自動販売機と畑とバレンタインデー
防衛都市の中に建造物が一切ない一角が存在する。
そこは石畳もなく土がむき出しで、通常時は何もないのだが、日によっては色とりどりの野菜が地面を埋め尽くすこともあり、街の不思議スポットの一つだと言われていた。
……まあ、町の守り神のように敬われている、畑が町に滞在するときの定位置だからなのだが。
ここって二十四時間で、毎月三十日の三百六十日でいいんだよね?
俺は〈念動力〉で商品のボールペンを操り、足元の地面に日本語で書き込む。
すると、地面に日本語の文字が浮き出てきた。
『そうだよ。ここは北の方だから日本の東北地方のイメージでいける』
俺よりも先にこの世界に転生しただけあって、日本人目線での情報はとても助かる。
畑と会話するときは日本語での筆談が多い。万が一誰かに見られても解読されないので、安心してプライベートな話や馬鹿話ができるので助かるよ。
この世界で今日は何日?
『ええと、二月十三日だよ』
おー、バレンタインデー前なのか。異世界に来てから季節を気にすることはあったけど、正確な暦を気にしたことはなかったな。
日本ならチョコ関連の商品を大量に仕入れたら売り上げが期待できるけど、異世界にはバレンタインデーのイベントなんて存在しないだろうから関係ないか。
『悪いんだが、バレンタインデーの情報はこの街に浸透している。キコユは心が読めるからね……ぽろっと何気ない会話中に思ったことを聞かれてしまって、面白いイベントだからとやる気になって、それが周りに広まっていって……』
なん、だと。あの忌々しいリア充のためにあるイベントが、この世界にも広まってしまったというのかっ!
『ハッコンもバレンタインデーにはろくな思い出がないのか』
母と身内と彼氏がいる女友達が義理でくれるぐらいだったからね。たまにチョコ味の変わった飲料が期間限定で自動販売機に並ぶのが、唯一の楽しみだったぐらいかな。
『自動販売機でチョコレートが売ってたりは?』
結構あるよ。イギリスだったかな、チョコレート専門のもあるからね。
アルゼンチンの自動販売機はプロモーション活動で面白い試みをしていて、牛のオブジェクトと自動販売機まで人間同士で手を繋いだら、センサーが反応してチョコが買えるとかやっていたよ。
チョコの自動販売機は結構古くからあってね、チョコとガムを買えるものもあったらしく……って、ごめん。自動販売機のことになるとダメだな。
恥ずかしいことだが畑と一緒にいるときは、自動販売機ネタが通じるのが嬉しくて、一方的に話し込んでしまうことがある。
『いいんだよ。自分の好きなことって饒舌になるよな。わかるわかる』
そう言ってくれると助かるよ。畑は何かバレンタインデーにまつわる思い出とかあったりする?
『バレンタインデーの思い出か……ふっ、いっぱいあるよ。よかったら、聞いてくれるかい?』
聞かせてもらえるなら。
『そう、あれは幼い頃。とても仲のいい女子がいたんだよ。小学生の低学年だというのに、お互いに好きだって言いあっていて、恋人ごっこをするような仲だったんだ』
おー低学年なのに、ませているなー。
『そして、運命のバレンタインデーの日。確実に本命チョコがもらえると信じていた俺は、一日中ウキウキで落ち着かなかった。ただ、学校にチョコを持ち込むのは禁止されていたから、彼女は持ってきていなくてね……その日の放課後に「家に帰ったら、私の家に来て」って恥ずかしそうに耳元で囁いたんだ』
ほ、ほう。小学生にしてリア充とは。くっ、俺にはそんな甘い思い出なかった!
『胸の高鳴りを抑えられないぐらい、喜びと緊張でどうにかなりそうだった俺は、家にランドセルを置いてから、速攻で彼女の家へ自転車を立ちこぎで走らせた。到着した俺は震える指でインターホンを押したのさ』
これが中高生の頃だったら心底羨ましいが、その年だと嫉妬よりも微笑ましさが勝つな。自動販売機じゃなかったら今、顔がニヤついていそうだ。
『あのー、みっちゃん帰っていますか。と言うと、扉を開けて現れたのは、みっちゃんのお母さんで「ごめんねー、あの子、友達とチョコレート配りにいっているのー」と言ったんだよ……』
なんだろう。微笑ましい話を聞いていたはずが、雲行きが怪しくなっているような……。
『俺が、あ、そうなんですか。と返すと「ごめんねー。あっ、そうそう。畑君がきたら渡しておいてって、チョコ預かっていたの。はいどうぞ」と、お母さんの手からチョコレートを受け取ったんだ……』
お、おう……。チョコを彼女のお母さんから、か。う、うん。他の人には手渡しに行っているのに……か。
……晴天だというのに、ここだけ空気が重いのは気のせいだよな。
『色々思うところはあったけど、それでもチョコがもらえたのは嬉しかったんだよ。結構大きな箱を揺らさないように、細心の注意を払って持ち帰ったんだ。家に到着すると急いで包装を剥がして中を見ると……大きなハート形のチョコレートが入っていたんだ』
ハート形のチョコ! ベタだけど嬉しいなそれは。
『そう、嬉しかったさ……一瞬だけは。だって、そのハート形のチョコ、偶然とは思えないぐらい綺麗に真っ二つに割れていたからね……もう、漫画みたいに真っすぐ二つに割れていたよ……』
あ、あれ。今日は空から明るい日差しが照っているというのに、地面に霜が降りてるぞ。確か、畑って感情によって土の質が変わるという話を聞いた。悲しんだり落ち込んだりすると、土が濡れたり冷たくなるって……。
『バレンタインデーといえば、こんなこともあったな。……クラスで一番モテている友人がいて、毎年バレンタインデーになると直接渡せない恥ずかしがり屋の女の子から「これ〇〇君に渡しておいて?」ってチョコレート託されることが多くてね、運搬係で忙しかったよ。そうそう、その友人が毎年食べきられないほどチョコ貰うから、俺に一緒に食べてくれって頼んできて、渋々ながらそいつの家でチョコを食べたのが渡した女の子にバレて、号泣されたことも……あの後、クラスの女子から除け者にされてね……』
も、もういいんだ! もういいんだよ、畑!
明日、俺からでいいならチョコレート幾らでも上げるから!
『ありがとうな、ハッコン。俺からもカカオに似た、キキアを進呈するよ』
異世界のカカオか。使い道はないけど、ありがたく受け取らせてもらおう。
でも、カカオまで育てていたんだ?
『前にバレンタインデーとは関係なしで、チョコレートの話をキコユたちにしたら、チョコを食べてみたいって言うから、似たような植物探して育てたんだよ』
チョコは女性が好きだからね。じゃあ、防衛都市ではチョコが普通に食べられていたりするのかい?
『お菓子屋とか喫茶店のようなところでは、振る舞われているらしい』
へえー。じゃあ、自動販売機の商品でチョコレート並べても売れそうだ。
それから日本での思い出や、雑誌販売できる自動販売機になって、畑に漫画を提供したり、車を呼び出してカーナビで映画を共に楽しんだりした。
次の日。
朝はいつもの定位置で商売をしていたのだが、本当にこの街ではバレンタインデーが広まっているようで、チョコレートの売り上げがかなりいい。
大通りでは、女性から男性にチョコを渡す場面をちらほら見かける。
商売人としてはチョコが売れて美味しい商売なのだが、この世界に悪しきイベントを広めてよいのだろうかと、悩む自分もいるんだよなぁ。
モテる奴とモテない奴の明暗がはっきりと分かれてしまう。モテない側だった自分としては、どうにもモヤモヤする。
「ハッコン師匠!」
お、今日も元気に駆け寄ってくるのは、我が弟子ミシュエルか。
いつもの装備だけではなく、巨大な布袋を背負っている。あんな大荷物を持ってどうしたんだ。修行の旅にでも出る気なのだろうか?
「いらっしゃいませ」
「ハッコン師匠。どうして、教えてくださらなかったのですか!」
あれ、珍しく詰め寄ってきている。俺に対して怒った顔をするなんて、どうしたんだ。
「と う し た ん」
「どうしたん、じゃないですよ。今日は憧れている人や好きな人にチョコレートという菓子を渡す日らしいじゃないですか。それも、ハッコン師匠の故郷の風習だと聞きましたよ」
あー、ミシュエルもバレンタインデーの話を聞いたのか。
「街を歩いていたら、女性からお菓子を次々と手渡されまして、慌てて道具屋で一番大きな布袋を購入して、なんとかなりましたが」
その背負っている大人がすっぽり入るぐらいの大袋は、チョコで埋まっているのか……イケメンはどんな世界でも同じだということだ。
「そ、それで、師匠。自分からも師匠にチョコレートを買ってきましたので、受け取ってもらえますか!」
ミシュエル……それは憧れている人というのを、間違ったニュアンスで誤解しているだけだよね。顔が真っ赤なのも、コミュ障だからだよね? そうだよね?
「い いらっしゃいませ」
だとしたら、受け取るべきだよな。
「受け取っていただけるのですね! ありがとうございます!」
心底嬉しそうに笑っているな。弟子として師匠に日頃のお礼を込めて渡してくれたプレゼント。そう思うことにしよう、うんうん。
「はぁはぁ。いい……すごくいい」
荒い息と興奮した声が聞こえてきたので、そっとその方向へ視線を向けると、近くの建物の陰から覗き見をしている――スコの姿が見えた。
ミシュエルもその姿を確認したようで駆け寄っていく。
「スコさんが教えてくださったおかげで、師匠にチョコレートを渡せました。ありがとうございます」
「ううん。こちらこそ、ごちそうさまでした」
あの、腐タスマニアデビルが弟子に妙なことを吹き込んだ犯人かっ!
スコは最近、俺が出した少女漫画のBLっぽいシーンを食い入るように見ていたからな。……同族だけでなく、人間までいけるのは感心するべきところなのだろうか。
異世界でバレンタインに貰ったのはイケメン弟子からのチョコと畑からのカカオの実。……あ、うん、自動販売機だから、そういうイベント関係ないしぃ。
「いたいた、ハッコーーン!」
自分を慰めていると、大通りの方から駆け寄ってくる、ラッミス、シュイ、ヒュールミ、ピティーの姿が見えた。
全員、その手にはカラフルな色で包装された何かを手にして――。




