを新たに得るとしても慎重に判断しなければならない。
仲間の活躍を見守りながら戦況の確認をしているのだが、本当に酷い状況だ。
集落は半壊。守りの要だった作り立ての壁には大穴が開いていて、そこから侵入してきたことが容易に理解できた。
そこから集落中で暴れたのだろう。原形を留めている建造物が殆ど見当たらない。
生存者は約百名と言っていたが、生き残りの殆どが復興前から集落に住んでいた住民とハンター。全員の顔を確かめたわけではないが、何かと接することの多かった飲食店の店長数名の生存はまだ確認できていない。
復興中に人口が一気に増え五百は越える勢いだという話だった。その大半が亡くなった……ということだよな。
今もハンター協会に侵攻を続ける魔物たち、数えるのも虚しくなる圧倒的な物量が集落内に溢れている。
このハンター協会の材質はかなり硬度の高い鉱石を惜しみなく使用し、分厚さもかなりあるそうだ。窓にも格子が備え付けられているのだが、それも普通は高額の鎧に使用される材質で作られているので、蛙人魔ごときでは太刀打ちできない。
もちろん、入り口の扉もそうで、魔物側は唯一人間が出入りしている、テラスの二階から内部へと入り込もうとしている。
防衛側としても、敵の迎撃が唯一可能な場所なので、ここを押さえられると身動きが不可能となり、消耗して死を待つだけとなる。なので、ここだけは死守したいところだ。
しかし、この魔物の数は異様過ぎる。死んだ人の魂を魔物に変換するという話だったが、この階層で死んだ人を魔物化しているとするなら、人間一人が魔物一匹分なのかにもよるが、相手にはまだまだ駒がいるということになるのか。
それに、死んだ魔物は再び生み出すことも可能だと言っていたな。死亡から生み出すまでの間隔を何らかの操作により早めることが出来れば、相手は半永久的に敵を戦場に送り続けることができる……幾ら何でも、それはないと思いたい。
「はぁはぁはぁ、まだまだぁぁ」
飛び込んできた蛙人魔が肉塊となって、集落上空を滑空している。それをやったのは、拳を突き出した形で荒い呼吸を繰り返している、ラッミスだ。
休憩を殆ど取らず走り続けてきたツケが現れてきたか。強がってはいるが、足もフラフラで攻撃を避けられずに〈結界〉で防いでいる。
これは体を休めないとダメだな。
「ざんねん ざんねん」
「ハッコン、まだやれるよ、うちは」
無理をし過ぎだ。防衛戦は長丁場になるのは確実。ここは無理をする場面じゃない。引くことも重要だ。わかってくれ、ラッミス。
そんな気持ちを込めて「ざんねん」を連呼するのだが、聞く耳を持たない。
「もう逃げない。あの時と違う……私は戦える。みんなを守れる……」
自分に言い聞かせるように呟く言葉を聞いて、全てを察した。
以前、ヒュールミから聞いた生まれ故郷の村が滅ぼされた時の光景と、現状を重ね合わせているんだ。
だから、限界を超えても戦い続けようとしているのか。
気持ちはわかる、だけど、これ以上の無茶は命に関わる。何とかして止めないと。
どうしたらいい……AEDの電気ショックを利用して気絶させるか。いや、疲労困憊の状況でそれは危険すぎる。
それに、ラッミスに攻撃を加えるなんてしたくない。
説得をするにも俺には定型文しか話せない。どうにか冷静にさせて判断力を戻させないと。
相手が驚くような、冷静になるような方法。
ずっと練習してきたあれを……試すか。器用さが上がった恩恵を見せつけるのは今しかない。これをするには、まだかなりの集中力が必要となるが、試すのは今だよなっ!
「ら っ い す」
「えっ、もしかして、うちの名前……呼んだ?」
俺の発した声に反応して、ラッミスの動きがぴたりと止まる。
ちゃんとは喋れないが伝わってくれたようだ。この調子だ、油断はするな続けて言い切れ。
「さ が り ゅ」
ああもう、赤ちゃんみたいな口調になったが、これが今、俺ができる精一杯の発言だ。
「あ、うん、下がれってことだよね。えと、うん」
俺が話したことが余りに予想外過ぎて、頭に上っていた血がすっと下がったようだ。
呆けたような表情で俺を担いだまま、扉を潜って屋内に入っていく。
階段を下りて、二階の廊下に差し掛かったところで俺を下ろすと、くるっと振り返り俺の体を正面から両手で掴んだ。
「えええええええええええっ! ハッコン、いつから話せたのおおおおっ!?」
絶叫を上げて驚く、ラッミスがそのまま仰向けに倒れる。体力と精神が限界を超えたようだ。
ネタばらしは目が覚めてからにしようか。おやすみ、ラッミス。




