キズアト
「アルツハイマー? 癌? それとも身近なところでノロウイルスとか」
二つ三つ候補をあげてみるのだが、彼女はそのいずれにも否と言った。
「じゃ、何さ」
「聞いて驚かないでよ。泥梨バチの毒に対するワクチンなの」
「…………」
俊は押し黙ってしまった。それを見た京香が、露骨にうろたえる。
「あのさ。『うわあ』とか『そうなの』とか、普通あるでしょ」
「ウソー」
「頭文字だけテキトーに取るんじゃないわよ」
「ばれたか」
しかしこのギャル、頭の回転は悪くない。俊は彼女のことを見直した。
「そもそも蜂毒なら血清じゃないの?」
「それじゃ、一過性でしょ」
おっと、血清とワクチンの違いもわかってらっしゃる。ただ抗体を入れるだけの血清では、持続する免疫はできないのだ。
「泥梨バチの毒は、細胞の中に入りこんで持続的に作用するの。一過性じゃだめ」
「まあ、それなら細菌やウイルスみたいなもんだから抗原はとれるだろうけど」
しかし、肝心な疑問が残っている。作ってどうするのか、と言うことだ。
「ノリが悪いわねえ」
「そりゃそうです。泥梨バチなんて、そもそも聞いたことないもん」
日本に広く群生している蜂なら、俊ももっと真面目に聞いただろう。しかし、京香が口にした種には、全く聞き覚えがなかった。
「みんな遅れてるのよ。あんた、運が良かったわ」
京香は自信たっぷりに言うが、おそらく今まで色々なところを回ったに違いない。話し方が手慣れすぎている。そしてその全部で門前払いを食らって、仕方無いので俊までやってきたというのが本当のところだろう。
「流石に乗れない」
「んなっ」
俊が断ると、京香は予想以上に激しい落ち込みを見せた。地面にしゃがみこむ彼女を見て、そこまでしなくてもと俊は思う。
「なんでよお」
「だって、どこで使うかもはっきりしないじゃない。採算とれないよ」
俊の言葉を聞くと、京香の目がすっと憂いの色を帯びた。
「みんな、金金って」
「仕方無いよ」
俊は彼女をなだめる。学者といえども、霞を食って生きているわけではない。今は研究者への給付も厳しいため、利益が出そうでないと取り上げてもらえないのだ。
「でも、あいつらが来たら……お金じゃどうにもならない」
京香はそう言って、きつく唇をかむ。その顔は本当に真剣そのもので、俊は反論を忘れて見入った。
「……ねえ、『あいつら』って蜂のこと? 何でそんなに深刻そうなの?」
空調の風が通り過ぎる。その音にまぎれるような声で、俊はつぶやいた。
「それは──」
京香が答えようとする。しかしその時、彼女はいきなり口元を押さえてしゃがみこんだ。明らかに立つ気力もなく、顔が青白い。俊は慌てて、人を呼びに走った。
☆☆☆
「……妹さんは今、任務中だって。他に身内の人は?」
俊が聞くと、ベッドの中の京香が身じろぎをした。
「メイクはげてない?」
「質問に答えて」
「それが一番気になる」
「大丈夫だよ。どうやってつけたか知りたいくらい」
「……そ。身内ならいない。あの事件の後、ありとあらゆる親戚と連絡がとれなくなった」
暗い目をしながら京香が言う。俊は深く追求することなく、うなずいた。
「とにかく、ここで一日休んでいきなよ。ひどい貧血みたいだから、輸血の準備もしたってさ」
「はあ、また管つきか」
うめく京香の横で、俊は彼女の血液データに目を落としていた。血球のバランスが悪く、全体的な数も少ない。これでは具合が悪くて当然だ。
「なんで、そんなに必死になって泥梨蜂ワクチンを作ろうと思ったの?」
俊は自分から、京香に問うてみた。
「うちの父が、作戦を放棄したのは知ってるでしょ」
「うん」
「じゃあ、何故逃げ出したかはわかる?」
俊は首を横に振った。
「訓練中、急に変な蜂が襲ってきた。たまたま私たちの部隊が一番遠くにいて──助けに戻らず、逃げた」
「ちょっと待ってよ。いくらなんでも、それはないでしょ」
訓練中とはいえ、部隊は火器も防護服も持っていたのだ。いくらなんでも、蜂ごときで全滅するわけがない。
しかし京香は、ますます目をつり上げて言った。
「その蜂、全長が五十センチを超えてたのよ。しかも、動きが速くて毒持ち。デバイス使いもほとんどいない、数百人の隊じゃどうにもならなかった!」
京香は一気にまくしたてる。そして言い終わった後に、ぽつりと添えた。
「……だからといって、自分たちだけ逃げていいってことはないけど」
どう返していいか分からなかったので、俊は話を変えた。
「刺された人は、どうなったの?」
「はい」
京香はいきなり、部屋着をまくりあげる。俊は目をそらした。
「胸まで見せてやんないわよ」
京香に言われて、俊はおそるおそる顔を元の位置に戻す。すると、彼女の腹部が見えた。
(よく生きてるな)
それが、俊の抱いた正直な感想だった。
京香の腹には、上下二つ並んだ大きな傷跡がある。肉芽形成がうまくいかなかったのか、表面がクレーターのようにへこんでおり、さらにそこから蜘蛛の巣のようなひび割れが広がっていた。




