海上戦
水飛沫を上げて、巨大な何かが迫ってきている。
確かに触手のような物が何本もうねうねしているようだが、この距離だと正確な形がわからない。
「よくわかんねえな、距離があり過ぎて。海の魔物は手が多いのが結構いるから、判断が難しいんだよ」
魔物についての知識が豊富なヒュールミが目を細めて前方を睨みつけているが、距離があり過ぎて識別がまだ無理なようだ。
双眼鏡や望遠鏡って自動販売機の商品として見たことが……あっ、あれがあったな。展望台に置いてある、有料の双眼鏡が。
遠足や旅行先で一度は利用したことがある、あの百円を入れたら数分だけ見ることが可能な、据え付けてある双眼鏡。
これは〈物品自動販売機〉ではなく、ランク2から使えるようになった〈自動サービス機〉の方だ。ジャンル分けについては熱く語りたいが、今は時間もないので自重しよう。
フォルムチェンジしたボディーは深緑色で統一しておいた。小学生の時に初めて使った双眼鏡がこれだったからね。
「あれ、ハッコン……痩せたね」
かなりすらっとしたフォルムで、元の自動販売機の名残が微塵もない。
「おっ、これって望遠鏡みたいなやつか?」
興味津々といった感じのヒュールミが俺の体を撫でまわし、体の隅々まで観察している。好奇心が船酔いを上回ったのか、すこぶる元気だ。
しかし、そんなに熱心に見つめられると照れるな。
望遠鏡はこの世界にもあるのか。双眼鏡って望遠鏡よりも後に作られたって話を聞いたことがあるけど、物知りのヒュールミが知らないってことは、この世界には存在していないっぽい。
「おっ、銅貨一枚で見えるようになるのか。おっし、使うぜ」
硬貨が体に入り込む感覚があり、俺の視力も一気に増す。
ヒュールミが覗き込んで見ている風景が俺にも見えているようで、操られるままに視界が変わっていく。
「めっちゃ見えるじゃねえか。おっし、いたいた」
おーあれが、迫ってきている魔物……か。何だあれ、タコでもイカでもないぞ。
触手に見えたのは真っ白で異様に細長い人間の腕。それが何本も魔物の体から生えていて、クロールして泳いできている。
頭は人のように丸く胴体もあるのだが、触手の様な腕を除けば白いおたまじゃくしのようだ。ただ、頭には黒い粒のような目が無数に付いていて、かなり気持ち悪い。
「オレ、ああいうの苦手なんだが……」
青いそめは平気だったのに、あれはダメなのか。でも、気持ちはわかる。何と言うか人型に近いから余計に気持ち悪さが強調される姿だ。
「あれは、多腕人魔か。海で死んだ人々の魂が集まり魔物と化したって話だぜ。身体のデカさはこの船より一回り小さいぐらいか。強さは結構ヤバいぜ。地上なら負けねえだろうが、ここは海だ。海に引き込まれたら、助からねえだろうな」
「ということは、遠距離で倒した方がいいんだよね」
「まあ、そうだが……こっちで遠距離担当はシュイぐらいだろ。ヘブイのあれも鎖が伸びたとしても、あの腕には負けるだろうからな」
魔法を使える人材もいないし、今後の課題としては魔法関係の能力者か。今はない物ねだりをしてもどうしようもないから、現状の仲間たちで何とかしないと。
「銛ならありますぜ、使ってくだせえ」
船員が船倉から大量の銛を運んできてくれた。これだけあれば、近づかれる前になんとかなるかもしれない。
「ありがとう。じゃあ、投擲開始していい?」
「私もお手伝いしますよ」
ラッミスとヘブイが銛を手にしている。二人は〈怪力〉の加護があるのでかなり期待できる。ただ、問題は船酔いで足元がおぼつかないのと、元来の――。
「おっし、やってくれ!」
ラッミスとヘブイが銛を全力で遠方の敵を目掛けて投げつけた。
風を切る音が聞こえ、風圧でヒュールミの髪がなびく程の威力を秘めた銛が多腕人魔を目指して突き進んでいく。
単純な腕力の差でラッミスの投げた銛が一足先に多腕人魔に届きそうだが、当たることなく少し離れた位置に着水している。
あー、やっぱりな。ラッミスはコントロールがあれだからね……。
そして、ヘブイの投げた銛は敵の肩口へと突き刺さった。一本程度では殆どダメージを与えていないようで、泳ぐ速度に変化は感じられない。
「つ、次いくね!」
「投げ続けましょう」
第二投目、ラッミス外れ。ヘブイ背中付近に命中。相手の速度変わらず。
第三投目、ラッミスの銛は後方の海面に突き刺さる。ヘブイの銛は頭を掠めたようだ。
「距離がかなり詰まってきていますね」
「矢も一応撃ち込んでみるっすけど、あの巨体だと期待はしないで欲しいっす」
「では、私も参戦させてもらいます、ハッコン師匠!」
うん、俺へのアピールはいいから早く投げて、ミシュエル。
かなり距離が迫ってきているから、そろそろ何とかしないと船がヤバいかもしれない。
シュイの矢が相手の目らしい黒い粒を一つずつ潰しているが、これじゃキリがないし、あれが本当に目なのかも怪しい。
銛もあの多くの手で弾き出したぞ。向こうもこちらの攻撃に対応してきたのか。
「もおおおおう!」
そして、相変わらずラッミスの銛は当たらない。
「これは……危ないわ……あの人に会うまで……死ねないから……じゃあ……頑張ってね……」
「ピティー、ずるいっす!」
ぼーっと眺めていたピティーは盾の中に退避した。自分だけ安全な場所で生き延びるつもりか、良い性格をしている。
「もっと、大きくて当てやすい物ないかなっ!」
ラッミス地団駄踏まない。甲板に穴が開くよ。
もっと大きな投げられる物と言われてもな、俺ぐらいしかないと思うけど絶対に投げないだろうし。
重くて強力で威力のありそうな物。その時、全員の視線が一つの物体へ向けられた。巨大な二枚貝に見える盾を重ね合わせたあれに。
「なあ、ヘブイ、シュイ。これって水に浮くんだよな」
「ええ、重さの加護で軽くすれば海に浮かぶようです」
「こうやって鎖で括っておけば、後で回収も楽っすよね」
ヒュールミの問いにヘブイが頷き、シュイが手際よく細めの鎖を巻き付けている。その鎖は錨に繋げる予備の品みたいだ。
一瞬だけ止めようかとも思ったが、他に案が思い浮かばなかったので口を挟まないことにした。
「えっ……何を……しているの……」
盾の中で状況が把握できていないピティーの焦る声が流れてくるが、全員が聞こえなかった振りをしている。
「ラッミス、これ投げていいぞ。外れても回収できるから安心していいからな」
「えっと、本当にいいのかな」
「あと数十秒で魔物が到達するぞ。迷っている時間はねえ。なら代わりにハッコンに飛んでもらうか?」
「いらっしゃいませ」
まあ、俺は〈結界〉で浮かべるからそれでも構わないけど。女性を危険に晒すより自分が飛んだ方がマシだから。でも、悩んでいる時間はないみたいだよ、ラッミス。
敵がハッキリと確認できる距離まで迫っている。
ここまで接近してくると敵の気持ち悪さが際立つな。あの巨大な顔の無数の目らしき突起物に、異様に白く細長い腕。
それを見たラッミスは吹っ切れたようで、ピティーが入った盾を持ち上げた。
「な、何が……ねえ……何が起こって……」
「ごめんね、ピティー。水に落ちたら重さを軽くして浮かんでねっ!」
「どういう……ことな……のおおおおおおおぉぉぉ」
助走を付けてから、ラッミスが全力で放り投げる。
風を切り裂く空飛ぶ二枚貝が、悲鳴を響かせて遠ざかっていく。
残り十メートルを切っていて相手の巨体もあり、投げつけられた盾は相手の顔面のど真ん中にめり込み、そのまま後方へと突き抜けていった。
「どんなもんだい! ってね。見てくれた、ハッコン!」
かなり鬱憤が溜まっていたのだろう。攻撃が命中して、ラッミスが飛び跳ねて喜んでいる。気持ちはわかるけど、威力があり過ぎたみたいだよ。
敵を真っ二つに切り裂いた盾が、そのまま水面を跳ねて遠ざかっていくのを見て、体内で機械が異音を上げている。
あっ、これはいけない。
「が し っ し て」
最大音量でラッミスに注意を促す。
盾に括りつけていた鎖が凄まじい速度で海へと流れていく。
このままだと、あっという間に全ての鎖が海へ飛び込んでしまう。早く鎖を掴まないと、ピティーと二度と会えなくなるぞ。
気づいてもらう為にペットボトルを鎖に向けて放り投げた。
釣られて視線を向けたラッミスたちが現状に気づいてくれたようで、全員が一斉に鎖へと向かって駆け寄っていく。
「わっわっわ、ああああ!」
慌てて鎖を掴んでラッミスが踏ん張ると、船が急加速して海を突っ切っていく。
自分の投げた盾の威力が強すぎて、体が海上へと飛び出しそうになったラッミスの背に、仲間たちがしがみ付いて耐え忍んでいる。
まるで子供の頃に学芸会で演じた、大きなカブの劇を見ているようだ。
しかし、結構な速度が出ているぞ。これは新しい推進方法かもしれないなと、大海原を疾走する船の上で呑気にそんなことを考えていた。




