望み
『くっははははっ、ここまで思惑通りの事が運ぶと笑いが止まらぬなっ!』
声の発生源を探るより早く、スルリィムの腕が膨張して蠢き白いコートの袖が千切れる。
中から銀の何かが飛び出すと、それは完全な不意打ちとなりダンジョンマスターの額に突き刺さった。
『がああっ! そこに、潜んでいたかっ』
額のソレを強引に引き抜き大量の血で顔面を染めて、ダンジョンマスターは片膝を突いた状態で相手を睨みつけている。
ソレはスルリィムの腕に巻き付いた骨の腕輪から伸びた骨。
「スルリィム、お前っ!」
ヒュールミが怒鳴りつけるが、当の本人は驚いた表情で硬直している。
彼女が自分の意思でやったことではないのか?
ダンジョンマスターを守るように仲間たちがその前に並び、顔面蒼白で小刻みに震えているスルリィムに武器を構えている。
「わ、私は知らぬっ! 本当に、知らないのだっ!」
髪を振り乱して叫ぶスルリィムから目を離せないでいるが、さっきから腕輪から伸びた骨が俺たちをからかうように、ゆらゆら揺れているのが癇に障る。
『責めないでやってくれぬか。スルリィムは本当に何も知らぬのだよ』
「冥府の王……様」
その傲慢な声は彼女の右腕から漏れている。あの骨の腕輪が声を発していた。
『我は待ち望んでいたのだよ、この時を。願いを叶えた代償により力を失い、容易く葬ることができるこの時をな!』
腕輪の骨が解け、それは頭上へと絡み合いながら昇り一度、銀色の球へと変貌してから再び解けた。
ソレはもう原形を留めていなかった。緻密な刺繍が施されたローブを着込んだ骸骨が宙に浮かんでいた。
四本の腕を生やした巨大な骸骨の臀部からは骨の尻尾が伸び、眼球のあるべき場所には何もなく暗闇が覗いているだけなのだが、体が萎縮するプレッシャーがその窪みから押し寄せてくる。
腕輪になって潜んでいたのか。ここで本当のラスボス登場とはたちが悪いな。
「冥府の王っ!」
『久しいな、ケリオイル。我を裏切るとは良い度胸だ。その心意気に免じて死体を我が配下に加えてやるとしよう』
「腐った体に興味なんてねえよっ!」
団長たちは武器を構えて冥府の王と対峙している。まだ少し団長たちを疑っていた自分を恥じないとな。
『わざわざ我を運んでくれた礼をせねばならぬな。こやつが張った魔物避けの結界が厄介でな。こうでもせぬと入り込むことが叶わなかったのだよ』
『この階層の魔物除去の結界をこのような手段で……抜けるとはな』
だから、この階層には魔物が一体も現れなかったのか。冥府の王がケリオイル団長たちを利用していた理由が納得いった。
自分に手は汚さずに暗躍するタイプなのかと思っていたが、それだけが理由ではなかったのか。
『今の一撃でかなりの力を得ることができたぞ、ダンジョンマスター。もう、このダンジョンの力の大半が我の物となった。スルリィムよ、この成果を持って我が陣営に戻ることを許そう。さあ、こちらに来るがいい』
宙に浮かんでいた冥府の王が地面すれすれまで降りてくると、その手をスルリィムに差し伸べている。
俺たちは動くこともできず状況を見守っているようにみえるが、全員膝を少し曲げていつでも動けるように戦闘態勢を保っている。
スルリィムは自分の手を冥府の王の手を交互に見比べ、一度だけ俺たちの方へ顔を向けた。いや、俺たちじゃなく灰を見たのか。
そして、スルリィムはその手を冥府の王へと伸ばしていく。
やはり裏切るのか……違うな元の鞘に収まるだけ。期待していただけに残念に思うが、予想の範疇だ切り替えよう。
諦めきっていた俺の目の前で、スルリィムは冥府の王の手を取る直前、溢れ出した冷気が冥府の王を包み込んだ。
『どういうことだ、スルリィム』
「私を利用していたのですね、冥府の王」
『利用も何も、お主は我が拾った物。所有物を使って何が悪いのだ』
悪びれないな、この骸骨。いっそ清々しいよ。
「お姉ちゃんはモノじゃないぞ!」
冥府の王に対して物怖じすることなく、灰が感情の高ぶるままに怒鳴りつけている。
その姿にスルリィムの頬がほんの少しだけ緩んだ。そして意を決したのか冥府の王を正面から睨みつけた。
「以前なら貴方の物であることに喜びを感じていましたが、もう違うのです。もっと大切な眩く輝く宝を見つけてしまったのです」
『物が意思を持ち歯向かうとは、片腹痛いわ。もうよい、不良品はこの手で処分しなくてはな』
冥府の王が右腕を突き出すと、巨大な黒い渦が現れる。魔力の無い俺でもあれが凶悪な力を秘めていることが理解できた。
スルリィムが咄嗟に氷の壁を五枚並べて出現させるが、黒い渦が触れただけで一瞬にして蒸発していく。
五枚の氷板が消滅して、彼女を守る物が消え失せ黒い渦に呑み込まれるのを黙って見ているしか――そこに割り込んだ影が一つあった。一緒に渦に呑み込まれる直前黒い渦が掻き消える。
「息子の将来の恋人候補を死なすわけにはいかないよな!」
帽子のつばを人差し指で押し上げ、紅く光る瞳が冥府の王を見据えている。
ケリオイル団長が〈破眼〉で魔法を掻き消したのか。
「息子の為ですからね。ですが、大きくなるまで清い交際でお願いします」
隣に立つフィルミナ副団長が手にした杖を冥府の王へと向けた。
激流が冥府の王を襲うが体から溢れる黒い霧が全てを弾き落としている。
「目が覚めたばかりの兄貴に彼女ができて、何で俺たちにはっ!」
「差別だ、格差社会だ!」
文句を言いながらも、スルリィムの前に滑り込み武器を構える、紅白。
「お姉ちゃん、ずっと一緒なんでしょ。だったら、一人で突っ走ったらダメだよ、めっ」
呆けた顔のスルリィムの額を人差し指で軽く叩き、天使の様な笑みを見せている。
灰はどうやったら自分が可愛く見えるか、わかってやっているよな。
「貴方たち……ありがとう。うん、無茶はしないわ、誓って」
美しい家族愛だけど、あまり相手を挑発して欲しくなかったかな。
冥府の王が全ての腕を掲げると頭上に四つの黒い渦が発生する。それが全て投げつけられケリオイル団長たちを覆い隠す。
団長の〈破眼〉で渦の一つは消えたが残りの三つが直撃するコースだ。
「危ないなー!」
寸前で飛び込んだラッミスと俺の〈結界〉により団長たち全員をカバーして、魔法の一撃を防ぎ切った。ポイントが3000も減ったが命あっての物種だ。
『ことごとく邪魔をしてくれるな、異世界からの魂が宿りし、魔道具よ』
睨みつけないで欲しいな。怖すぎて温かい商品まで冷たくなってしまいそうだよ。
さーて、どうするか。冥府の王が現れたのは予想外の展開だが、今の一撃を防げることが判明した。やりようによっては倒せる気がするぞ。
冥府の王から目を離さずに頭の中で今後の展開を計算していると、横合いから伸びてきた光の帯が、相手の体を直撃した。
轟音と爆風が吹き荒れるが、俺は〈結界〉で全員を包んだまま視線を逸らさない。
今の光を放ったのは片膝を突いたまま手を伸ばしているダンジョンマスターか。
『先の一撃で葬れなかったのは残念でしたね』
『力の大半を失っても、まだ足掻くか』
全身から煙を立ち昇らせた冥府の王が忌々しげに、ダンジョンマスターを見下ろしている。
『ここは魔物の魔力を抑え込む細工が施されています。ここなら奴も本来の力を発揮できぬ筈です』
それならこっちも勝機が出てきたが。それを聞いた冥府の王は焦るそぶりも見せずに、不遜な態度を維持したまま宙に浮かんでいる。
『このまま相手をしても構わぬのだが、少し遊んでやるとするか』
骨の指を鳴らすと足下から振動が伝わってくる。
「な、なんだ。大地を揺らす魔法かっ!」
「ハッコン、落ち着いて! だ、大丈夫だからねっ」
ヒュールミもラッミスも慌て過ぎだ。これぐらいドンと構えておかないと。
体感では震度三ぐらいだろうか。日本人としては驚くレベルではないのだが、仲間たちがうろたえている。
『冥府の王よ、もしやこのダンジョンを崩壊させるつもりか!』
『その通りだ、ダンジョンマスターよ。我はここの戦力を手中に収めるのが目的でな。ダンジョンを維持させるつもりは毛頭ない。魔物たちは全て地上へと移動させるとしよう。お主たちはここで殺すよりも、ダンジョン内の人々が死にゆくさまを見せつけた方が堪えるであろう』
冥府の王が左腕の一本を掲げると、天井にスクリーンを張ったかのように映像が浮かび上がった。
そこは清流の湖階層で住民たちが慌てふためいている姿が映し出されている。
『さあ、阿鼻叫喚の地獄絵図を共に観賞しようではないか!』
二度の復興を終え、ようやく平穏を取り戻した街並みが崩れていく。
会長たちが住民を懸命に誘導する姿や、大食い団が女子供を救い背に乗せて運搬している。みんなが懸命になって生き延びようと踏ん張っている。
「いい加減にして! こんな事をして何が楽しいのっ!」
『魔道具を背負いし娘か。魔物というものは本来人を苦しめる存在なのだよ。負の感情というのは美味でな、絶望に染まりし顔に悲痛な叫び。これ程の美食があろうか。だというのに、魔王はそれもわからず共存の道を探ろうとしておる、情けない』
上司批判を始めたぞ。魔王という名からして極悪非道の存在だと思い込んでいたが、こいつの口振りだと人道的な相手なのか?
「情けないのは、そっちやんか! もう、許さへんからねっ!」
俺はコンクリート板を呼び出して、それを〈念動力〉で操りラッミスの手元に運んだ。
掴み取ったコンクリート板を大きく振りかぶると、迷いなく冥府の王に投げつける。
周囲を漂う闇の霧にあっさり砕かれてしまったが、冥府の王の注意は引き付けられた。
『自ら命を縮めるか、愚かな。まあよい、その両手足を砕き動けなくしてやろう。我の力を衰えさせていると思っているようだが、ダンジョンの力を取り込んだ我に通用すると思わぬことだ』
その言葉が本当だとしても、ここで引くわけにはいかない。ダンジョンの崩壊を止めるにはここで奴の息の根を止めなければならない!




