新たな階層
無事に清流の湖階層に戻り、いつものように商売を続けているのだが、最近は需要が減ってきている。
だからといって儲かっていない訳じゃない。大口の注文である飲食店には定期的に食材を卸し、シャーリィにも避妊具を提供しているので利益としては充分だ。
早朝の四人衆、門番の二人、その他にも常連は通ってくれているので黒字なのだが、明らかに売り上げは減っている。
利益を求めるなら別階層に移動して商売をするのもありだが、ここは居心地がいいので定住するのも悪くない。
もっとも、自力では動けないので移住するにしてもラッミス任せなのだが。
「ハッコン! ケリオイル団長が頼みごとあるんだって。一緒に行こうね」
考え込んでいたところに声を掛けてきたのはラッミスだった。
団長からお呼びがかかったか。前から調査に出ているという話だったから、次の遠征場所が決まったのかもしれないな。階層主と争うのであれば、ポイントは大量に確保しておこう。〈結界〉の発動と維持。それが俺に課せられた役割なのだから。
「おーよく来てくれたな。まあ座ってくれ」
愚者の奇行団のテントに招かれたラッミスとヒュールミと俺が団長の前に座り込む。
前回、シュイが自慢する為に中に入った時以来だな。大きなテントの内部には鉄で枠組みを補強した木箱が幾つか転がっていて、団員の何人かがその箱を開けて中を弄っている。どうやら団員たちの私物が入っているようだ。
「前から話していた通り、次に倒す階層主が決まった。亡者の嘆き階層の死霊王討伐を予定している。それに、ハッコンたちも参加して欲しい」
聞くからに物騒な名前の階層だ。どう考えてもアンデッド系が豊富な場所だよな。おまけに死霊王ときたか。イメージでは高そうなローブを身に纏った骸骨の魔法使いだが、実際はどんな感じなのだろうか。
「亡者の嘆きか。確か死人魔や骨人魔とかキモいのがてんこ盛りの階層だよな。って、そういや……ラッミス」
ヒュールミが何かに思い当たったらしく、俯いたまま一言も発していないラッミスの顔を覗き込んでいる。俺もつられて彼女を見つめているのだが……体が小刻みに震えてないか?
「本当に、そこに、行くの?」
何で区切りながら話しているのだろう。
「ああ、その予定だが。ラッミス都合が悪かったか」
「え、ううん、そうじゃないけど、そうじゃないけど、そこは止めにしない?」
珍しく消極的だな。声も小さいし、これってもしかして、ラッミスってホラー系苦手なのか。明らかに怯えているよな。
「昔っから怖い話とか苦手だったもんな。ビビってんだろ」
「ち、違うし! もう、子供じゃないんだから平気だし!」
何処からどう見ても強がっているだけだ。そうか、苦手なのか。その階層が何処までホラーチックなのかにもよるが、ああいうのダメな人は本当に無理だからな。
俺は昔、ホラー系が大好きな友人に、その系統の映画を何作も見せられ、お化け屋敷巡りをさせられた苦い経験があるので耐性が付いている。たぶん、大丈夫だろう。
「あー、怖いの駄目か。あそこの敵は、動く死体と骸骨、後は幽霊ぐらいだぜ。平気平気。豊豚魔の方がよっぽどキモいぞ」
「団長。普通、そういうのが怖いのですよ。皆が団長みたいに神経図太い訳ではないのです」
副団長のフィルミナにたしなめられ、ケリオイル団長が肩を竦めている。
「オレは話に聞いた程度の知識しかないが、亡者の嘆き階層ってどんな場所なんだ」
「そうですね。昼夜問わず、空は厚い雲で覆われ稲光が煌めき、肌寒く、朽ち果てた墓石がそこら中に転がっているぐらいでしょうか」
フィルミナさんの説明を聞いて、完全に委縮したラッミスが俺に抱き付いている。触れた部分から震えがもろに伝わってくる。本気で怯えているようだ。
この様子だと亡者の嘆き階層にはラッミスは参加できないかもしれないな。
「ラッミス、お前さんマジでビビってんのか?」
「そ、そ、そんなこと、ないよ。お化けとか怖がるなんて、子供じゃないんだし」
「無理すんな。ガキの頃なんて怖い話聞いただけで、夜トイレに行けなかったじゃねえか」
「ヒュールミ! そんな昔の話、言わなくてもいいでしょ!」
わかりやすく狼狽している。この調子だと戦力外どころか同行するのも辛そうだ。
「困ったな。ラッミスが無理となると、誰がハッコンを運ぶかって話になるんだが。うちの面子でそんな怪力いねえよな」
「そうですね。軽々とハッコンさんを運べる人材はいませんね。とはいえ、ハッコンさんが同行されないとなると、食料面の問題で長期遠征は不可能となります」
「死霊王は固定の場所にいるわけじゃねえから、探すのに一苦労するんだよな。腰を据えて探索するにはハッコンは欠かせねえ」
団長と副団長が腕を組んで唸っている。魔物や化け物が徘徊する世界でも、幽霊やホラー系はまた違った怖さがあるよな。苦手な気持ちも良くわかるが、移動手段を失ったら俺はただのお荷物と化してしまう。
「ちょ、ちょっと待って。みんな、私が行けないと決めつけているみたいだけど、全然平気だしぃ。むしろ、怖いの得意だしぃ」
無理をしているのが見え見えだ。口調からしていつもと違う。
実際に行ってみないことには何とも言えないところがあるが……ラッミスは無理っぽいよな。
「じゃあさ、一回お試しで亡者の嘆き階層行ってみようぜ。団長、そこにも集落はあるんだろ?」
「おう、あるぜ。規模はここには及ばねえが、それなりに立派なもんだ。一部の特殊な趣味の奴らに結構人気のある階層でな。一般の人も結構やってくるそうだぜ。なあ、副団長」
「まあ、大半が怖いもの見たさですが。世の中にはそっち系も需要があるようです。幽霊や怪奇現象が日常の階層ですからね」
有名なホラースポット扱いなのか。そういうのが好きな人にはたまらんのだろうな。金持ちの暇人やノリの軽そうな若者が来てそうなイメージがある。
「ヒュールミの提案に乗るか。まずは集落で過ごしてみて階層の空気に慣れてもらうとしよう。どうしても無理そうなら、別の手段を考えるってことでいいか」
誰からも反論が無かったので、お試しで亡者の嘆き階層に移動することとなった。ラッミスの顔から血の気が引いているのが気掛かりだが、どの程度苦手なのかを事前に知っておかないと命に関わるからな。
転送陣で移動した亡者の嘆き階層は予想以上の場所だった。
始まりの階層以上に薄暗く、遠くで頻繁に稲光が見え落雷が轟く。集落に建てられている建造物は適度に古びていて、何故か洋館風の建物ばかりだ。
街灯が至る所に設置されているので、歩くのに不便はない。住民は黒や紺といった色彩を好んでいるようで、服装も街並みも地味な色で統一されている。
住民ぐるみで明らかに狙ってないかこれ。わざわざ恐怖を増長させる演出をしている様にしか見えない。
ハンターも結構な数がいるようで、彼らは鎧やローブといった一般的なハンター装備だ。
「まあ、こんな感じで雰囲気はあるわな。どうだ、ラッミス」
「ひうっ。だ、大丈夫。別に普通かな」
動揺しているなぁ。あちこちを見回す姿が完全に挙動不審だ。怖いのはわかったから、もう少し落ち着こうな。自動販売機を背負って震えているラッミスを、ここの住民が不審な目で見ているから。
「取り敢えず、宿屋に行くか……」
ケリオイル団長の顔に苦笑いが浮かんでいる。これは無理そうだと諦め気味だ。正直、俺も駄目だと思う。
この階層に馴染んでもらうのが目的なので、今日は団長とラッミス、ヒュールミしか来ていない。数日、集落で過ごすだけなのだが、明日まで持つかどうかも怪しいぞ。
物音がする度にラッミスが体を縦に揺らすので、視界が激しく動く。中の炭酸飲料大丈夫だろうか。
数日お世話になる予定の宿屋に着いたのだが、ここも雰囲気のある宿屋だ。
建物としては古くもなく外装も立派なのだが、何故蔦を壁に這わした。入り口の扉の前に設置されているランタンから漏れる明かりも、適度な光量で雰囲気はバッチリだ。
二階建てなのだが、二階の隅の部屋の窓だけ外から板が打ち付けられているのは、どういう意味があるのだろうか。あ、その板の隙間から覗いている女性がいたような気が……きっと目の錯覚だな。うん。
幽霊が現れても何ら違和感のない宿屋だ。ホラーゲームだったら及第点は貰える外観をしている。
「こっ、こっ、こっ、ここで寝泊まりするんですかっ」
動揺しすぎて鶏みたいになっている。ここまで怯えていると、もう帰してあげたいのだが、当人はまだ頑張るつもりみたいだからな。
「そうだな。あれだ、無理そうだったら何時でも言ってくれ。清流の湖階層に戻るからよ」
「な、な、な、何言っているんねーん。平気でんがなー」
ああもう、支離滅裂だ。方言も滅茶苦茶になっている。
「はぁぁ。団長、オレがついているから大丈夫だ。ヤバくなったらすぐに連れて帰るぜ」
「お、おう。そうしてくれ。ハッコンを運ぶ他の方法考えておくからよ」
それが賢明だと思う。ただ、人は慣れる生き物だから、少しの間ここで過ごせばラッミスに耐性が付く可能性も微量ながら残されている。
期待はできないが、温かく見守ることにしよう。
先頭のケリオイル団長が入り口の扉に手を掛けて押すと、扉がギーッと軋みながら開いていく。こういうところもホラーチックなのか。
扉の先はホールになっているのだが、屋外より室内の方が薄暗いってどうなんだ。それに付け加え、インテリアが黒で統一されているところに店主のこだわりを感じる。
そして宿屋には必要ないと思われる肖像画が高い位置にずらっと並んでいるな。薄らと笑みを浮かべているのが不気味に見えるのは、この場の空気のせいだろう。
おどろおどろしい雰囲気出ているな。ラッミス……怯えているのはわかるのだけど、そんなに強く掴まれると――。
《1のダメージ。耐久力が1減りました》
指が体にめり込んでいる、めり込んでいる! メキメキって立てたらダメな音がしているのですがっ。
「いらっしゃいませ……愚者の奇行団様ですね。お待ち……しておりました」
すっと音も立てず目の前に現れたのは、長い黒髪の女性だった。フランス人形が着ていそうな黒のドレスがやけに似合っている。
髪が床に付きそうなぐらい長く、前髪が口元まで伸びているので顔が殆どわからず、唇は鮮血を塗ったかのように赤い。その唇がニヤリと意味深に口角を吊り上げた。
「ふぃぃぃ……」
あ、限界に達したラッミスが直立状態から、そのまま後方へと倒れた。




