薄皮の奥に潜むもの
すると、幕僚長が口を開く。
「彼の言う通りだ。この蜂に刺されると、急激に毒素が全身に回る」
毒素注入から十分で行動不能になり、十五分を超えると四肢や内臓の崩壊が始まる。そして三十分もすると体全体が原型をとどめなくなり、液状化して死に至るのだ、と彼はしめくくった。
「今は犠牲者の数を特定している場合ではない」
「その通り、蜂の排除と避難が最優先でしょう。これに関してはすでに対応済みです」
すでに防衛出動の許可は出た。話題は自然と、現場の編成のことに切り替わる。
「臨時に戦闘団を作ったのはいいが、今回は難しいな」
防衛大臣がしかめ面で言う。
「現場は市街地だ。大型兵装が入れるルートは限られる」
「その上、一般市民が多数逃げ遅れています」
必死に誘導はしているものの、まだ避難所にすら辿り着いていない市民が大半を占める。避難活動は困難を極めた。ではと蜂の駆除に注力しようとしても、それも茨の道だった。
「上空からの攻撃も不可能か」
「当たり前です。動きが早すぎる。どうしてもやりたいなら、大型爆弾で面爆撃しかありません」
「無理だ。住民に直撃したら、それこそ後がどうなることか。射撃だよ」
「通常の5.56ミリ弾では仕留められなかったという報告があります」
「散弾銃は……」
「市街地では無理だよ」
「ガスでもまくか?」
「だから住民がいるんですってば。大人しくデバイス部隊に任せましょう」
大臣たちが口々に意見を言い合う。そこでようやく総理である夏目が動いた。
「もはやこうなっては……全面的な武器使用を認める以外に、駆除する方法はないと思う」
やっと望んでいた反応がきた、と幕僚長の顔に書いてある。ただし、彼はそれを口に出さなかった。
「はい。私も同じ意見です」
「しかし、その前に市民の避難が最優先だ。デバイス使いをできるだけかき集めてくれ」
「分かりました。武装を持たない警察・消防隊については、後方待機ということでよろしいですね」
「仕方ないだろう」
予備役のデバイス使いの召集も、その場で許可された。一旦、会議室の中は落ち着きを取り戻す。しかし、遠慮がちに入ってきた情報官の言葉で、それはやすやすと崩壊した。
「アメリカ大使館から」
「公式に説明を求める使者が来てるだと?」
「ええ、大使自ら。自国民も滞在する地だからと熱弁されています。あれは全く、引く気がありませんね」
「向こうも本国からせっつかれているんだろうが……こっちだって全部はつかめていないんだぞ」
総理補佐官が愚痴る。しかし彼の顔にはすでに、諦めの表情が浮かんでいた。
(無理もない。この状況で、アメリカ側に楯突けるはずがないからな)
司馬は彼の内心を思うと、気の毒でならなかった。これから向こうの無茶振りを聞くのは、補佐官の仕事だからだ。
(自国民第一はわからんでもないが)
それでも、一番被害を受けているのは日本なのだ。少しくらい配慮ができないものかな、と司馬は心の中でつぶやいた。
☆☆☆
「それにしても、多すぎだろう」
内閣官房長官とその秘書官。さらに副長官とその秘書官という大所帯で、米国大使に会うことになった。
「仕方ないじゃありませんか。向こうは大統領補佐官まで急遽来日させるというんだから。その下準備も兼ねているんですよ」
ぼやいた長官に、秘書官がつっこむ。
「しかしなあ、先の大戦からもう何年たっていると思う。いつまであっちのお話をハイハイ聞かなきゃならんのだ」
「仕方ないでしょう。内戦で混乱した国土にどこも侵略してこなかったのは、あっちの力添えが大きいんですから」
ここにいる秘書官は、二人とも防衛省の出身である。長官の愚痴もわからなくはないが、向こうの前では口に出すな、と釘をさした。
秘書官室を通り、大使が待っている総理執務室に入る。
通常、客は応接室または大臣応接室に通されるのだが、相手が場所を指定してきたのだ。それを聞いた長官が、無言で壁に向かって舌を突き出す。
「官房長官、副長官。お久しぶりです」
一行が部屋に入るなり、大使の方から口を開く。神経質そうな細い顔と、鷲鼻が特徴的な男だ。
「早速ですが、本題に入らせていただきたい」
挨拶もそこそこに、大使が言う。どこまでも勝手なことだ。
(しかしこの男、今までこんな振る舞いをしたことがあっただろうか)
官房長官は首をひねった。国の代表に選ばれるだけある、そつのない男だと思っていたのだが。自分の買いかぶりだったのだろうか。
(まあ、この事態になって地金が出てきただけかもしれんが……)
長官は気を取り直して、応接セットに腰を下ろした。全員が着席したところで、おもむろに切り出す。
「では今回の件について……」
「ああ、その話なら結構」
今度ははっきりと、大使が長官の話を遮った。そして白い歯を見せながら、獣じみた笑い声をあげる。
「な……何を……」
この態度には秘書官たちも、驚きをあらわにした。大使はそれも意に介さずひとしきり笑い尽くすと、涙のにじんだ目で長官たちをにらむ。
「本当に情けない奴等ね。ここまで正面切って無礼な真似をされたのだから、堂々と問いただせばいいでしょうに」
いきなり女言葉になった大使を、全員が目を丸くして見つめる。その反応が面白かったのか、大使はけけけと甲高い声で鳴いた。
「ここまでやってもわからない? 私は本当の大使じゃないのよ」
大使の顔、その右半分の表皮がぼろぼろと崩れ落ちた。すすけた皮膚がなくなると、その下からつややかな若い女の顔が現れる。奇妙な対比に、長官は唾をのんだ。
「半分じゃ物足りないかしら?」
大使──いや、謎の女が顔をつるりとなでる。顔が完全に別人に置き換わった。
「お前は、誰だ……?」
長官が聞く。秘書官が、隣の部屋に通じる扉に向かって後ずさった。
「天狐の胡蝶……と言っても分からないかしらねえ。まあ、妖怪よ」
女の口が、三日月の形につり上がる。鋭く尖った歯が、その間からちらっと見えた。




