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あやかし殺しの三千院家  作者: 刀綱一實
故郷のための栄光
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師匠ですから

「……これ、治せないの?」

「形成手術をすればもっとましになるけど。血球や血小板が少なすぎるって」


 切った後、血が無事に止まる保証がない。医師にそう言われたと京香は語った。


「一回噛まれただけで?」

「そう。牙を抜いたら失血死でアウトだと思って、最後は蜂を腹にくっつけたまま全力疾走よ」


 俊はその光景を想像して、気分が悪くなってきた。


「他に噛まれた人はいる?」

「いた。けど、全員死んだわ」

「失血?」

「毒。手足から崩れてって、最後には走ることすらできなくなった。置いていったから、最後までは見てないけど」


 京香は淡々と言う。それがかえって、話にすごみを与えていた。


「でもなんで君だけ大丈夫だったの?」


 俊が聞くと、京香は眉間に皺を寄せた。


「私がたまたま、毒に強い体質だった。だから、生き残った。本当にそれだけ」

「忘れたくはなかったの?」

「仲間を見捨てた以上、努力するのは義務だと思ってる」

「なるほどね。でも誰にも理解されなかったと」

「……軍には何回も調査申請を出した。でも、数年前にたった一度あっただけのことに、予算はつけられないって」

「まあ、そうだろうね。軍でもカツカツだし」


 防衛費は毎年おりるが、そのうち七割近くは前年度までに導入した物品の支払いや人件費にもっていかれる。全く新しいことに使えるのは二割強。その中からさらに研究へ、となると、頼りない額しかおりてこないのだ。


「それで、自分で調べ始めたの」


 結果、驚くべきことが分かった。同じような不審死の記録がいくつも見つかったのだ。


「じゃあ、再度それを見せたらいいじゃない」

「やったわよ。私、そんなに馬鹿じゃないの」


 京香ももちろん、そのデータを持って再度訴えた。しかし、二つの理由を盾に却下されたという。


「一つは、もう遺体が残っていないため、再調査が困難。検査する前に消えてしまったから、残っているのは目撃者の証言のみ」

「土から毒素が検出できれば違ったんだろうけどね」


 京香はうなずき、さらに続ける。


「そして、実際にそんな強い種がいるなら、繁殖していないのはおかしいって」

「確かに、生存競争に負けそうにないからねえ」


 そこで話は終わり、京香は唇を噛む。俊は黙って、彼女を見つめた。


「私が生き残ったのは、きっと意味がある。確かに今は役に立たなくても、十年後にはそうじゃないかもしれない。そう思って、何度も検査してもらった。でも痛い思いしてようやく抗原が取れたのに、それでも誰も動かない」


 京香の一言が、やけに俊の胸に残った。それは、愚直なまでに未来だけを見つめているしゅうと重なったからかもしれない。


「君に、提案がある」


 気付いた時には、俊はこう言っていた。



☆☆☆



「あー、今日も良い感じに没だねえ」


 自分で言ってしまった。論文が何度も突っ返されているのを見ると、明るくしなければやっていられない。


「マルさーん」


 愛しい猫様の名を呼んでみる。しかし、マルさんは面倒くさそうにあくびをしただけで、クッションの上から一歩も動かなかった。……猫とはそういうものである。


「修、そろそろ飯だよ。降りてきな!」


 下から玉世たまよが呼んでいる。しかし、修の腹は食べ物を欲していなかった。


「後で行くよお」


 この数日、同じ返事をしている。修は、今こっそり悩んでいるのだ。


「はあ、どうしよ」


 修は、同じ研究所の先輩に猛烈に誘われていた。しかしそれは、やりたかった予防医学ではない。畑違いの、手術メインの研究だ。


(僕には向いてないの、絶対わかってるよね)


 修は苦笑した。彼が本当に欲しいのは、三千院さんぜんいんにくっついている金だろう。しかしそれでも、待遇は悪くない。他の人間なら、一も二もなくのった案件だった。


(妙に頑固、ってのはいいことないねえ)


 成果が出たわけではない。こだわっているのは、単に自分のわがままだ。


 自分ももう十八になった。もう数ヶ月後には、どこへ進んで何をするのかはっきりさせなければならない。


(やめてしまえばいいじゃないか)


 修の中の『大人』が言う。


(お前が予防医学にこだわるのは、『()()()()()()()()()』を無駄にしたくないだけだろう)


 理性が、修の痛いところをついてくる。


「……コンコルド効果、ね」


 赤字になることが分かっていても、誰もノーが言えず、結局巨額の負債を生み出した事業計画。今の修は、まさにその状態なのだろう。


(一回イエスと答えてしまえば、腹が決まるのかな)


 修はやや捨て鉢な気持ちのまま、メールボックスを見た。先輩からの誘いメールは、まだそこにある。


(子供の執着は、もう終わり)


 人生は、妥協の連続だ。仕方ない、仕方ないんだよ。修はそうつぶやいた。


「ん」


 トップページに、新着メールを示す赤いマークがついている。修は差出人を確認した。


「ロビン・グローステスト……はは、疲れてるのかな、僕」


 感染症の治療薬開発で、国際的な賞をいくつもとった高名な学者。今や彼女の名声は世界に及び、講演会は年単位でスケジュールが詰まっている。


 そんな人から、直々にメール。


「あるわけない。ありえない」


 自分は都合の良い幻を見ているのだ、と修は思った。だがそれとは反対に、指はメールを開封する。


「突然ごめんなさい。タマヨから、あなたの話を聞きました」


 師匠、なにこれ。なんで平然とロビンと会話してるの。


「若いのに変なところで諦めの悪い奴、と彼女は言っていました。合っているかしら」


 人のことを勝手に話してるし。修は過呼吸になりそうな気分で、メールをスクロールした。


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