特訓
亡者の嘆き階層に来てから二日目の朝を迎えた。
相変わらず薄暗いが、あの夜を経験すると、この程度の明るさでもホッとするな。
ケリオイル団長は早朝に転送陣で他の階層に移動したようだ。この階層の攻略メンバーを連れてくると言っていたな。あと、俺を運べるような人材がいないか探してくると。
ラッミスまでとは言わないが、荷台に乗せた俺を運べるぐらいの力があればいいのだが。
「ハッコン様……昨晩はお楽しみになられましたか?」
今後のことを思案していると宿屋の女将さんが隣に寄り添っていた……いつ来たんだ。全くと言うか、これっぽっちも気づかなかった。
今も視界に捉えているというのに存在感が皆無。この人が幽霊と言われても納得してしまいそうだな。
「ここは……夜になると……魔物が集落の中にも現れますので……腕に自信がある御方以外は……外出禁止なのですよ……」
昨日の謎は解けたけど、先に教えて欲しかったな。
「ここの魔物は……生ある物を羨みます……なので、ハッコン様には無害……襲われることもなかったと思います……」
だから、俺に寄ってくるわけでもなく、建物の中を覗き込んでいただけなのか。
「ハッコン様は……我々よりも……彼ら寄り……いえ……失礼しました……」
意味深なことを口にして立ち去るのは、止めてもらいたいのだけれど。あの姿でそれっぽいことを口にされると、無条件で信じてしまいそうになる。
しかし、何が言いたかったのだろうか。人間よりも幽霊とかそっち系だと言いたかったのかね。だとしたら間違いではないよな。魂が自動販売機に乗り移っているような存在だし。
でも、女将さんより幽霊寄りと言われるのはどうかと思う。
「ハッコン。ごめんね、昨日は」
女将さんと入れ違って現れたのは、意気消沈したラッミスだった。
俯きながら俺の隣に並ぶと、腰を落として背を預けてくる。体が震えてはいないようだが、お世辞にもいつもの状態だとは言えない。
「いらっしゃいませ」
「子供の頃から怖いのが苦手で、少しは克服できたかと思っていたのに、全然だめだった。はああああああああああああああぁぁぁ」
口から魂が抜け出そうなぐらいの落ち込み具合だ。俺も怖くて気絶する人なんて初めて見たが、当人としては深刻だよな。
「ずっとハッコンと一緒にいるって言ったのに、こんなんじゃダメダメだよね」
「ざんねん」
「ほんと、残念だよね……」
駄目だ。ネガティブモードに入って、言葉をそのまま受け取ってしまっている。どうやったら励ましてあげられるだろうか。
「ったく、らしくねえな。考える前に行動するのがラッミスだろ。苦手なら克服すればいいだけだ。そうだろ?」
ヒュールミも来ていたのか。落ち込むラッミスを見かねて、腕を組んだ状態で提案を口にした。
そうだよな、どうにかしたいと思っているなら何とかすればいい。単純だが、こんなにわかりやすいこともない。
「そ、そうだね! うん、苦手なら慣れたらいいだけだよ!」
「良く言った。じゃあ、オレが恐怖を克服する特訓してやるよ」
「特訓……うん、苦手のままじゃダメだよね。はい、教官お願いします!」
拳を振り上げ、やる気を出すラッミスを見てヒュールミが満足げに微笑んでいる。若干楽しそうに見えるのは気のせいだと思いたい。
「じゃあ、まずはこの集落を散策することから始めようぜ」
「お散歩……ですかっ」
何でシリアスな顔つきになって唾を飲み込んだ。難しいことは一つも言ってない筈だが。
大きく深呼吸をして体を一回転させて360度確認すると、ビシッと額に手を当てて敬礼のポーズを取った。
「無理そうです!」
「折れるの早すぎだろ。あのなぁ、空はただの曇り。そこら辺はちょっと薄暗いだけ。別に怖かねえだろうに。清流の湖でもこんな日あったろ」
「そうだけど、ここは雰囲気が違うの。清流の湖階層が蛙人魔だとしたら、ここは王蛙人魔なのっ」
わかるような、わからないような例えだな。
でもまあ確かに、この場所はただ暗いだけじゃなくて空気が重く湿気がきつい。俺の体に水滴がついているからな。
「んじゃ、諦めるか? とっとと清流の湖に戻って、ハッコンはオレたちと一緒に探索するから、暫く待っていてくれよ」
「それは、イヤ!」
「だったら、頑張るしかねえよな。ってことで、まずはここを真っ直ぐ行った先に雑貨屋があるから、そこで回復薬を買って来てくれ」
「う、うん。じゃあ、ハッコン行こうね」
そう言ってラッミスがいつものように俺を背負う為にしゃがみ込んだのだが、その背に置かれたのはヒュールミの手だった。
「独りでだ。独りで行こうな」
「嘘、でしょ……」
「マジだ。そんなこともできないようじゃ、集落の外になんて一生いけねえぜ」
「や、やってやるわ。ま、任してよ。子供じゃないんやから、余裕やって」
ラッミスは相変わらず口調で動揺が手に取るようにわかるな。ここは集落の大通りだから、人通りもそれなりにあるから怖がりでも大丈夫だろう。
「う、うん。うちならやれる、いける、負けへん」
大丈夫かな……拳を握りしめてぶつぶつ言っているけど。
覚悟を決めたラッミスが雄々しく立ち上がると、キッと前を見据えて堂々とした足取りで進んでいく――十歩ほど。
そこで、ちらっと一度こっちを振り返る。ヒュールミが微笑みながら手を振ると、引きつった笑みを浮かべ小さく手を振り再び歩きだした。
おっかなびっくり歩を進める彼女を見てふと思った。初めてのお使いに向かう子供を見送る親の心境は、こんな感じなのだろうかと。
更に数歩進むが、人とすれ違う度に大袈裟に体を揺らして驚いているな。それでも、足を止めずに歩いている。頑張れ、ラッミス。
あっ、近くの民家の扉が大きな音を立てて開いた。その場で2メートル近く跳び上がると、くるっとこっちに振り返って、全力で駆け戻ってきている。
「ハッコオオオオォォン! 無理いいぃぃぃぃぃ」
あーあ、半泣きじゃないか。進むのに数分かかったというのに、戻るときは五秒程度だった。俺に飛び付くと抱き付いたままガタガタ震えている。
よしよし、怖かったな。ほら、温かいコーンスープ飲んでいいから落ち着いて。甘いジュースの方がいいかな。じゃあ、両方落とすから好きな方飲んでいいよ。
「ラッミス……ハッコンも甘やかすなよ……」
額に手を当ててヒュールミが大きく息を吐いた。すまん、甘やかしている自覚はある。
でもなあ、ここまで怖がっているのなら無理せずに撤退した方がいいって。ハンターとして強くなりたいなら、いずれ克服しなければならないけど、今は徐々にやっていくしかないだろう。
「もう、帰るか?」
「ハッコンを背負ったらいけると思う。うん、きっといける! ほ、ほら、うちはハッコンを運ぶ役だから、ハッコンを背負ってないとダメだと思うの、うちは!」
ラッミスが必死だ。求められるのは嬉しいのだけど、完全に保護者の立ち位置だよな。
「じゃあ、ハッコン背負っていいから行ってこい」
「うん。ハッコンと一緒なら平気だよ。ねっ、ハッコン」
だといいが。でもまあ、お化け屋敷だって一人で行くのと自動販売機を背負って行くのとでは雲泥の差が……自動販売機背負ってお化け屋敷に入る人を見たことないな。
「ハッコン、ちゃんといる!? ちゃんと背中にいる!?」
「いらっしゃいませ」
「ほ、本当! 本当にいるよね!」
「いらっしゃいませ」
「背中から離れたらダメだよ! 絶対にダメだからね!」
「いらっ しゃいませ」
自転車に乗れない親戚の子供の手伝いをした時を思い出すな。
自力で動けない俺が離れるわけがないというのに、居るかどうか不安になるって事は、これだけの重量が背に乗っているというのに殆ど重さを感じていないってことか。それだけの力があれば、夜に見た魔物ぐらい一撃粉砕できるのにな。
「頑張るから。うち頑張るから。だから、一緒に、一緒に探索しようね」
震えながらも歯を食いしばり、一歩一歩踏みしめながら歩いている。
そうか、鈍い俺でもようやく今わかった。ラッミスは俺と一緒にいる為に、こんなにも必死になって怖さを乗り越えようとしているのか。
だったら、俺も全力で応援して共に恐怖を乗り越えるべきだよな。雑貨店までは結構距離が残っている。彼女が少しでも怖がらずに目的地に到達する為に何か機能で使えそうなのは。
気持ちを安らげる効果……リラックス……となると香りか。バラの臭いとかグレープフルーツの匂いがいいと聞いたことがある。アロマテラピーにハマっていた友人が力説していたような。あと、コーヒーの匂いも落ち着くらしい。
となると、花の自動販売機や果物の自動販売機に変化するのがいいのか。いや、待てよ。その自動販売機になったところで、漏れ出る匂いなんて極僅かだ。もっと、直ぐに判別できるぐらいの強い香りを発生させるには――これを取るか。
機能の欄にあった〈芳香器〉を選ぶ。これはトイレ等で悪臭を紛らわせるタイプの物ではなく、販促用の〈芳香器〉だ。
自動販売機に簡単に組み込めるタイプの物で、香りの種類も百種類以上あり、人感センサーで人がいるのを察知すると、機械に組み込まれている香りのカートリッジから芳香を放つ装置である。この機能を生かす為に〈人感センサー〉も取得しておいた。
売っている商品の香りで人を引き付ける為に使われる装置なのだが、その匂いは結構強めになっているので、背負っているラッミスにも届くはずだ。
百種類ある匂いの中にはグレープフルーツとコーヒーの香りもあるな。効果を期待して香りを放ってみるか。
「あー、何か良い匂いがしてきた。柑橘系かなぁ」
おっ、ラッミスの背中から伝わってきていた震えが消えたぞ。これはリラックス効果なのか、ただ単に気が紛れただけなのかはわからないが、恐怖心が薄れたならどっちでもいい。
この調子でラッミスの為に色々やってみるぞ。
幾つか試してみた結果、恐怖心を誤魔化せたのは〈芳香器〉の香りと〈ジュークボックス〉の音楽だった。一番効き目があったのはジャズを聞かせながらコーヒーの香りを漂わせた時で、フォルムチェンジには二時間縛りがあるので、基本は〈芳香剤〉メインでやって、いざという時だけ音楽もプラスするという作戦が有効だと思う。
まあ、音楽の演奏があるとラッミスは落ち着くようだが、周囲からの奇異の視線が半端ないことになるので、そこは気づかないで欲しいところだ。




