間一髪で伸ばされた手
「無理に戦うな-! 逃げろ逃げろ!!」
滝蔵は叫ぶ。やはり老天狗たちは速度が遅すぎて、全く太刀打ちできていなかった。
(疾風の野郎……本当に使える奴全部連れて行きやがって。あのくそ馬鹿がっ)
滝蔵の心が、怒りで混乱する。あわてて首を振り、それを頭の中から追い出した。
(過ぎたことだ。どうしようもねえ)
滝蔵はそれで割りきれた。しかし、天狗たちの顔には、依然として不満の色が出ている。
(おっと……こいつはまずいな)
自分達の命がとうとう危なくなってきて、天狗たちでさえ──いや、天狗たちだからか──疾風への不信感が育ちつつある。
(この状況で全員が勝手に動き出したら、それこそ『詰み』だぞ……)
てんでバラバラに逃げられたら、滝蔵にだって全てを守りきれるはずがない。滝蔵は必死に不満を和らげようとした。
だが、大河の流れをザルで掬おうとしても無駄なことだった。
「桐じい!」
「じいちゃん!!」
孫をかばうように仁王立ちしていた老天狗が、火を放とうとする。しかし彼の胸元に、蜂が入りこんだ。
滝蔵の子分たちが、天狗の体を後ろに引っ張る。しかしわずかに遅く、蜂の鋭い顎が天狗の胸を切り裂いた。
「じいちゃん、じいちゃん!!」
孫が悲鳴をあげる。幸い致命傷ではなかった。滝蔵は彼を後方へ押しやる。
「親分……」
荒い息をしている祖父にぴったりくっついたまま、孫が口を開いた。その声は、ぞっとするほど冷たい。
「疾風兄ちゃんは、逃げたの?」
「違う」
滝蔵は即座に否定した。しかしこの発言によって、不安が波のように広がっていく。
「だって、こんなことになっても来てくれないじゃない」
「……そういえば、出ていってからずいぶん経つよな」
「村の戦力もごっそり連れていった」
「あいつ……最初からそのつもりで……」
その時、蜂たちが一行をかすめ飛んだ。疾風の悪口を言っていた天狗たちも、あわてて地に伏せる。
「しゃべってねえで、自分の身を守ることに集中しろ!」
滝蔵が言うと、疾風への批判はなりを潜めた。しかし、決してそれが霧消したわけではない。
(あの馬鹿に、悪意があるわけじゃねえんだが……)
戻ってこられないのは、敵にそれだけ苦戦しているから。村の戦力を連れていってしまったのは、本人の判断が甘いのと天逆毎にそそのかされた結果だろう。
滝蔵ならそう予想することができる。だが、追いつめられた普通の天狗たちにそこまではわからない。身に染みて実感できるのは疾風が戻ってこないこと、それだけだ。
ごう、と山風が吹いた。木々が揺れる。その音が泣き声に聞こえて、滝蔵は顔をしかめた。
「おう、親分。珍しくしけた面してんな」
どこからか、聞きなれた文句が聞こえてきた。滝蔵は弾かれたように顔を上げる。さっきまであんなに願っていたはずなのに、急に実現してしまうとなんだか不気味だった。
「ま、それも俺のせいか。だったら茶化すのは筋違いだ」
そこでようやく、滝蔵の目は疾風をとらえた。てっきりボロボロになって帰ってくると思っていたのに、背筋を伸ばした姿がなかなかサマになっている。変な札をつけていなければ、鬼一に……見えなくもなかった。
「他の連中は──」
そう言いかけて、滝蔵は口をつぐんだ。疾風がそれ以上言うな、という顔をしたからだ。
(あいつ……)
滝蔵が唸っている間に、蜂たちが疾風に向かっていった。一体だけで与しやすいと見たのだろう。その黒霧を確認して、疾風が笑った。
「よし、やっちまえ野郎共!」
疾風が手をさっと上げると、隠れていた天狗たちが一斉に姿を現す。そして同時に炎を放った。蜂たちは完全に不意をつかれ、次々に死体と化す。
生き残った個体にも、事情が変わったのはわかったらしい。滝蔵や疾風たちから、距離をとり始めた。
その間に、帰ってきた天狗たちは仲間のもとへたどり着く。家族の顔を見つけた者たちから、次々と歓喜の声があがった。
「疾風兄ちゃん」
「あ、こら」
抱きつこうとした子天狗達が、疾風の手前でまとめて転ぶ。これは札のせいだと、疾風が必死に弁解していた。
「なんだ、その札が結界なのか」
「そうみてえだ。区別つかねえんだな。あの野郎……」
疾風はぼやく。その顔を見て、滝蔵はにんまりした。
「兄ちゃん」
「ほら、今はダメだからあっち行ってろ」
疾風がそう言っても、なかなか離れない子らがいる。滝蔵はその中に、桐じいの孫を見つけた。
「……ごめんね」
「あ?」
「兄ちゃんがいない間、僕ひどいこと言った」
「あたしも」
「俺も」
口々にそう言ってうなだれる子らを見て、疾風は腕を組んだ。
「……まあ、傷つくな。ちょっと」
「…………」
子天狗たちはそろってうなだれた。
「でも、それは兄ちゃんが遅かったからだろ?」
「うん」
「じゃあ俺が謝らなきゃな。遅れて悪かった。もう大丈夫だから、みんなと一緒にいるんだぞ」
「分かった!」
子天狗たちが明るい表情で、それぞれの親や知り合いのところへ戻っていく。滝蔵は安堵で胸がいっぱいになり、長い息を吐いた。
「きゃああ!」
唐突に甲高い声が上がる。
「親分、あいつらまた来たよっ!」




