進軍
あれから二日が経過して、偵察に向かっていたハンターが戻ってきた。
その人は背中に翼の生えた天使のような姿をした翼人魔と呼ばれる種族らしい。
空も飛べて〈隠蔽〉〈千里眼〉〈暗視〉〈転移〉〈気配操作〉と偵察に特化した加護を所有しているので、今回の危険を伴う任務には彼しかいないと抜擢されたそうだ。
戻ってきたばかりの彼が会議室にいるとのことなので、緊急招集に従い主要メンバーである俺たちも向かっていた。
「偵察の人、無事に戻ってきてよかったね」
「偵察に特化したハンターらしいからな」
俺はいつものようにラッミスに背負われて、頭の上にヒュールミが座っている。
急いで向かわないといけないので上に乗ってもらった。少し離れた後方からピティーとミシュエルが追ってきているな。
最近、二人は何かと仲がいいようで頻繁に会話をしている姿を目撃している。全く違うように見えて共通点がある二人なので、このまま友人になってくれると俺も心配事が一つ減るのだが。
会議室に入ると白鳥のような白い大きな羽を背負った、金色の髪のイケメンがいた。本当に天使みたいな人だな。
「来たか。皆揃っておるぞ。好きな席に座ってくれ」
どうやら俺たちが最後だったようで、入り口に近い位置に俺は設置された。
「では、ムキオラ。何があったか教えてもらえるか」
「はい。犬岩山の背後には確かに小島が存在していました。そこに砦も存在していましたので、私は夜に屋上へと降り立ち内部へと侵入しました」
そこまでやったのか。あそこに潜り込むのは危険すぎる行為だよな。そんな無茶な頼みごとをしていたのか……ハンターの命優先を信条にしている熊会長らしくないな。
「依頼は外部からの偵察のみだった筈だが」
「ええ、そうだったのですが、敵の気配が全くなかったのですよ。物音一つせず、気配が皆無でしたので、そのまま帰る訳にはいかず侵入を試みました」
独断専行だったのなら、納得だよ。
「中はもぬけの空でして人っ子一人いませんでした。一階の船着き場を見たところ船が一隻もありませんでしたから拠点を捨てたのではないでしょうか」
情報が流出したので潔く拠点を移したのか。他の場所にも同じような拠点を設けておくのは戦術の基本だと、昔読んだ小説で軍師が言っていた。
「ふむ。大半が骨人魔の兵だったと聞いている。奴らは冥府の王が召喚し操る下僕だろう。奴にしてみれば下僕を送り返すなんてことは朝飯前……数少ない人間や亜人だけを逃がせば拠点には何も残らぬか。スルリィムが転移を扱えるという話だったな。それで別の階層に移動した可能性も」
「会長、それは恐らくないかと。私も転移を扱えますが、この能力は扱いが難しく発動には精神力と体力を大量に消耗します。私の魔力では自分以外に三人を運ぶのが限度で、一度使うと三日は回復に時間を必要とします。雪精人の膨大な魔力をもってしても、十人ぐらいを運ぶのが限度ではないでしょうか。それも長距離の連続使用は無理かと」
そうなると、考えられるのはスルリィムとケリオイル団長たちだけが転移で逃げて、他の面子は船で脱出か。
「清流の会長よ! なら船で逃げた奴だけでもとっ捕まえて、縛り上げようぜ!」
今日も会議室に響く大声だな、灼熱の会長。
「灼熱の会長の意見も尤もだが、冥府の王は捕まる可能性の高い彼らを船で逃がしてどうするつもりだったのか。私が冥府の王なら砦を死守させて時間稼ぎをするか、自害させるが」
さらっと恐ろしいことを口にした始まりの会長だったが、冥府の王と接触した経験があるので、あり得ないことだとは言えなかった。
「何か別の目的があるのかな? その冥府の何とかって性格悪そうだし」
子供会長――犬岩山会長が素直な意見を口にしている。
「別の目的か……ヒュールミはどう思う」
熊会長に意見を求められたヒュールミは腕を組んで目を閉じて思案していた。
おもむろに瞼を開くと、前を見据えて口を開く。
「これはただの憶測だということを先に断っておくぜ。船で逃げたと思われる下っ端はそもそも、碌な情報も知らされていないという可能性が高いと思う。なので捕まったところで向こうさんとしては何の問題もない。って考えるのが妥当じゃねえか……ただ、もっと有効活用しようと考えるなら」
そこで一旦、言葉を区切ってヒュールミは会議室にいる全員の顔を見回す。
「髑髏の指輪を渡して、階層主である犬岩山を動かす。拠点も跡形もなく崩れて証拠隠滅、この階層も終わるだろ」
誰かの息を呑む音がした。
確かにその方法が冥府の王にとっては最良の策かも知れない。
「あり得ないと一蹴できる話ではないな。念の為にもう一度偵察に出てもらう必要がある――」
熊会長の言葉を遮るように会議室の扉が大きな音を立てて開け放たれた。
そこには肩で息をしている兵士が一人、顔面蒼白で悲痛な表情をして立っている。
「緊急事態です! 犬岩山がこちらに向かって来ています!」
嫌な予感や予想ほど的中率高いよな。
心構えができていたおかげで意外にも冷静に現状を受け止めることができていた。
「住民を全て清流の湖階層に移動させるのだ! 皆も住民を送り終わったら順次、清流の階層へ移動するように!」
素早く的確な指示を出す熊会長が立ち上がり会議室から飛び出していく。
俺たちもその後に続いて、外へと駆け出していった。
「ねえっ、どうしたらいいの! どうしよう!」
「し、知るかよ! 逃げねえとっ!」
集落内はパニック状態に陥っていて、住民が右往左往している。
兵士たちがなだめ転送陣へ誘導しているが、住民の殆どが海を見つめ絶望に顔を染めていた。
視線の先には悠然と海を歩く巨大な犬の姿がある。一歩進む度に大波が発生しているようで、海沿いの民家は波に呑まれてしまい壊滅状態だ。
「これはどうこうする前に津波に呑まれて終わりそうじゃのぅ。ほいっと」
シメライお爺さんは懐から岩肌が剥き出しの山々が描かれた扇子を取り出し、下から上と振る。
砂浜の中から突如巨大な岩壁が飛び出し、海沿いに雄々しく立ち塞がる。高さは五メートル近くあるように見えた。
「おおおっ!」
住民たちの口から歓声が上がっている。
この壁の高さだと遠方にいる犬岩山の姿が完全に覆われているので、住民の恐怖感も少しは薄れたようだ。
「今の内に、早う誘導せんか」
近くで住民と同様に驚いていた子供会長の背を叩き、シメライお爺さんが活を入れている。
「あっ、そうだった! みんなー、ここは凄腕のハンターが何とかしてくれるから、さっさと避難するよ! 転送陣に急いでっ! 子供とお年寄り優先でねっ!」
「皆さん、慌てずに転送陣まで向かってください。大丈夫です、十分に間に合いますので!」
子供会長とハンター協会職員、そして兵士たちが集落内に散らばる住民に声を掛けている。避難誘導はあちらに任せておけばいいだろう。
お年寄りや子供に手を貸しているハンター協会の女性職員がいるのだが、手にトンファーのような武器を持っているな。この世界にはトンファーも存在するのか。
確か警棒にトンファーを起用している国もあるそうだから、職員が持つには適しているのかもしれない。
って、そんなことを考えている場合じゃない。問題はあの犬山岩をどうするかだ。
お爺さんが作りだした岩壁に主要メンバーが登って、こちらに迫りくる階層主を観察しているのだが、あそこまでの大きさになると特撮の怪獣だな。
海からの上陸というのも某映画のワンシーンみたいだ。
「アレは勝つの無理じゃねえか。そもそも、前回はどうやってアレを倒したんだ」
ヒュールミが呆れたように言葉を漏らす。
映画と違ってこちらには兵器も爆弾もない状態で怪獣に挑まなければならない。無茶とかいう次元を超越しているな。
「前回はどうやって倒したんじゃったかの。婆さん覚えとるか?」
「いやですよ、お爺さん。ボケちゃいましたか。全員でアレに食べられて中で暴れまわったじゃないですか」
「うむ、ギリギリの戦いであった」
「あれは今思い返しても無茶苦茶やったわ。よくもまあ、生き延びたもんやわ」
老夫婦、熊会長、闇の会長が過去を思い出し懐かしんでいる。
って、あの犬岩山を前回倒したのって、熊会長たちのチームだったのか!
「えっ、一度倒したことあるの!?」
驚きの声を上げたのはラッミスだったが、当事者を除いた全員が同じ気持ちで熊会長たちを見つめている。
「ああ、若かりし頃に皆で挑み、内部から破壊して何とか勝利を収めたのだよ。若さゆえの大胆さが掴み取った勝利だった」
「じゃあ、今回もその時のやり方で倒したら――」
「ラッミス、それがのう。あの時の方法は正直、お勧めできかねる。あ奴の体内は消化液で満たされておってな、並の物なら一瞬で溶かされてしまう。当時は対策を練って有効な加護を持つ者の協力を仰ぎ、何か月にも渡って鍛錬を重ねて挑んだのじゃ」
「液体を操る加護と風操作の加護、後は時間差で爆発する魔道具もこしらえてもらいましたねぇ。それでも、幸運が味方してくれなかったら、今頃ここにはいませんよ」
対策を練って何とか勝利を掴み取った相手に、即席で挑むのは無謀すぎると老夫婦は忠告してくれている。
あの犬岩山にしてみれば俺たちなんて蟻にも等しい存在だろう。
怪獣相手に正面から生身の人間が戦って勝つなんて、ファンタジーでも荒唐無稽な話のようだ。
「となるとオレたちにできることは……避難が終了するまでの時間稼ぎか」
「陸上であればそれも可能だと思われますが、海となるとかなり難しいのではないでしょうか。ハッコン師匠はどう思われます」
ミシュエル、いつも変なタイミングで無茶振りするのを止めてもらえないでしょうか。
ほら全員が俺の方を見ている。そんな期待した目で見られても困るのですが。
うーん、無理だとは思うが考えてみるか。熊会長たちが以前やった攻略法は八足鰐に俺がやった倒し方と発想が同じだよな。
でもあれは、鰐が生き物だったから内臓が弱かったという話。そもそも、あの犬岩山って生物なのだろうか。内臓とかあるのかね。
「あ の か い せ」
「う ね し の う」
「ち が あ お」
「し ゅ て ください」
ちょっと無理がある言葉のチョイスだったが通じてくれただろうか。
みんなの視線が自然とラッミスとヒュールミに向けられている。ハッコン語免許皆伝の二人ならわかってくれる……かな?
「えっと、あれの中がどうなっているのか教えて欲しいんだよね」
「そうだな。内部構造を教えて欲しいってハッコンが言ってるぞ」
二人のおかげでかなり助かっているよな、実際。頼り切っていないで、もう少し上手く話せるように言葉選びに磨きをかけないと。
「あの中身か。岩肌が剥き出しの洞窟といった感じか。膝上まで溶解液で満たされているのだが、その威力は鉄でも数分で溶かし尽くすぐらいだ」
「後は……なんやったかな。人の頭ぐらいの岩に羽が生えた奴が、むっちゃおって邪魔ばっかしてきて、鬱陶しかったわ」
「まあ、婆さんが全て叩き切ってくれたから、助かったがのう」
「的が大きかったですからねぇ」
結構な修羅場だった筈なのに楽しそうに話しているな、この人たち。
実際に討伐した人たちが仲間にいる心強さはあるのだが、参加していた人たちが全員止めている時点で無謀な真似は止めておくべきか。
俺だけが特攻するならまだしも、仲間をそんな危険な目に遭わせたくない。特にラッミスは絶対に付いてくるだろう。
「し か ん か せ」
「ご う」
「時間稼ぎだね」「時間稼ぎだな」
ラッミスとヒュールミの声が被った。
みんなもこの方針で納得してくれたみたいだけど、問題はどうやって時間を稼ぐか。犬岩山の姿は徐々に大きく、押し寄せる津波も高くなっている。
防波堤代わりの岩壁もこのままだと乗り越えられてしまいそうだ。
もし、もう一度日本に戻って怪獣映画を観られたとしたら、今まで以上に真剣に考察しながら観賞できるだろうな。
そんなことを考えながら、迫りくる犬岩山を見つめていた。




