戦の地に立つ若参謀
天から白いものが落ちてきた。拾い上げてみると硬い。動物の頭蓋骨のようだが、種族まではわからない。非常に軽く、片手で楽に持ち上げられた。
葵はさらによく見ようと、頭蓋骨を後ろ向けにし顔を近づける。わずかな動きに呼応して、あたりの空気がふいと動いた。
そのしぐさを待っていたように、白い頭蓋骨はいきなり火花が出そうな勢いでくるりと反転した。ぱっくりとあいた口の中から、長い歯が見えている。好奇心に負けた愚かな獲物めがけ、足もないのに飛び上がった。
しかし、頭蓋骨の狙いは外れた。葵は、相手が後ろ向きなのをいいことに、口に小型のナイフをくわえていた。哀れ、頭蓋骨は勢いがついたまま突き出された刃先に体当たりしていった。
かちん、と弾き返され襲撃者は目の前に落ちてきた。葵はそれをサッカーの要領で思い切り蹴り飛ばす。頭蓋骨は綺麗な放物線を描いて、秋の澄みきった空に消えて行った。
傍らで一部始終を見ていた、葵よりずっと年かさの男が顔をしかめた。
「怖くないんですか」
「全然。これから来る相手のほうがよっぽど怖い」
吐いた言葉は強がりではない。たとえ実際に恐怖を感じても、自分の表情は一切変わらないことを葵は知っている。
蹴られた頭蓋骨が重力に従って落ちてきた。今度は、銃を取り出す余裕があったので念入りに葵は銃弾を撃ち込む。
「おい、お前たちもぼーっとしてると股ぐら噛まれるぞ」
大事なイチモツが危機にさらされていると気づき、葵の周りにいた数人が一斉に股ぐらに手を伸ばした。幸い、頭蓋骨の群れは最初の一匹が失敗するのを見ていたようで、それ以上現れることはなかった。
もう一度上空を確認してから、葵は無線に手を伸ばす。
「状況は」
「は、おっしゃる通りに進行しております。右端に位置していた部隊が後退を始めました」
ここから数キロ離れた地点で、交戦中の部隊からの連絡だった。怒号や銃撃音が背後から響いてくるが、無線状態は良好で会話には支障がない。
「混乱しているだろうな」
「退却する敵の動きに規則性がありません。他部隊とぶつかって、こっちは大変な騒ぎですよ」
「それでいい。このまま追い立てろ。逃がすなよ」
「はい」
ぷつんと無線が切れた。順調に作戦が進行していることに満足したが、どうせこれも顔に出てはいまい。
葵は号令をかけ、散らばっていた小隊を呼びよせる。四十五人の顔がそろったところで、傍らの部下たちに向き直る。
「雷獣たちは敗走を始めた。残りの旧鼠どもを一気に片付ける」
指示が出ると、そこここからおおと明るい声があがった。這いつくばって身を隠した時についた泥で一同の顔は真っ黒だったが、どの顔も口角が上がり緩んでいる。葵特有の、坊主のあげる念仏のような声であっても、内容が吉報ということで部下たちの士気は上がっていた。
「隣の小隊と合流。小隊二つ、直ちに後退。事前の通達どおり、A地点までは防御を固めつつ後退。目標地点到達後は速やかに反転し、追ってきた鼠どもに向かって一斉射撃しろ。意見があるものはいるか」
葵の部隊では、部下たちからの反論も歓迎されている。しかし今回はどこからも意見は出ず、作戦は速やかに実行に移された。
通常、平地では歩兵が戦車の後方から移動するのだが、今回は歩兵が前に出る布陣になっている。後ろの部隊に怒られる前に、一行は走って移動を開始した。
ばたばたと軍靴の音が響き、砂煙が浮かんでは消えていく。葵も部下の後方から走った。部下たちは一緒に走るのが気まずいらしく、葵と並びそうになるとあわててピッチをあげる。
乾いた、舗装のされていない地面を大人数が一気に走っていく。上から見ればさぞ壮観な眺めだろう。部隊のたてた煙を追うように、背後から戦車のキャタピラ音が響く。部隊の最後尾を走る葵には、その音がはっきりと聞こえていた。
戦車が敵を踏みつぶすため、進行音が時々変わる。轢いたのは鼠だろうか。鼠といっても、今追ってきている連中は、どれも大型犬ほどのガタイの良さだから、ああいう大きな音もするだろう。
敵がすぐ後ろまで来ているのは、何回体験しても嫌なものだ。走るときの土埃に加え、煙幕をたきながらの進行のため視界は極端に悪い。追ってくる鼠たちからこちらの姿は見えていないはずだ。が、それでもナメクジが靴の中に入ったような気味の悪さはぬぐいきれなかった。
自分と同じように時々後ろを振り返る部下の顔が、ちらりと見える。追われる不安からか、その顔は奇妙に歪んで見えた。
「焦るな、もう少しだ」
葵は叱咤する。今は周りから弱音や反論は聞こえてこない。しかし先が見えないこの状況で、大人数が不安にかられると、内部崩壊しかねない。葵は余計なことを考えさせまいと、さらに走るスピードを上げた。
「目標、見えました!」
しばらく走り続けたところで、前方を走る部隊からようやく待ち望んだ第一報が入る。葵が目標地点に決めた、大きな橋がもう肉眼でも確認できる。間違いない。
「全部隊反転、前列は攻撃開始! 後列は射撃準備に入れ!」
くるりと反転したおかげで、今度は戦車部隊が最前列となり、歩兵の盾になる。いい気になって追ってきていた鼠たちは、今ようやく自分たちが罠にはまったことに気付いただろう。後ろから押されて逃げることすらままならない先頭集団に、正面から鉄の雨が降り注いだ。
砲撃の音がようやく止んだ。地面にはまんべんなく鼠たちの血や内臓がぶちまけられている。鼠だとわかる死体はまだいいほうで、砲撃時に最前列にいた部隊は細かい肉片に変わり果てていた。
戦況が一段落し、別小隊が周囲の偵察に出ている。一時やることのなくなった葵は耳に手をやった。銃声や砲撃の中に長くいたため、耳鳴りがひどい。
「一尉、耳栓しないんですか」
耳に手をあてている葵を見て、傍らの陸曹が話しかけてくる。確かに耳栓をすれば、多少改善することは分かっていたし、部下の耳栓使用は制限していない。しかし、周囲の音が聞こえにくくなるので葵本人はつけたくなかった。
「俺は使わん」
しかしこのまま派遣任務がずっと続くと、今度は音自体が聞こえなくなってくる。何か対策を考えないとな、と腕組みをしながら考えた。
「三千院一尉、お休みのところすみません。宮田一尉がお見えなのですが」
まだ若々しい陸士が声をかけてきた。葵はそちらに顔を向ける。
「あ、あのう……」
葵の顔を見て陸士が明らかにうろたえた。一般に機嫌が悪くなると、眉が吊りあがったり眉間に皺が寄ったりするが、葵の場合常に能面顔であるため、部下からみると得体のしれない生き物に見えるようだ。
「大丈夫だよ、取って食わんから」
陸曹が言う。葵はすぐに行くと答えた。陸士はまだ気味が悪そうな表情で、小走りで仲間のもとへ駆けていった。
葵は腰を上げる。部下たちが張ったテントの横を通りながら、指定された場所へ向かった。周りを見ながら歩くと、敬礼をしながら直立している陸士たちが目に入った。
「あそこか」
足を向ける。想像は当たっていた。陸士たちに取り囲まれながら、中年の小柄な男がふんぞり返っていた。男の体型はずんぐりと丸く、ゆで卵に楊枝の手足が生えたようだ。そのまま反り続けて、地面に頭をぶつけてかち割ってしまえと葵は心の中で呟く。
「何か用か、宮田一尉」
葵はぶっきらぼうに声をかける。実年齢は葵より三十以上年上であるが、同じ階級なのだから、当然敬語は使ってやらない。しかし宮田はぴくりと太い眉を震わせ、不快感をあらわにした。
「三千院一尉。階級は同じでも、人生の先輩には敬語を使いたまえ」
「早く用件を言え」
葵の答えと同時に、周囲の空気が震えた。よく見ると、宮田の背後では笑っている陸士が数名いる。
「……」
宮田は足を踏み鳴らす。その滑稽なしぐさに、物言わぬにやにや笑いはさらに増えた。
「う、上からの命令だ。今から、ここの指揮官は私になる。貴様はとっとと後方に下がるがいい」
失った威厳を取り戻そうと、小さい胸を鳩のようにふくらませながら、葵に指をつきつける。葵は舌打ちをした。




