既読スルー(確信犯)
修の話では、あと二センチ牙が下に食い込んでいたら、肺に穴が開いていたらしい。
「運が良かったとしか、言いようがないねえ」
そう締めくくった修を見て、遥は金霊のことを思い出した。痛む体をだましだまし動かし、自分の肩を見つめる。
そこに見慣れた硬貨頭はいなかった。ああ、本当にあれでお別れだったのだと遥は悟る。
(なら、この運の良さは──奴の最後の置き土産なのかもしれない)
それなら精々、活用させてもらうとしよう。
幸運で拾った命を使って、これからは恵みなき人生を全うする。それもまた、面白そうだ。
「そっか。じゃ、大学はしばらく無理だね」
「呆れた。大学どころか、数ヶ月は病院の中よ」
京香が厳しい顔で突っ込みを入れてきた。
「全く、真面目なやつはこれだから。ほっときゃいいのよ、学校なんて」
「わざわざ遥兄の休学届けまで用意したくせに」
俊が言うと、京香はものすごい勢いで振り返った。
「余計なこと言わなくていいのっ」
「へえー」
にやにや笑う俊に、京香がにじり寄る。それをよそに、修が「そうそう」とつぶやいた。
「遥兄、これ返すね」
「返す?」
遥が問うと、修は預金通帳を広げて見せてくれた。確かにゼロにしたはずなのに、以前を遥かに上回る金額が入っている。
「……誰がいれたの?」
「僕と俊。もらいっ放しってのは兄弟でもよくないからね」
修はなんでもなさそうに言うが、振り込まれた額がすさまじい。一体どうやって用意したか分からず、遥は眉間に皺を寄せた。
「悪いお金じゃないよ。今回、ワクチンのおかげで助かったからね。葵があちこち説得して、予算をつけてくれたんだ」
「そこから」
それにしても律儀なことである。遥は通帳に向かって両手を合わせた。
「遥兄の好きに使えばいいよ。僕らはもう大丈夫だから」
「そうだね……」
金額をにらみながら、遥は答える。今回、一つ学べたことがあった。
(他人を助けることで、自分も戦いに参加できる)
そんなものは戦ったとは言わない、と感じる人間もいるだろう。しかし、遥はそれに反論することができる。
(今は体を治すことに専念する。そして外に出たら……)
探すのだ。知恵はあるが金がなく、歩みを止めている人たちを。個人でも会社でも、研究者でも実業家でも。
その先にきっと、自分の求めているものがある。
遥は目を閉じ、無臭のシーツの中へ潜り込んだ。今度目が覚めたら、俊と京香は仲直りしているだろうか、と思いながら。
☆☆☆
帰投。
歓声。
再会。
別れ。
そして諸々。
それを終えても、日常は続く。
戦の後処理。街の復興、今だごねる妖怪勢力との話し合い──時に闘争。アメリカ政府との折衝。
やることは山ほどあるはずなのに、何故か葵の出番はあまりなかった。三千院や御神楽、鷹司の部下たちがてきぱきとことを進めてしまうからだ。
「成長したなお前たち」
「ええ、そうですよ。ですから坊ちゃま、たまには学生らしくデートなどいかがです?」
口々に周りの者がそう勧めるものだから、葵は物理的に逃げることにした。鷹司に相談したら、それならひとつ仕事を頼みたいと言われたので渡りに船と出かける。
「姉貴、そういうことだから」
「ふんふん。まあ、ゆるくやれよ」
昴には知らせた。要にも通信を送ったが、彼女は適当に答える。
「不審船狩りははかどってるか」
最小限に抑えたとは言え、兵力は消耗している。それにつけこんで日本近海で火事場泥棒を働こうとする連中を退けるのが、要の仕事だ。
「うん。弱いがいっちょまえに刃向かってくるから全部潰してるぞ」
傷を塞ぐ手術が終わったところなのに、早くも絶好調である。
「素晴らしい。その調子で頼む」
「あ、忘れてた。あたしの携帯、家に置いてきたんだ。てきとーにメッセージ返しといて」
「もう一週間近くになるぞ」
「いんだよ。それで愛想尽かす奴とは切れてっから。じゃなー」
葵はため息をついた。まあ、個人的な携帯にくるメッセージならタカが知れていよう。近況を送ってやれば、相手も落ち着くはずだ。
要の部屋に入り、黒い電話を手に取る。メッセージボックスを開くと、やけに沢山通知がたまっている。
(既読にしてるのに返事してないな。姉貴らしいといえばらしいが……)
それで相手が怒らないのが不思議だ。さて、メッセージの相手は……
「ヘンリー」
まさか。まさか。あの有名なヘンリーじゃないだろうな。葵は指でページをめくる。
そのまさかだった。一番古いページは八月の二十五日から始まっている。
(今、九月の半ばだぞ……)
国のトップからのメッセージを、丸々ひと月近く放置。立派な外交問題である。
葵は最初に送られた一文を食い入るように見つめた。




