好敵手からの手向け
疾風のすぐ隣にいた若い天狗が、羽ばたくのをやめる。疾風は反射的に彼の手をつかんでいた。
「抜け駆けしようったって……そうはいくか、椋」
全身の力をこめて、疾風は翼を動かす。二人の体が、わずかに浮き上がった。──しかしその直後、疾風と椋は地面に向かってまっ逆さまに落ちていく。
「わああああ」
「ぎゃあああああ」
目の前が真っ暗になった。地面に体がぶち当たって、息が詰まる。
(ああくそ、もう少しだと思ったのに……)
疾風は固い地面に身を横たえながら、舌打ちをした。しかし次の瞬間、痛みが消える。不思議な現象が信じられず、身をよじってはね起きた。
「何だこれは!!」
一緒に落ちてきた椋も同じように身構えている。目が合うと、妙にばつの悪い思いがした。疾風たちの周りで、ちろちろと赤い火が燃えている。
「もしかして、俺たちもう死んで焼き鳥になってんのか?」
「……天狗ってうまいのかな」
「いや、食ったことねえし」
「何でも食べる動物の肉って、基本まずいんだよね」
聞きなれない声が、会話にわりこんできた。疾風と椋は、あわててそちらを見る。
「だから君たち、きっと食べてもおいしくないんじゃないかな。ついでに言うと、死んでないよ」
人間が一人、物陰から歩いてくる。散歩でもしに来たような軽い足取りだった。疾風と椋がそろってにらみつけても、その男は平然としている。不思議なことに、どこかで見たことがある気がした。
「せっかく二つも質問に答えたのに、あんまり喜ばないねえ」
「この状況で頭いかれてんのか、てめえは」
「この状況って?」
男に問われて、疾風は気づいた。さっきまでうるさかった蜂の羽音が、ほとんどしない。
「頭、あれ」
椋が地面を指差す。視線を移した疾風は、息をのんだ。
「!」
蜂たちが黒く焦げ、手足を硬直させたまま死んでいる。かなりの数が、短時間でやられたようだ。
「おい、てめえ……」
疾風は思いきって、男に声をかけてみた。しかし男はそれを無視して背を向ける。
「朱雀・玄武・白虎・勾陳・帝久・文王・三台・玉女・青龍」
男が呪らしきものを唱える。すると、白い人形がどこからともなくやって来た。
「頭、蜂がまだいるぞ」
仲間がやられたのをかぎつけた蜂たちが、怒りで目を真っ赤にしながら集まってきた。
「とりあえず上へ──」
疾風がそう言いかけたとき、人形がついと顔の横を通り過ぎる。
「あちっ」
疾風は首がつりそうなほどのけぞった。単なる紙人形のはずなのに、それは異様に熱かったのだ。
「さ、行くよ晴明」
妖狐を母に持つ、大陰陽師。人間界に疎い疾風でも知っているくらいの大物を、青年は実に気安く呼んだ。
人形の数が、一気に増える。目の前が白くけぶり、疾風は紙吹雪の中に取りこまれた。
白の中に、わずかに黒が混じる。それが人形にまとわりつかれた蜂だと、しばらく経ってから疾風は気付いた。
にわかに赤がその場を支配うする。人形から上がった炎は激しく燃え上がり、そして唐突に消えていった。
不思議なことに、あれだけ炎が上がったというのに、周囲の木々には焦げあと一つない。後に残されたのは蜂の死体と、口を大きく開けた疾風たちだけだった。
「……さあて、このへんの個体はあらかた片付けたね」
男が首を左右に動かす。そして仲間を呼び寄せた。
「ああ、安心して。彼らも味方だから」
男は両手を大きく広げる。確かに三千院と同じ軍服だったが、疾風はまだ信用していなかった。
「用心深くなったね。良きかな良きかな。でも、時と場合ってのを考えた方が賢いよ」
「ああ!?」
「だって君のお仲間、そろそろ体力の限界だろう。本当に敵なら、蜂と一緒に殺しているよ」
ニコニコした顔を崩さないまま、男はえげつないことを言う。父が怒ったときと微妙に似ている、と疾風は思った。
「わあったよ。おいお前ら、全員こっちへ降りてこい!」
疾風は根負けし、号令をかける。へろへろと『の』の字を描きながら、天狗たちが地面に降り立った。
「治療を始めるよ。あんまりゆっくりは出来ないから、大きな傷を優先」
「承りました」
「うわっ、お、おい!?」
反論する間もなく、疾風たちは全身にべたべたと札を貼りまくられる。
「異国にゃこういう妖怪がいるみてえですよ」
「何の気休めにもなってねえ」
愚痴を言いつつも、どうしようもないので疾風たちは一つ所に固まっていた。
すると徐々に、体が軽くなってくる。もやがかかったようだった感覚が、次第に鋭くなってきた。
「いい感じだろう」
「てめえの気にくわねえ面は、確かによく見える。何をしやがった」
「言った通りだよ、傷をふさいで体力を回復させている。そのままじゃ、里に戻ったところで足手まといだから」
「なんで人間にそんなことが出来る」
「殺せるんだから、逆も出来るさ」
また飛び道具のような言葉が出てきた。疾風は思わず首をすくめる。
「隼人様、敵集団が近づいてきてます。接触まであと五分を切りました」
「次から次へと良く来るねえ……ま、お帰り戴くとしようか」
隼人と呼ばれた男は立ち上がる。そして疾風たちの方を向いて言った。
「聞いたとおりだよ。もうすぐまた奴らが来る。今のうちに里の方へ」
疾風はうなずく。しかし、隼人に一つだけ聞いておきたいことがあった。




