決行日
鉄格子の入った窓から注ぐ朝日は眩しく、危惧していた雨天中止にはならなくて済みそうだ。
目覚めたピティーが私服に着替えたので、いつものように朝食を準備する。
今日の結果によっては彼女が命を落としかねない。これが最後の朝食になるかもしれないのか。いや、弱気になるな。一緒にここを脱出してみせる、必ず!
ピティーに全ての計画を明かし、彼女が断れば別の手段を考えるつもりだったが、俺の案をあっさりと受け入れてくれた。
「ピティーには……他の方法……思いつかない……だから……ハッコンを……信じるね……」
そう言って全幅の信頼を寄せてくれた彼女の心意気に応えなければ、男が――自動販売機が廃る。
時間までまったり過ごしていると扉が開き、ケリオイル団長一家が勢ぞろいで呼びに来てくれた。
「準備万端みてえだな。んじゃ、行きますか」
移動する前に俺の頭の上に盾を二枚重ねて置いたので、自動販売機が帽子を被っているように見えるかもしれない。
いつもは紅白双子が押していくのだが今日はピティーが一人で押している。
二人が力を合わせて何とか押せる重さを軽々とこなせているのは〈重さ操作〉の加護があるからだ。
この〈重さ操作〉はかなり強力な加護なのだが無制限という訳ではない。重さは最大千分の一まで減らせるそうで、現在の自動販売機の重さは400グラムといったところだろう。
更に盾が一枚100キロ近いらしいので、それが同じように軽くされて合計600グラム前後といったところか。
触れている物しか重さを操作できないのだが、こうやって重ねておくと一つという判定になる。
もう一つの制限は対象の大きさだ。高さ幅奥行きが三メートルまでが限界らしい。そういう縛りがなければ、この砦を軽くして持ち運ぶという無茶も可能になるからな。
「昼過ぎまでは何があろうと誰も屋上に上げさせないから安心してくれ。スルリィムにもそう命令されているからな」
廊下を歩きながら何気なく話しかけてきたケリオイル団長が、ちらっとこっちに視線を向けると意味ありげに微笑んでみせた。
「絶対に誰も通さねえぜ、なあ白」
「何があってもな」
「そうですね。命令には従わなければなりませんので」
今日、俺たちが何をするのかは団長たちに話していないというのに、全てわかっているかのような口ぶりだ……実際、わかっているのだろうな。
今思えば酔っぱらって口を滑らせたのも、見取り図を確認できたのも、全て相手の思惑通りだったのかもしれない。
それを問うような事はしないでおこう。
「そういや、中将軍の姿は今日も見えねえな。一度も見たことないんだけど」
「赤もそうなのか。俺も見たことねえな。冥府の王なんて一度しか、ここで見かけたことねえよ」
「じゃあ、今、ここには薬将軍と中将軍しかいないのね。警備をしっかりしないといけないわ」
若干、芝居臭いが貴重な情報の提供に感謝しないと。
やっぱり、中将軍の存在が気になるが、どんな見た目をしているかも謎なので警戒のしようがない。これが杞憂で終わってくれればいいけど……フラグじゃないぞ。
三階通路奥に屋上へ繋がる階段があり、その手前まで付いてきてくれた団長たちは、そこで背を向けて横並びになる。
「じゃあな、達者でやれよ」
「また、ハッコンの商品を買えなくなるのか、寂しいぜ」
「もっと買い溜めしときゃ良かったな」
「皆さんによろしくお伝えください。あと、容赦は必要ないとも」
背中を向けているので顔は確認できないが、彼らなら笑っていそうだな。
「みなさん……お世話になりました……さようなら……」
ピティーが最後に深々と頭を下げる。
それでも振り返ることなく、ケリオイル団長が拳を突き上げて応えた。
「またのごりようをおまちしています」
さよならは言わないよ。そもそも「な」が言えないから言えないしね。
もう一度、必ず会うことになるだろう。その時は――
ピティーが俺を掴み持ち上げると階段を一歩一歩慎重に上っていく。屋上に繋がる扉には鍵がかかっておらず、俺を抱えたまま体重を掛けて押し開けた。
眩い光とピティーの髪を波打たせる風が吹き付ける。今日は風が強いようだ。
屋上はかなり広くバーベキューどころか運動会ができるレベルだ。
バーベキューには不向きな、装飾が施された机と椅子は既に配置されていて、スルリィムと少年が座っている。
そういや、最後まで少年の名前を知らないままだ。次の機会がもしあれば教えてもらうことにしよう。
「来たようね。そこの人間、おかしな真似をしたら氷漬けにするから、そのつもりでいなさい」
「はい……気を付けます……」
「じゃあ、あっちでさっさと準備をして」
特設のテントが設置されていて、レンガを積み上げたコンロの上に網が置かれている。肉も台の上にドンと置かれていて、包丁やまな板もあるようだ。
そこまで俺は運ばれて行くとすぐ側に設置してもらう。盾も頭の上から外されて地面に置かれた。
まずは大量の飲み物を取り出し口に落として、ピティーに運んでもらった。酒は相手が求めるまで出さなくていいだろう。酒とジュースの区別がつかないだろうから、間違えて少年が口にしたら惨事になる。
甘めのミルクティーをメインで運んでもらうとするか。
「ありがとうございます。お姉ちゃん、一緒に飲もうね」
「ええ、焼けるまでお話しでもしてましょう」
給仕もピティーがすることになっているので、一生懸命肉を切り分けている。一人暮らしが長いので料理はお手の物だそうで、見た感じかなり手際が良い。
「この飲み物美味しいよ。お姉ちゃんも一口飲んでみてっ」
「えっ、飲みかけのこれを」
「あっ、ボクが口付けたのは嫌だよね」
「そ、そんなことは、ないわ。むしろご馳走さまよ」
危ない発言をしているが、完全にこっちを無視して二人の世界に没頭しているな。今の内にフォルムチェンジをしよう。
素早く〈コインロッカー〉になると先に準備しておいた野菜たちをトートバックごと取り出す。そして、元の自動販売機に戻る。
十秒程度で終わらせたがスルリィムは……気づいてないな。飲みかけのジュースを飲むのに集中していて、こっちのことは全く目に入ってない。
自動販売機の商品から焼き肉のタレを選び、それも台の上に置いておく。
ピティーが切り分けた肉と野菜を焼き、食べごろになったものを皿に載せて運んでいる。バーベキューは自分で焼いて食べた方が旨いと思うが、まあ都合がいいか。
今のところ問題もなく時が過ぎている。焼き肉のタレが濃い味付けなので飲み物を頻繁に口にしているな。
良いペースでミルクティーを消費している。始まってから一時間近くが経過しているから、そろそろだと思うが。
「お姉ちゃんどうしたの。なんか、落ち着かないみたいだけど」
「ちょっとおトイレ行って来てもいいかしら」
よしきた。カフェインの多い紅茶を飲ませ続けた甲斐があった。カフェインには利尿作用があるから、あれだけ飲めばトイレも近くなるだろう。
「じゃあ、一緒に行くね。ボクも限界だったんだ」
呪いの関係で離れられない少年としてはついて行くしかない。
このチャンスを待っていた。屋上から二人が消えるタイミングを。
「ピティーだったかしら。妙なことを考えないことね。逃げ出すなんて不可能よ。ここは屋上で万が一地上に降りられても、絶海の孤島なのだから」
そう言い残してスルリィムと少年が扉から消えて行った。
二人が出て行ったのを確認して、ピティーが小走りで駆け寄ってくる。
「ハッコン……急いで……」
「う ん」
勝負はここからだ。〈風船自動販売機〉になって〈結界〉を張り内部を風船で埋め尽くす。素早さが上がっている俺なら一個作るのに三秒も必要ない。
少なくとも百個は作っておきたい。一個三秒として三百秒は必要だということか。計算すると完成するまでに五分……微妙なんだよな。
自室まで戻っているだろうから往復で三、四分、トイレに数分。少年が時間稼ぎをしてくれることも考慮して、七から八分は猶予があると思うが。
大急ぎで目的の数の風船を製作すると、ピティーが俺の体を横たえらせた。そして、その上に盾を置いて彼女も俺の上に乗っかる。
上が風船で埋まっているので寝そべらないと乗れないぐらい窮屈だが、そこは我慢してもらうしかない。
室内で一度試したから大丈夫だとは思うが、どうか上手くいきますように。
「ぽ て い さ ん」
「ピティー……もうそれで……いい……発動させるね……」
俺の体に手の平を押し当てて〈重さ操作〉を発動させた。
自動販売機とそれに触れている盾の重さとピティーの重さが激減して、ふわりと宙に浮かんでいく。強めの風が吹いているので、そのまま俺たちは屋上の外へと押し出された。
だが、この程度の風だと遅すぎる。スルリィムが戻って来たら即座に撃ち落されそうだ。ならば、ここでもう一度フォルムチェンジだ。
今度はコイン式掃除機になり、ノズルの先端だけを〈結界〉から突き抜けさせて、吸い込むのではなく風を吹きだした。
推進力を得たことにより、かなりの速度が出ている。見る見るうちに屋上が遠ざかっていく。
もう、拠点が手のひらサイズになっている。屋上を観察していると扉が開き、そこから豆粒大の人が飛び出してきたが後の祭りだ。
こっちを見て叫んでいるようだが声の届く距離じゃない。氷の礫を飛ばしてきているが射程範囲外。ここまで届いた氷は一粒もなかった。
「やったね……ハッコン……」
「う ん ありがとう」
これにて大脱出劇の幕は下りた。結界の維持にポイントを消耗しているが100万ポイントを越えている今なら丸一日飛んでいても余裕で足りる。
ただ〈高圧洗浄機〉でいられるのは二時間までなので、一時間半ぐらいで基本の自動販売機に戻ることを忘れないようにしないと。それまで、距離を稼げるだけ稼がないと。
あまり高度を上げると万が一、墜落したら即スクラップになるので高さを調節するか。ノズルの角度を調整して海面へと近づいていく。
落ちても辛うじて助かりそうな高さを維持して滑空している。進んでいる方角を変更して追手を撒くことを意識して進む。
何処かに島は無いかな。理想としては集落のある島がいいけど、見える範囲内は大海原が広がっているだけだ。
一時間以内に一度地上に降りたいけど、見つからない場合はこのまま空を漂うしかないか。
「あっ……ハッコン……」
どうした、ピティー。もしかして、島を見つけてくれたのかな。
「あれ……何……」
前髪に隠れて目は見えないが顔の向きで何処を見ているのか察すると、同じ方角に視線を向けた。
海にポツンと浮かんでいる点が見える。
「こっちに……向かって来て……」
ああ、確かに何かが接近している。やはり追手が来たか、でも今日は波が荒れているというのにあの船速はどうなっている。追い風ではあるが帆があるようには見えない。
じっと目を凝らしていると小さな点だったモノが徐々に大きく鮮明になっていく。
それは水飛沫を上げて迫りくる巨大な背びれのように見えた。




