自動販売機の限界
正面の敵に意識を集中すると〈結界〉に張り付いていた魔物たちが後方へと下がっていく。
どういうことだ、諦めてくれた展開が一番望ましいけど、そんなに物事は都合よく進まないよな。
『仲間を逃がす為に犠牲になるか。我には理解できぬ発想だが、その実力は見事だと言っておこう』
「ありがとう」
褒めてもらったので一応礼を言っておく。
『ただ、お主のその結界は以前見せてもらった。それに対して対策を考えていないのは、余りにも愚かだとは思わないかね』
その言葉に全身が凍りつくような感覚を覚えた。
それは俺も考えていた。自分が敵側なら〈結界〉の厄介さを知れば普通は考えるよな。だけど、自慢じゃないが〈結界〉を打ち破るのは容易くない。
方法として考えられるのはポイントを使い果たさせるか、もしくは――
『以前、その結界を破壊された経験があったそうだな』
その言葉が俺の考えていた対処方法を指摘しているように聞こえ、生身の体があれば冷や汗の一つでもかいていたかもしれない。
『我はスルリィムの体に腕輪として潜んでおった、そしてお主たちがダンジョンマスターの元へ我を運び、こうして力を得ることができた』
そんなことは説明を聞くまでもなく知っている。
『実は腕輪の全てがこの体になった訳ではない。まだ腕輪の一部がスルリィムの腕に残っている。そして、あれは我の体の一部だ。膨大な魔力を得た現状ならば、その腕輪を使い所持者を操ることも容易い。手駒は最後まで有効に使わなければ勿体ないと思わないかね』
回りくどい言い回しだが、冥府の王が何を言いたいのか理解してしまった自分がいる。
スルリィムを操ることで〈結界〉に対処する方法。それは――
『こういうことだ』
宙に浮かんでいる冥府の王のすぐ側に現れたのは、スルリィムと……灰、ケリオイル団長、そして……ラッミスだった。
最悪な予想ほど的中率が高いな。
四つの手で一人ずつ頭を鷲掴みにして、頭蓋骨の顎の骨がカタカタ笑うように揺れている。
「なっ、ここはっ!」
「えっ、ハッコンさんに冥府の王っ!?」
「な、なんで、ハッコン!」
状況が掴めていない仲間が咄嗟に手を振り払おうとすると、体に稲光が走って全身がびくびくと痙攣する。
「があああああっ!」
「ぐっ」
「きゃあああっ!」
や、やめろっ、くそ骸骨!
飛び込んで殴りかかり助けたいが、自動販売機である俺にはどうしようもない。
体が小刻みに震えているが死んではいない、大丈夫だと信じている、信じているぞ。
怒りで冷静さを失うな、こういう時こそ冷静な判断力が必要となる。落ち着け、落ち着け、俺。
ケリオイル団長とラッミスの声からは激痛に耐えかねて声が漏れるが、長年体を蝕まれてきた灰の方は痛みに慣れているのか声を押し留めている。
スルリィムは何の反応も見せず、虚ろな瞳の焦点が合っていない。
『無駄な抵抗は止めることだ。ここで死にたくはあるまい。これを見て理解してもらえたかと思うが、スルリィムの転移の力を使い三人をお招きした』
拠点であっさりと逃亡を許したことは、ダンジョンマスターの元へたどり着く為の布石だったことは理解していたが、まだ利用価値があると考えていたのか。
ラッミスの息は荒いが、それは生きて呼吸をしているということだ。
『さて、ケリオイル。破眼の加護であの結界を消してもらえるだろうか。おっと、無駄なやり取りは省かせてもらう為に、一言付け加えさせてもらう。断ると同時に息子や怪力娘の頭を弾けさせるので、考えて返事をしてくれたまえ』
断るつもりで口を開きかけていたケリオイル団長だったが、その口を噤み冥府の王を睨みつけている。
そんなことをさせなくても、ラッミスの命を条件に直接俺に交渉すればいい。だというのに回りくどい方法でケリオイル団長に苦渋の選択をさせる底意地の悪さ。根っからの悪党で下種野郎だ。
「駄目だよ、父さん! ボクがこうしていられるのもハッコンさんがいてくれたからだよ。例え死ぬことになっても、家族と過ごせた時間は忘れない!」
「だ……め……」
ラッミスの声は弱々しいが灰は話せるぐらいには回復している。
叫び説得する灰を止めることなく冥府の王は見物していたのだが、長く大きな骨の尻尾で顎を擦り、考えるような素振りを見せた。
『立派な少年だ。しかし、そんな彼が苦しみから解放されて、これから素晴らしい人生が待っているというのに、ここで終わらすというのかね? あの結界を消し去ってくれるのであれば、キサマらには危害を与えないと誓おうではないか。我はキサマらと違って一度たりとも契約を違えたことはないつもりだが』
冥府の王の言う通り、契約を破棄して先に裏切ったのはケリオイル団長たちの方だ、それを皮肉っているのだろう。
だが、ここで相手が口約束を果たす義務はない。
『ここで断り共に死ぬか、それとも結界を消して家族と人生を謳歌するか。好きな方を選びたまえ』
ここで断れば確実な死が待っている。仮に受け入れたとしても殺されるだけかもしれないが、助かる可能性があるのも確か。
結界を消した場合、自分たちは助かるかもしれないが、逃げている最中の魔物が住民たちに追いついてしまえば凄惨な展開が待っている。
ケリオイル団長は血が出るぐらい唇を噛みしめ、苦渋の表情で頭がおかしくなるぐらいに悩んでいるのが伝わってきた。
その気持ちはわかるよ。目の前でぐったりとした体を晒しているラッミスを見ていると、回線がショートして火花が散りそうだ。
何かできないのか。今の俺に現状を打破する起死回生の手はないのか。
『ハッコン。妙な動きを見せた途端、こやつらは死ぬぞ。自重することだな』
俺の心を読んだようなタイミングで釘を刺してきた。
これで俺に出来ることは……あれしかなくなった。
『さあ、どうするのだ。決心がつくように制限時間を決めさせてもらうとしよう。では、十秒以内に決めてくれたまえ。十、九、八、七』
もう悩んでいる時間はない。俺は自ら〈結界〉を解除した。体を包み守ってくれていた青白い光が消滅する。
ケリオイル団長が目を見開き俺を凝視している。何かを言おうとしたが俺の気持ちを汲んでくれたようで、声に出さず「すまない」と口の動きだけで伝えてきた。
いいんだよ、団長。これは俺が決めたことだから。
それにこのやり取りが人々の逃げる時間稼ぎになる。
『結界を破眼で消してくれたか。子供の為に全てを犠牲にする親の心というのは、いやはや滑稽……いや、健気なものだ。我は約束を違えることはない。この魔道具が破壊されるのを見届けた後に仲間の元へ運んでやるとしよう』
胡散臭い言い回しだが、今は信じるしかない。
魔物の群れが〈結界〉を失った俺の元に押し寄せてくる。巨大な自動販売機の体に手にした武器を容赦なく叩きつける度に、
《2のダメージ。耐久力が2減りました》
《0のダメージ。耐久力は減りません》
と文字が頭の中に豪雨のように降ってくる。
頑丈が高いので蛙人魔程度の雑魚であれば、防御を貫けずダメージは全くないのだが、鰐人魔以上の魔物となると僅かだがダメージが通り、この数になるとあっという間にダメージが蓄積されてしまう。
このままでは破壊されるのは時間の問題なので頑丈を更に上げ、100に達すると殆どダメージを受けなくなる。その代わり大量のポイントを失う羽目になったが。
もっと上げたかったのだが、100が限界のようでそれ以上はポイントを注ぐことすらできない。代わりに耐久力を限界の1000まで上げてそう簡単には壊れないようにする。
体の修復にポイントを費やし、今までとは比べ物にならない頑強さを手に入れた俺は、ほぼ無傷状態で攻撃を受け続けている。
これなら時折通る僅かなダメージを修復すれば、結界よりも長く耐えきることが可能だ。
よっし、狙い通りだ。この状態なら相手に従順であるように装いながら、試行錯誤の時間も稼げる。
『なかなかどうして、この程度なら耐えてみせるというのか。ならば、この溢れんばかりの魔力を試させてもらうとしよう』
冥府の王の尻尾が伸び四人に巻き付く。そのまま拘束した状態で下に垂らしているのだが、全身が痺れた状態のままらしく抵抗できないようだ。
自由になった四本の腕を掲げると小さな渦が頭上に発生した。
それは大気や瓦礫、崩れ落ち始めている天井の岩を吸い込み、見る見るうちに巨大な渦へと変貌する。
『さあ、これを受け止めてもらえるかね。もしくは……その巨体を縮めて通してくれるというのであれば見逃してもよい。言うまでもないが、それ以外の妙な動きをしたら……わかっておるな』
「いらっしゃいませ」
と答えたものの、あの渦がやばいのは試してみるまでもない。〈結界〉を出せば止められるが、そうなると団長たちやラッミスの命が失われる。
映画とかでどっちの命を天秤に懸けるかなんて究極の選択があるが、今がまさにその時か。自動販売機に生まれ変わってそんな選択を迫られるとは思いもしなかったな。
この世界で最も大切な存在はラッミス、そして仲間たち。ならば、迷う必要はない。
だけど俺は……割り切ることができない。甘く我儘な考えだとは重々承知しているが、みんなを助けたい。
「だ……め……ハッ……コン……」
口を開くのもやっとといった感じなのに、俺の身を案じて心配してくれている。
大丈夫だよ、ラッミス。俺は異世界で得た自分の体を信じたい、一緒に旅を続けて共に成長した、この自動販売機の体をっ!
迫りくる巨大な渦を眺めながら――〈結界〉を張らずに受け止める。
今まで感じたことのない衝撃が全身を揺さぶり、視界が黒に染まり尚且つ稲光が幾つも飛び散って見えた。
轟音が今も耳に残り、自分の状況が全く掴めない。
何だこの感覚は、痛覚も感覚もないというのに全身から力が抜けていくような、おぞましい寒気がする。
《979のダメージ。耐久力が979減りました》
ギリギリで耐えてくれたかっ! 本当に辛うじてだが。
自分の体を見下ろすと、巨大な自動販売機の至る所が欠けて穴が開いている。ごめんな、こんなに傷つけてしまって。
それでも助かったことに安堵して、気が緩みかけていた俺の頭に再び文字が浮かぶ。
《九割以上破損した為、元の自販機へと戻ります》
なっ、そんな仕様があるのか。今までここまでの損傷を受けたことがなかったから知らなかったぞ。
《尚且つ、この自動販売機はもう使用することができません》
ここまでボロボロになると、二度とこの自動販売機にフォルムチェンジができなくなってしまうのか。
今まで、日本一大きい自動販売機には何度も助けられてきた。本当にありがとう、すまない。
心からの感謝の言葉を伝えると、体から金色の光が漏れだし一気に縮んでいく。そして、俺は元の自動販売機へと姿を戻した。
体は地面にひれ伏すように前倒しになっている。
『あれを耐えきるか。しかし、あの姿を保つことも叶わぬようになったか。見たところ限界ではないのかね』
いつもの自動販売機に戻ったはいいが、内部がショートしているようで時折、火花が散るボロボロの状態。耐久力は減ったままなので見るも無残な姿を晒している。
今すぐにでも修復したいが、感づかれたらラッミスたちの命は無い。
《1のダメージ。耐久力が1減りました》
ここまで壊れていると何もしなければ耐久力が減り続けていくのか。
『……が、天晴れだ……では……』
駄目だ音声も碌に聞き取れ無くなってきた。自動販売機として死を迎える直前はこんな感じなのか。
ラッミスが泣きながら何かを叫んでいる。大丈夫……大丈夫だよ。
冥府の王が右腕を前に突き出している。ああ、魔物の群れが向かってきた。最後は魔物の波に呑み込まれ、蹂躙され踏み潰されて終わるようだ。
《1のダメージ。耐久力が1減りました》
くそ、視界もぼやけてきた。
ここで修復して結界を張っても、誰からも咎められることはないだろう。ラッミスや団長たちだって納得してくれる、そういう人たちだ。
《1のダメージ。耐久力が1減りました》
抵抗を見せれば団長たち……ラッミスが死んでしまう。
迫る足音が雪崩のように耳で反響している。魔物の足が俺を踏みつけ、ひび割れた身体が砕けて、火花が激しく散る。
《1のダメージ。耐久力が1減りました》
体から漏れだす煙が辺りに充満している。
もう耐久力は二桁を切っただろうか。体が限界を迎えたのか能力を確認することすらできない。
《1のダメージ。耐久力が1減りました》
《1のダメージ。耐久力が1減りました》
魔物の巨大な足が俺の上を通り過ぎていく、密集して……いて……天井すら……見えな……い。
《1のダ……ジ。耐久力……減りま……》
「ら っ い す」




