ダンジョンマスター
「オレから質問させてもらうぜ。そもそもダンジョンとダンジョンマスターってなんだ?」
ヒュールミの質問は大雑把でありながら誰もが抱いていた疑問だった。
この世界のダンジョンは何故存在するのか知られていない。ただ、最終階層まで制覇すると願い事が叶うということだけが広まっている。
『なるほど。そうですねダンジョンとは大昔の魔法使いが己の能力を見せつける為に、創り上げた芸術作品……いや娯楽施設といったところでしょうか。そのダンジョンを創った者がダンジョンマスターと呼ばれています』
「大昔の魔法使い?」
『今よりも遥か昔、この世界を支配していた偉大なる一族が存在していました。馬鹿げた魔力を有し、万物を支配していた……まあ、理由あって滅びてしまいましたが、それは別の話なので今は関係ありませんね』
へええ、この世界の歴史を殆ど知らないから、そんな一族がいたなんて聞いたこともなかったな。異世界の住民にとっては常識なのだろうか。
そう思って仲間の様子を窺ったのだが、全員が眉間に皺を寄せて考え込んでいる。あー、この世界で知られていない情報っぽいな。
「そんな偉大な存在がいたなんて聞いたことがないが」
ヒュールミが知らないのなら、普通の人が知る訳がないよな。
『色々あって、以前の歴史と記憶は葬り去られたようですからね。ここは神の遊び場なのかもしれませんよ。異世界人を頻繁に送り込んだりしていますから』
意味深なことを口にしたダンジョンマスターが俺をじっと見ている。
その歴史について詳しく知りたい気もするが、今は優先すべき事柄があるから後回しだ。
「偉大な魔法使いがダンジョンを創り、互いに作品を自慢していた……って認識でいいのか」
『ええ、それでいいと思いますよ。魔法使いたちは他人のダンジョンに支配していた奴隷や部下を送り込み、その様子を見物して楽しんでいました。そして、自分のダンジョンの方が優れていると他者へ自慢するわけです。で、別の魔法使いがダンジョンに人を送り込む。これの繰り返しですね』
本当に娯楽施設だな。現代日本に無理やり当てはめるなら、ダンジョンマスターはゲームクリエイターか。自分の作ったゲームを他人にさせて、それを見物して楽しむと。
「そうか……ここからが質問の本命なんだが、最下層に達したらどんな願いも叶えるというのは本当なのか」
ヒュールミがとうとう切り出したか。ダンジョンの成り立ちは物語として興味はあるが、俺たちがダンジョン制覇を目指した本当の目的はこっちだ。
相手の返事を待つケリオイル団長一家の顔が真剣みを帯びる。この答えを求めてずっと彼らは冒険を続けてきたのだから、無理もない。
『ええ、本当ですよ』
きっぱりと断言したダンジョンマスターの言葉に仲間たちが歓声を上げそうになるが、
『ただし、何でもではありません』
続く発言に表情が曇る。
偉大な魔法使いとはいえ、そりゃ何でもは無理だよな。
勝手に期待していただけなのだが、少しだけ失望した。
「ダンジョンマスター、息子の負の加護を消すことは可能なのだろうか」
今まで発言を控えていたケリオイル団長が、我慢できずに口を挟んできた。
ダンジョンマスターが一瞥すると、口元に笑みを浮かべる。
『可能ですよ。私の魔力を用いれば望まざる加護を消すことは可能です』
「おおおっ! な、なら、うちの息子の腐敗を消して欲しい!」
身を乗り出し懇願するケリオイル団長をダンジョンマスターが手で制する。
『慌てないでください。ダンジョン制覇の褒美についてまだ語っていませんでしたので、ここで詳しい説明を入れておきますよ』
そうだった。願い事を叶える条件も聞いていないし、幾つ叶えられるのかも知らないでいる。
『願い事の数に関しては上限がありません。可能であれば幾らでも構いません』
予想外の大盤振る舞いに息を呑む音がした。
しかし、今の説明には含みがある。素直に喜ぶのは全て訊きだしてからにしよう。
『例えば金銀財宝が欲しいのであれば、私の貯め込んだ魔道具や宝石を譲りますので、その願いは叶えられます。このように』
ダンジョンマスターが軽く手を振ると玉座の隣に金銀財宝の山が現れる。
金貨銀貨だけでも信じられない量なのだが人の拳ほどの大きさがある宝石や、無駄に飾り立てた剣や鎧も埋もれていた。
信じられない量の財宝を前にして仲間の目の色が変わっている。
『先程の加護を消去するような普通では叶えられない願いの場合は魔力を消費します。その魔力の上限が願いの限界となります』
「その魔力はどの程度あるんだ?」
『このダンジョンに満ちている魔力全てですよ。なので、願いを叶えた後は魔力が尽きてダンジョンが崩壊するのです』
願いを叶えるとダンジョンが消えるというからくりは、これが原因だったのか。
このダンジョンの魔力全てとなると、相当な量だとは思うが魔力を還元して叶えられる願いって何処までが可能なのだろう。
「じゃあ、灰の腐食を消して、ハッコンを人間に戻すのは……可能か?」
ヒュールミが一度こっちを見てから、ダンジョンマスターに問いかけた。
彼が俺のことをじっと見ている。疲れ切った中間管理職っぽい雰囲気だというのに、その瞳を見ているだけで吸い込まれそうだ。
『ええ、ギリギリですが可能ですよ。その場合、魔力を使用した願いはもう叶えられなくなりますが』
人間に戻れるのか? えっ、あっ、そうなのか。期待はしていたが実際に可能だと言われると、感情が付いてこない。頬があるならつねって欲しいぐらいだ。
「おおおおっ! マジかっ、やったなハッコン!」
「良かったね、ハッコン! 人間に戻ったら絶対に手料理食べてね!」
「ふふふ……生身の……ぬくもり……」
両隣に座っていた二人が立ち上がり、感極まって抱き付いてきた。後ろにはいつの間にか傍に来ていたピティーもくっついている。
「おめでとうございます、師匠!」
「よかったじゃねえか、ハッコン。これで心置きなく息子の加護を消してもらえるぜ」
仲間が俺の元に集まり、自分のことのように喜んでくれている。
そうか、人に戻れるのか。嬉しいのか不安なのか、感情が入り混じって自分の気持ちがわからない。でも、みんながこんなにも喜んでいてくれるなら、人間に戻る価値があると思いたい。
それにこの手でみんなに……ラッミスたちに触れてみたい。だから、もう迷うのはやめだ。ここで俺は人間に戻――
『盛り上がっているところすみませんが、説明の途中ですよ。確かに、その二つの願いは叶えられますが、そうするとダンジョンの人々をダンジョンの外に逃がすこともできず、ダンジョンが崩壊してしまいますが、宜しいでしょうか? ああ、貴方たちをダンジョンの外に出すぐらいの魔力は残りますので安心してください』
喜び合っていた仲間の動きがピタリと停止して、顔だけがダンジョンマスターに向けられている。
俺たちの盛り上がったこの気持ちを返してほしい。
つまり、俺の願いを叶えるとダンジョンが崩壊を始め、俺たちは助かるが今ダンジョンに居る人は全員生き埋めになるってことか。
そんなことを聞いて自分の願いを叶えてもらう訳にはいかない……よな。
「ハッコンが人間に戻れると思ったのに」
「くそっ、どうにもなんねえのかっ」
落ち込む仲間を尻目にダンジョンマスターの言葉を頭の中で反芻していた。
二つの願いを叶えると魔力がほぼ尽きる。そうなるとダンジョンが崩壊するので住民たちが逃げる暇がない。
ここで最良の答えは、願いを叶えて住民をダンジョンの外へと逃がすことだ。
熊会長たちと話し合って、住民たちがダンジョンから出ることには同意を既に得ている。なので住民がダンジョンを捨てることは問題がない。
となると、逃げるまでの時間稼ぎが必要となる……あれっ? これって別に悩む必要はないような。
『おや、ハッコンさん何か思いついたようですね』
ダンジョンマスターはキコユのように人の心が読めるのだろうか。絶妙なタイミングで話しかけてきた。
「だ ん ち よ う」
「ね が い し て」
「あ と で こ っ」
「ち か の う」
『ええ、可能ですよ。先に息子さんの負の加護だけを解除して、ダンジョンの人々が逃げてから、もう一度ここを訪れてくだされば人間に戻せます』
通訳なしで通じてくれた。俺の考えは間違えてなかったようだ。
一度清流の湖階層に戻って、また来ないといけないのが面倒だが、それぐらいの手間は我慢しないとな。
灰の負の加護だけでも解除してもらえば、最悪俺の願い事は叶わなくても構わない。
『冥府の王が入り口を閉じているようですが、それも一時的なら解放は可能です。本来なら二人の願いを叶えても魔力には余裕があったのですが、冥府の王が私の力を奪ってしまって、今はこれが精一杯なのです』
申し訳なさそうに頭を下げてハンカチで額の汗をぬぐっている。やっぱり、冴えないサラリーマンに見えてしまうな、この人。
「ハッコンがそれでいいなら、お言葉に甘えさせてもらうが……本当にいいんだな」
「いらっしゃいませ」
俺が先に願いを叶えることも可能だろうけど、長年待ち望んでいた子供を呪いから解放できるチャンス。それが目の前にあるのに我慢させるのは、人としてどうかと思う。
まず、灰を自由にして上げて、その上で全てが片付いてからゆっくり人間に戻らせてもらおう。俺もその間に頭の整理をしておきたいし。
『では、息子さんの腐食を解除しますね。こちらに来てください』
信用できる相手だとは思いたいが、今までが偽りの姿ではないという保証はない。
それは灰も理解しているのだろう。スルリィムと一緒にダンジョンマスターの元へゆっくりと近づく姿に油断は感じられない。
『生来得ていた加護を取り除くとなると、もっと手間と魔力が必要なのですが、強引に擦りつけられた加護であれば、さほど難しいことではありません』
目の前に来た灰の頭に痩せ細ろえた手を添える。そして、ゆっくりと手を離していくと頭頂部から闇の霧を濃縮したようなナニか引きずり出されていく。
ソレはダンジョンマスターの手の平から離れられないようで、逃げ出そうと暴れているようだったが、そっと手を閉じると同時に綺麗さっぱり消滅した。
『これで腐食の加護は消えました。もう、体を蝕む痛みに悩ませられることもありませんよ』
まだ実感が湧かないのだろう、灰は自分の手の平を何度も閉じたり開いたりしている。
スルリィムはその光景を寂しそうに見つめながら、静かに後退していく。そして、彼女の力による呪い無効化範囲の外になっても、苦しむ素振りを一切見せなかった。
「痛みが……ない。痛みがないよ!」
目に涙を溜めて勢いよく振り返った灰に、赤と白が駆け寄って抱き付いた。
感極まった二人は何も言わず、ただ灰を抱きしめ泣いている。
ケリオイル団長はフィルミナ副団長の肩を抱き寄せ、音もなく泣き続ける嫁の背を優しく撫でながら帽子のつばを下げて、視界を遮られたまま天井を見上げていた。
彼らの念願が叶ったのだ。俺たちは口を挟まず、そっと見守っておこう。
俺の隣ではラッミスとヒュールミが涙目で微笑みながら、羨ましそうにケリオイル一家を見守っている。
暫くの間そうしていたのだが、不意に灰が顔を上げて誰かを探すように視線を彷徨わせると、目的の人を発見して駆け寄っていった。
「スルリィムお姉ちゃん、今までありがとう!」
「良かったわね。これでもう、私と一緒にいなくても……」
満面の笑みを見せる灰を眩しそうに見つめていたスルリィムは、寂しそうに微笑んでいる。
諦めの言葉を呟く彼女を遮り、灰は大きな声でこう言い放った。
「これからもよろしくね、スルリィムお姉ちゃん!」
「呪いが解けたのだから、もう自由なのよ、貴方は」
「うん、自由だから、自分の意思でお姉ちゃんと一緒にいるね!」
スルリィムは口元を押さえて肩を震わせると、何も言わず強く灰を抱きしめた。
始まりはお互いを利用し合う関係だったが、時を経てそれは絆となり二人を強く結んだと思いたい。あの緩みきった目つきと口元を見ていると若干の不安を覚えるが。
これで本当に愚者の奇行団がらみの問題は全て解決となった。後はダンジョンの人々に報告して外に出てもらって、もう一度戻ってくるだけだな。
『この時を――待っていた!』
そんな俺の考えを嘲笑うかのように何の前触れもなく、聞き覚えのある歓喜に震える声がこの場を満たした。




