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「ちぇい、やー、とおおう」
おー、緑魔が面白いように吹き飛ばされていく。まるで、中身が綿のぬいぐるみかと疑ってしまうぐらい簡単に宙を舞っている。
ラッミスが拳を振るうたびに凄まじい勢いで敵が排除されていくが、敵が減っている感じが全くしない。確実に減らしているのに、前に進むことができない。
敵陣のど真ん中で完全に孤立してしまっているのだが、今のところは余裕がある。敵が密集しすぎていて、相手は上手く立ち回れないでいるようだ。
後方からの攻撃は全て俺が〈結界〉で防ぐか、パチンコ玉入りペットボトルで撃退しているので、ラッミスに傷を負わすどころか触れさせてもいない。
普通の戦いなら、このまま殲滅してしまえばいい。だが、敵が延々と現れ続けて終わりの見えない状況。どうにかしないと、仲間共々、消耗したところを一網打尽にされてしまう。
殺せば新たに現れる。なら、殺さずに戦闘不能状態に持っていくしかない。
となると思いつくのは……パチンコ玉か。あれを周辺に転がせば足を取られて転ばす策を入り口で前回実行したのだが、思ったよりも効果が薄かった。
地面が岩肌とはいえ、まっ平らではなく凹凸があるので踏んで転ぶという王道を実行してくれた緑魔は少数しかいなかった。
となると、組み合わせだ。パチンコ玉を灯油に漬けることによりコーティングして、更に滑らせる策はどうだろうか。あ、でも、引火の可能性が出てくるな。燃やすと敵を殺すことになり、また新たな敵が湧くだけ。
他に滑る商品となると――全く関係ないのだが、ふと過去の思い出が頭をよぎった。
そう、あれは生前、自動販売機マニアとして各地の珍しい自動販売機を求めて、田舎の山奥を走っていた時のことだ。
人気のない山道の脇に、何とも言えない怪しげな建物を発見したのだ。
青いプレハブの建物があり、店名らしき文字が太文字で書かれていて、下には二十四時間。雑貨、おもちゃ、本、映像等の文字が並んでいた。
俺のレア自動販売機センサーが過剰な反応を示したので、車を停めて好奇心に従い、その怪しげな建物へと侵入した。
そこは俺が想像していた物ではなく、アダルト商品が満載された自動販売機が所狭しと並んでいた。そう、俺が全く予想だにしていなかった商品の数々があったのだ。あくまで自動販売機マニアとしての好奇心に従っただけで、下心は全くない行動だったことを強調しておきたい。
それも驚くことに商品の中身が最新の物もあり、多種多様なアダルトグッズが取り揃えられていた。
とまあ、そんな唐突に思い出した過去はどうでもいいのだが、新たに仕入れた商品はローション。つまり潤滑剤だ。滑る転ばすのに最適な商品といえば、やはりこれだろう。
バラエティー番組で使われることもあるので、見たことがある人も多いと思うが、あの滑り具合は尋常ではない。
そのローションを取り出すと蓋を開けて、パチンコ玉の詰まったペットボトルに中身を注ぎ込む。そして、上下にシェイクすると〈結界〉でペットボトルを弾き飛ばした。
山なりに飛んでいくペットボトルを消し去ると、ローションがべっとりと付着したパチンコ玉が周囲に散らばる。
その結果、どうなったか。面白いぐらいに足を取られて、そこら中で転びまくっている。そして、一度転ぶと立ち上がれずに暴れ周囲の緑魔を巻き込んでいく。
お、これは面白いぞ。更に追加しよう。
敵の攻撃は全て〈結界〉で対応して、せっせと〈念動力〉で、ローションパチンコ玉ペットボトルを量産していく。完成したら、即座に投げつけて辺りにぶちまけていく。
おー、転ぶ転ぶ。初めてアイススケートを経験した子供のようだ。しかし、調子に乗って撒き過ぎたかもしれない。
ラッミスと俺の周囲に立っている者が存在しなくなっている。新たに乱入してこようとした緑魔も足を滑らせて、地面に転がっている連中の仲間入りをしている。
「ハッコン、ところで指揮官は何処?」
かなりの広範囲で魔物が転がっているのだが、全部が緑魔で指揮官らしき相手の姿は見えない。
緑魔の中に指揮官がいるのではないのかという疑念はあったのだが、ヒュールミの考察によるとこうだ。
「緑魔は魔法を扱える程度の知能がある個体は存在する。だが、基本的に理解力は低い。冥府の王の配下となり指揮を託せる程の緑魔がいるとは思えねえな」
とのことだった。人間、もしくは同程度の知能がある魔物の可能性が高いそうだ。
緑魔はそれに値しない魔物らしいので、緑魔の群れならそれ以外の種族を探すのが手っ取り早い方法らしい。
辺りを見回してみるが緑魔ばかりで、それ以外の種族は全く見当たらない。もっと、遠くの敵にもぶつけて調べるしかないか。
「ハッコオオオオオオオオオオッ!?」
大声を張り上げて走って――滑ってくるのはミケネか。全力疾走でローションゾーンに足を踏み入れてしまったようで、真っ直ぐこっちに向かって、うつ伏せで起立の体勢のまま頭から突っ込んでくる。
「ミケネ? えいっ」
ラッミスは屈みこんで正面からミケネをあっさり受け止めた。
かなり勢いがあったのだが、足腰の強さに加えて何百キロもある俺を背負っていれば、その程度の衝撃ではびくともしない。
「うわぁぁ、ぬるぬるだぁ。何これ、何これ」
体毛にローションがべっとりとついて気持ち悪そうだ。舐め取ろうとして舌を伸ばしたのだが、躊躇っているな。
「ミケネ、どうしたの。大声で呼んでいたみたいだけど」
「あ、そうだった。ええとね、さっき、あっちから人間の悲鳴っぽいのが聞こえたよ」
そう言って、ミケネの指す方向に目をやると、転んだ緑魔が密集して小山が出来上がっていた。
冷静に見ると不自然極まりないな。じっと観察していると小山に吸い寄せられるように緑魔が近寄っては、転んで小山に衝突している。
そして、小山の麓がどんどん広がっていく。
「あの塊の中ぐらいだと思うよ。今も呻き声が微かに漏れているね」
ミケネを濡らしていたローションを消してやると、ようやく落ち着いたようで耳を立てて音を探っている。
あの中にいるとすると、転んで焦り緑魔たちに自分を守らせようとして呼び寄せたら、ああなったといったところか。
敵の場所が明らかになったのなら、やることは決まっている。
今度は〈高圧洗浄機〉に変化してから最大出力で放水して、指揮官がいるらしき場所までの道を洗い流す。ついでに転がっている魔物も吹き飛ばしておく。
ローションをその部分だけ消すことも可能なのだが、こうした方がラッミスにどうして欲しいか伝わるだろう。
「あそこにいるんだね。よっし、いっくよー!」
腕をぐりぐりと回し、やる気も充分なようだ。
もう止める必要はない。さあ、蹴散らそうか!
「い こ う」
俺が水流で敵とローションを吹き飛ばし、綺麗になった地面の上をラッミスが疾走する。後方からはミケネも付いてきているようだ。
魔物たちは何とか立ち上がって、俺たちを阻止しようとしているようだが、更にローションを全身に塗りつけているだけ。そのまま、暫く大人しくしていてくれ。
ぬるぬるした緑魔小山の前に到着すると、ラッミスは深く腰を落とした。
「すうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
右腕を限界まで後方まで捻り、肺一杯に空気を吸い込んでいる。
そして、左足を全力で地面に叩きつけ、岩肌にめり込む威力の踏み込みと同時に、鋭く呼気を吐く。全身のバネを解放して剛腕に力を伝えると、緑魔の密集地帯に拳を突き出した。
「はあっ!」
裂ぱくの気合と共に放たれた拳は衝撃波を生み出し、触れてもいない緑魔たちが暴風に煽られた枯れ葉のように飛び散り、広場の壁に激突していく。
壁に貼り付けられた魔物たちに視線を走らせ確認していく。あれは違う、これも緑魔、これもそれも、あっちは……いたっ!
壁にくっついている緑魔の中で、一人浮いている存在がいる。黒のローブを着ている女のフードが外れて顔があらわになっている。
三十代半ばらしき女は人間か。激突の衝撃で意識が朦朧としているようで目が虚ろだ。
ラッミスは気づいていないようだな。ならば、壁から剥がれ落ちそうになっている女の頭上に高圧の水を撃ち込む。
「あっ、人がいる。あれが指揮官だね!」
俺の行動を即座に理解して、ラッミスが女の足元に駆けこんでいくが、ローション外にいた壁際の魔物たちが妨害する為に飛び込んできた。
「邪魔、じゃーまっ!」
走りながらなので力の入らない手で払うだけの動作だというのに、緑魔たちを軽々と吹っ飛ばしていく。
さっきの一撃も圧巻だったが、ラッミスの力が増している気がするな。技を学んだことにより、力を効率よく扱えるようになったのは確かだが、単純なパワーも増してないか。
そんなことを考えている間に、ラッミスは真っ逆さまに落ちてくる女の下に着き、受け止めると顔を覗き込んだ。
白目をむいて気絶している。これは魔物を止めさせる指示も出せないか。
「相手が止められない場合は、指輪だったよね」
ラッミスは女の右手を掴むと、そこにあった頭蓋骨の指輪を外して指で摘まむと、押し潰した。
相手が抵抗した場合と、何らかの理由で命令を出せない時の手段として、指輪の破壊を命じられていた。指輪を破壊すれば魔物たちは意識を取り戻し、命令を聞かなくなる。
それは、清流の湖階層で捕まえた男が口を割った情報だそうだ。
更に指輪は、その階層での魔物の発生にも関わる装置らしく、壊せばダンジョンの本来の姿を取り戻すらしい。
「これで一安心だね」
無邪気に微笑むラッミスに「う ん」と返してあげたいのだが、そうもいかないよな。
ダンジョンと魔物が通常に戻ったということは、周囲の緑魔たちが本来の魔物の生態に戻ったということだ。
「さ が り ゅ よ」
自我を取り戻した魔物たちが、殺気交じりの視線を突き刺してくる。
そう、まだ百体近い魔物の相手をしなければならない。それも、この冥府の王の配下であろう女を庇いながら。
でもまあ、そこまで警戒をしなくてもいけるか。
「ハッコン師匠! 退路は開きます!」
敵を薙ぎ払いながらやってくるミシュエルを見て、緑魔たちが怯えている。
恐怖という感情が蘇った魔物たちの闘志が萎んでいく。これはもう、勝ち確定かもしれないな。




