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あやかし殺しの三千院家  作者: 刀綱一實
籠中の獅子たち
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官吏は闇の中を走る

「部下が失礼をしまして申し訳ない」

「こっちもいけないのよ。ああなる前に帰って頂くのがプロの仕事だもの」


 激高するかと思いきや、意外に相手は冷静だった。店主は苦い顔をしながら後ろを指差す。若い女の子が二人、しゅんと肩を落としている。どうやら彼女たちが泥酔男二人を接客していたらしい。


「あの人たち、入ってきた時から、こういうとこに慣れてなさそうでね。やけに飛ばしてるなあと思って注意するようにとは言ってたんだけど、手が空いて見たらあのざまよ。もうこちらとしては情けないったらないわ」

「そちらが嘆かれる必要はないでしょう。帰還したからといって、潰れるまで飲んだのは本人の責任ですから」


 女の子たちが気に病んでいるようなので、葵はそう言って慰めた。少し彼女たちの表情が明るくなる。


「しかし、よくここまで派手に壊しましたね。ここまで派手にやられると店はたまったもんじゃないでしょう」

「そのために保険があるわよ」


 店主が胸を張った。揺れた。別に見たくなかった。


「いや、損害分は全額本人たちに払わせましょう。その方がいい薬になる。あとで請求してください」

「分かったわ。楽しみにしていてちょうだい」


 淡々と話を進める二人の足元で、犯人たちはうう、とかげえ、とか言葉にならないうめき声を上げるのみだ。酔いが冷めるまでしばらくかかるだろう。


 もっとも、請求書の金額を見たら、冷めない方が幸せだったと思うかもしれないが。


「二人とも、ガタイがいいなあと思ってたら軍の人だったのね。おにーさん、これからお仕事?」

「いえ、元々休暇でしたので特に何も」


「じゃああっちの部屋は無事だから遊んでってよー」

「そうよそうよ。こんな日は楽しいことがなきゃやってられないわ」


 店主たちが獲物を狙うアナコンダのように、じりじりと距離をつめてくる。お婿に行けなくなる前に逃げようとしたその時、葵の携帯が鳴った。


 相手は怜香からだ。ディスプレイに映る時刻は、まだ十時にもなっていない。順調にいけば、鈴華に着くのは九時ごろだったはずだ。着いて一時間も経たないうちに猿が暴走したのか、と葵は呆れる。


「はい」

「葵、大変よ!」


 電話の向こう側から、怜香の声が聞こえてくる。訓練のたまものか、取り乱してはいなかったが、大和が何かやらかしただけにしては声がぴりぴりと張り詰めている。


「何があった」


 葵が怜香から事情を聞こうとしたが、彼女の声はよく聞き取れなかった。背後から、それよりはるかに大きな、野太い声が響いてきたからだ。


「一尉! 大変です!」


 あまりの声の大きさに、葵は片耳をふさいだ。さっきまで安堵の表情を浮かべていたバーの客たちの顔が再び引きつる。


 葵が声の方を振り向くと、ナマズのように顔のパーツが全体的に下に垂れさがった男が立っていた。軍服をきちんと着こなしていたが、小太りの体に汗が浮かんでいる。


「他の報告を受けている。少し待て」

「しかし! 緊急事態です!」


 葵がたしなめても、男は口を閉じようとしない。垂れた楕円の目を精一杯開いた男は、ぐいぐいと葵に近づいてきた。緊急事態というのは嘘ではなさそうだ。


「怜香、ちょっと待ってくれるか」

「待てないわ!」


 こちらも、切られてなるものかとばかりに、切羽詰まった声で言われた。葵はどちらに声をかけようか、と思案する。しかし、結局その必要がなかったことがすぐに分かった。


「学校が」

「妖怪どもに占領されました!」



 二人は、全く同じことを口にしたからだ。





 葵はバーを飛び出した。乗り込んだ軍用車は町を駆け抜け、うなりをたてて軍本部の駐車場にすべりこみ、タイヤが地面にこすれて不愉快な音をたてる。


 いきなり乱入してきて、駐車ラインを斜めに横切って止まった車を、怪訝そうな目で見つめている同僚たちの視線をものともせずに、本部内へずかずかと踏み込む。


「直ちに近隣の警察署に連絡をとれ。初期連絡がいくのはそこだ」

「了解」


 いつも葵の傍らにいて、事態の緊急性をを把握している腹心の部下たちは、さっとてんでばらばらの方向へ消えて行った。


「名田警察署と連絡、つながりました。署長と通信できます」


 かつて、軍と警察が協力しあうことなどほとんどなかった。ことが起きればまず対処にあたるのは警察の役目で、軍部は治安出動の命が下らなければ出動できなかったからだ。


 しかし、妖怪の脅威が強まってからは違う。警察の装備では妖怪の外殻すら打ち抜けない事が多く、多数の殉職者を出してやっと軍との出動協定の改正が行われたのだ。


 今では、専用の回線が設置されるまでになっている。軍の正式な出動には手続きが必要だが、情報交換は下士官クラスの判断でできるようになっていた。


「署長、お久しぶりです」


 協定を結んでいる関係上、葵は何度か県内の警察署を訪れたことがある。名田署の綿貫署長は、いかにも頑固そうな四角い輪郭の中に、太い眉と目つきの悪い大きな目が配置された強面だが、内面はあくまで紳士かつ冷静な男である。


 未だ情報が足りない中、初めての通信相手が彼だったことは幸いだ。伝統的に軍と警察は仲が悪いため、警察内には未だ軍人を敵視する人間も多いからだ。


「おお、葵君か」

「お世話になっております」


「ああ、元気そうで何よりだ。君がかけてきたということは、軍にも情報がいったのかね」

「現場ではだいぶ騒ぎになっています。上層部の大半はまだ知らないでしょうが」


 軍上層部への情報伝達の遅さは驚愕するほどである。そしてそれに伴う決断もまた遅いのだ。


「こちらも大変だ。一般回線は、すでに通報でパンクしている」


 今や、携帯電話は一人一台と言ってもいいくらい普及している。学内に取り残された学生、その家族、近隣住民がいっせいに電話をかけてきたら、恐ろしいことになるというのは容易に想像がついた。


「通報の内容は」

「見事にばらばらだよ。異変を知らせてくれるものもあれば、学校内部の様子が知りたくてかけてくる親御さんもいる。警察の対処が遅いという苦情電話もかなりある」

「生徒からの通話はどうですか」


 怜香からの報告は一通り受けているが、彼女たちがいるのは学内の端に位置するコンサートホールである。全ての情報を知ったとは到底言えない。


「証言ももちろん多いさ。だが、その大半は現場の混乱を伝えたり、自分はここにいるから助けてくれといったものでね。こちらの欲しい、犯人の目撃情報は非常に少ない」

「まあ、無理もないでしょう。自分の安全を確保するのが最優先ですし、そもそも素人がした目撃証言なんて間違いだらけですからね。しかし、今は何でもいいから情報が欲しいです」


「これは本物か、と睨んでいるのは何件かある。飛んできた蝶がいきなり、恐ろしい女の姿になったという話や、逃げようと目の前を走っていた先輩がいきなり骸骨に捕まったというのは特に信憑性が高い。……どちらも、それを最後に通話はつながっていないがな」

「そのケースでは、通報者が妖怪と遭遇してしまった可能性はかなり高いですね」


 二人の間に数秒、沈黙が流れる。やりきれない気分を振り払うように、葵が口を開いた。


「学校から逃げてきた生徒が、なにかを知っていれば良いのですが」


 近隣の店や住宅に逃れたものがいれば、そこから情報が得られる。捜査員を送っているか、と葵は綿貫に問うた。


「行かせてみたさ。だが、全くの無駄足だった」

「全くの?」


「逃げてきた生徒など、ひとりもいなかった。ただのひとりもだ」

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