笑顔の奥に潜むもの
「三千院の軍師ですわ。こうして聞くと、華のない声だこと」
胡蝶がけなすが、もちろん向こうに届くことはない。これは緑林虫が体内にためこんだ音だからだ。
外部と接触しないため、ほとんど天敵のいない緑林虫であったが、わずかな例外の一つが木をほじくりかえす人間だった。
誰がいつ、どこの木へやってくるか。そいつは何が目的なのか。彼らは木と一緒に採取されないために、優れた聴覚を身に付けた。そして得た情報を、仲間同士で共有する術を身に付けたのだ。
それに目をつけたのが、胡蝶だった。
「天逆毎様、あいつらは使えるかもしれませんよ」
人間の世界によく出入りしていた彼女は、情報の大切さを骨身にしみて知っていた。天逆毎にも異論はなく、それ以来緑林虫はありとあらゆるところに入り込んでいる。
三千院家の庭先にも。
“やってもらうのは、この施設を攻撃することだ”
三千院の話が佳境に入った。もともと上向きの胡蝶の目尻が、さらに天へ向かう。
「……これは、霊脈維持装置を破壊しろと言っているの……?」
京の地を管理し、不浄なるものに厄災を与える装置。妖怪たちにとっては天敵であり、真っ先に制圧命令が下っていたはずだ。
「そのようだね」
「すでに我らが押さえたでしょう」
「隠し武器がもう一つあったんだね。ここの連中は意地が悪い」
話を一通り聞き終わってから、天逆毎は胡蝶に向き直った。
「どう思いましたか?」
「二つ、考えられるかと。一つは、この局面で気が狂った」
「ありえなくはないが、分の悪い賭けだね。もう一つは?」
「我々を──いえ、この阿呆どもを安心させるため、わざと嘘をいっている。大方、罠をしかけたのでしょう。お前、これはどれくらい前の話なの」
「一刻ほど……」
「あら」
そう言うやいなや、胡蝶は左手を振り上げた。斬られた風が乱れ、天逆毎の髪をかき乱す。
「……え」
斬られたのは風だけではなかった。さっきまで座っていた使いの狐が、縦方向に両断されている。数秒間自立していた死体は、やがて重力に従い血だまりの中へ崩れ落ちた。
「でき損ないが」
怒り狂った胡蝶の形相はすさまじい。天逆毎は内蔵まできれいに斬れている、と通りいっぺんの世辞を言った。
「……天逆毎様」
「わかっているよ。こいつが報告に一刻もかけたおかげで、相手に時間を与えたということくらいは。しかし、我々と違って人間は手ぶらで戦いに行けるわけではない。まだ手遅れにはならないよ」
天逆毎が言い聞かせると、胡蝶はやっと元の顔に戻った。
「しかし、いつ気付いたんだろうね。緑林虫はほいほい出歩くことなどないのに」
「そして忌々しいことに、今の今まで放置していた。一番大事な時に、こっちの裏をかくために」
「全く、たかだか十数年しか生きていないというのに悪知恵の回る坊主だこと。しかし惜しかった。もう少し私たちがぼんくらだったら、成功していたかもしれない」
天逆毎はそう言いながら、踵を返す。その背中に向かって、胡蝶が口を開いた。
「どうなさるのです」
「あの坊主も殺しておかなきゃね」
「お待ちください。元々は私の子飼いの不始末です。私が」
胡蝶が追ってくる。しかし、天逆毎が歩みを止めることはなかった。
「お前にゃ霊脈装置を破壊してもらう。そして、私はここを離れるわけにはいかない。となると、取れる手は一つだ」
天逆毎は手で円を作り、そこへ息を吹き込む。甲高い音が四つ、一定の調子で続いた。
「誰をお呼びになったのですか?」
胡蝶の疑問の答えは、すぐに明らかになった。
「よう。待ちくたびれたぜ」
黒い翼を持つ天狗たちが、四方八方から集まってきた。
☆☆☆
「では、あなた方に与える任務ですが」
急に天逆毎が自分の方を向いたので、疾風はすくみあがった。周りの天狗たちも、同様に姿勢を正す。
「南西の空を任せます。これからすぐに向かってください」
天逆毎は自分で作ったという地図を取り出し、京の外にある街を指さす。
「!」
疾風は息をのんだ。一度、ここに足を踏み入れたことがある。
「三千院の縄張りか」
「正確には家でなく、その周りの基地ですがね。ここから飛び立つ物体は、全て叩き落としていただきたい」
「全て……」
「人間たちは様々な乗り物を使いますが、その形にかかわらず、全てです」
天逆毎の顔は厳しい。本当に達成しなければならないことなのだろう。
「発進前に攻撃しても?」
「お好きにどうぞ。増援が来る可能性はありますが、あなた方なら重要人物を始末できるでしょう」
疾風の脳裏に、ちらっと尊大な女の顔が浮かんだ。
「第一目標は生意気な坊主ですが、士官クラスが多く仕留められれば有利になります。余裕があればお願いします」
疾風はうなずいた。
「では、散開。この戦いが終われば、国土は我らのもの。力を尽くしてください」
天逆毎のその一言をきっかけに、皆が飛び立った。疾風は改めて、天狗たちの顔を見る。若い者も老いた者も、張り詰めた顔をしている。
(このうち、どれだけが生きて勝利を迎えられるか)
疾風の頭を、ふとそんな考えがよぎった。
「……みんな、ここのところ凶事ばかりですまなかったな。それも、もうすぐ終わりだ」
疾風が言うと、天狗たちが大きく息を吐いた。
「親父は死んでしまったが……里は残った。ここにいる全員がそろって山に帰れたらいいな、と俺は思う」
しまりがないと思ったが、あえて疾風は普段と同じ調子でしゃべった。
「俺は精一杯やる。だからみんなも、力を貸してくれ」
格好いいことは言えない。今、頭の中にあることをそのままぶちまけた。すると、天狗たちが笑顔を見せる。
「仕方ないですなあ」
「若だけじゃ頼りないし」
「俺たちが助けてやらんとな」
疾風はようやく、緊張がほぐれる。
(親父のようには、まだできない。だが、これはこれでいいじゃないか)
天狗たちの胸中を知らず、疾風は無邪気にそう思っていた。




