いざ女の園へ赴かん
後ろから現れた双子の護衛にせっつかれ、巌爺さんがもごもごと口を動かした後、気まずそうに言いだした。元気に跳ねまわっていた都の動きが、それを聞いて面白いようにぴたりと止まる。
「じいじ?」
「都……ごめんな~。後から行くからの」
事情を聞くと、経済界の御仁と約束があったのに、老いの悲しさでころっと忘れていたのだという。午後には行けそうだというが、姉の劇には間に合わないとのことだった。
「ううう」
もう泣きそうな都を見下ろしながら、巌は苦悶のあまり冬眠前の熊よろしくどすどすと歩き回った。さっきの爆発で揺らいでいた屋根瓦が振動で何枚かふるい落とされる。
「儂、急な腹痛が」
「「だ・め・で・す」」
護衛たちはハモりながら、巌のわがままをばっさりと切り捨てた。
「都ちゃん、おじいちゃん後から来てくれるって。それまで、お姉ちゃんと屋台で何か食べてようよ」
都の様子を見かねた怜香が、しゃがみこんで声をかけた。バッグから文化祭のパンフレットを取り出し、都の目の前で広げて見せる。
「ほら、クレープもアイスもあるよ。お腹すいたら、唐揚げとか焼きそばにしようか」
「アイスじゃと?」
都は怜香の放った餌にがっちり食いついた。怜香がにやりと笑う。
「まっちゃあじもあるのかのう」
「もちろんあるよ~。ほら、白玉と小豆も追加できるって」
「かんぺきじゃ。ほめてつかわす」
都は小さい手で拍手をした。完全に都の機嫌が直ったのを見てとり、巌がほっと胸をなで下ろすのが見えた。
それでは巌抜きで出かけようか、と大和を無視して葵が立ち上がった時、ポケットの中の電話が鳴った。ちょっと外すぞ、と断って電話に出る。
「一尉、警察から報告が入ったのですが」
「警察?」
「どうも、木下と山田がやらかしたようです」
その後の報告を耳に入れていくうちに、葵の頭が痛くなってきた。痛いのは耳だけで十分だと思っていたのに、世の中そううまくはいかないものだ。乱暴に通話を切り、怜香に声をかける。
「悪い、俺も行けなくなった。先に行っててくれるか」
「どうしたの?」
「部下の不始末だ。久しぶりに帰還した奴らが、この近くの飲み屋街で騒ぎを起こしてる。ちょっと行って絞めてくる」
「大変ね、中間管理職」
怜香が葵の肩を叩きながら、慰めの言葉をかける。
「姉貴の演劇は十一時開始か。間に合うか微妙だな。もし過ぎたら外で落ちあおう」
「ん、了解」
「悪いな。都のお守りも丸々任すことになるぞ」
葵が詫びた。いいのいいの、と怜香が手を振る。そこに大和が乱入してきた。
「そうか。葵くんは行かれへんのか」
「お前と違って忙しいんでな」
葵は皮肉を飛ばしたが、それは大和の分厚い顔面に当たって跳ね返った。
「怜香ちゃん、都ちゃん、女の子だけで行くのは危ないで? ヨコシマな男がおるかもしれん。そんな時、俺という頼りがいがある男がちょうど暇をもて余している」
「お前が『ヨコシマな男』の代表格だろうが」
「そこいらのナンパ男と一緒にすなや」
「怜香、心配しなくても一般の変態ぐらいなら関節技で落とせるだろ」
「うん、お望みなら金玉潰しのオプションもつける」
「あの子怖いよ」
えげつない技をさらりと言い放つ怜香に、俊が怯えた。
「聞いたか。護衛など必要ないとさ」
「ぐふっ」
悲報にうちひしがれ、大和は腰から地面に崩れ落ちた。
「でも、大和君が行きたいなら一緒に行く?」
「うきっ」
「人としてのプライドはどうした猿」
葵の意に反した怜香の一言に、大和が文字通り飛びあがって喜んだ。葵がこきおろしても、耳に入った様子はなく、もだえにもだえて全身で喜びを表現している。
「怜香、お前な……」
葵がたしなめたが、怜香は笑っているばかりだった。
「この前の事件じゃ助けてもらったじゃないの。いいじゃない、大和君なら女の子がほんとに嫌がることはしないわよ。ということで私と都ちゃん、あと大和君の分もチケットちょうだい」
「都様には私もついていますので、警備の面はご心配なく」
爺さんの双子護衛の一人が言う。もう一人と爺さんは、準備があるのかすでに姿を消していた。
「ええでええでー。兄さんもチケットもらいや」
「それでは頂戴いたします。……申し遅れました、私、氷上一丞と申します。巌様の執事のような仕事をしております」
大和と一丞が友好的に握手を交わし合う。形勢不利になってきた葵は、都にも意見を求めたが、特に拒否もされなかった。
彼女はアイスが食べられたら、大和の有無はどちらでもいいようだ。結局数で負け、葵は仕方なく引きさがる。
「絶っっっ対に手綱は離すなよ、怜香」
「うん、頑張る」
びよんびょんと壊れたおもちゃのように跳ねまわる大和を見て、葵はため息をついた。
重大犯罪は犯さないだろうが、本能のままに行動されたとき、どんな火事場の馬鹿力を発揮するのか見当もつかない。なにせ入隊の時から不法侵入しようとしていた奴だ。
「もし、奴を見失ったらすぐ俺に連絡くれ」
葵が、すぐのところに力を入れて怜香に注意する。怜香は素直に頷いた。
「あ、もう走り出したよー。追わなくていいのー?」
後ろでぼんやりと見守っていた修が言う。見ると、大和と都はもはや米粒ほどの大きさになっていた。怜香と一丞はそれぞれチケットをもらい、ふたり一緒に駆けだした。
地下鉄の出口から地上に出て、目的地である学校を目指す。土曜の朝、もうすでにはしゃいでいる家族連れがぱらぱらと怜香たちの前を歩いていた。
その楽しげな空気は一行にも感染し、文化祭への情熱を抑えきれない都が、早く行こうとせっついた。
「えーと、最寄りの出口はここで間違ってないから、あとはどっちかな」
怜香はバッグからパンフレットを取り出した。それを見ていた大和が、
「ええで、俺わかっとるから」
と声をかけた。
「え?」
「道筋はばっちり、俺の頭の中や。みんな、ついてき」
本当だろうか、と怜香は顔をしかめた。大和の普段の行動を見ていると、案内役と言うより、真っ先に迷子になって探される立場の方がしっくりくる。
「う、疑っとる?」
「正直かなり」
取り繕ってもわかるだろうと、怜香は素直に口にした。
「普段の俺は確かにそうや。一歩進めば決まった道を踏み外す。生まれついての野生児っちゅうやつやな」
一歩って。ニワトリだってもう少し賢くなかったろうかと怜香は思う。この人、よく選抜試験通ったなあ。
「しかし、今回は違うで。ありとあらゆる犠牲を払い、完璧に覚えこんだ……。肝心のその日に、一分でも早く現場に辿り着きたいもんな」
「葵が許さなかったらどうする気だったの……」
「そない悲観的なことでどうする怜香ちゃん! 男なら、成功のみを胸に秘めて突き進むもんや」
「そ、そう……。行けてよかったね……」
怜香はその楽観主義にただただ恐れ入る。つくづく、葵とは正反対な性格だなあと思い知った。今までほぼ、三千院家と家族以外の男とあまり付き合いのなかった怜香にとっては、刺激が強い。




