老兵は闘わず、ただ後始末を
「はああああ?」
あまりのことに、怜香が素っ頓狂な声をあげた。傍で聞こえる音量が二倍になり、男性が慌てて耳をふさぐ。
「なんで、どうして」
佐久間の罠があったとはいえ、警備の責任者が自分の責任をすっぽかし、金品を着服して逃げ出したことには変わりない。必ず何かしらの沙汰が下るものと怜香は思っていたようだ。
なるほど、さっき大和が怒り狂っていたのはこれを聞いたからかと葵は思う。
「全くなにもなかったのか。任務も、懲罰にあたるような訓練も」
「ああん?」
葵が何度聞いても、大和は柄の悪い目でにらんでくるだけで、それ以上のことは言わない。
「……こいつなにも細かいこと聞いてないな。確認してくる」
葵はふらっと立ち上がり、さっきの男性を捕まえてあれこれ聞き出した。最初は、「そういうのって公式発表がないとうんたらかんたら」と言っていた彼だが、とうとうしゃべりだした。葵が「しゃべってくれるまでどこまでも憑いてゆく」と仏頂面で脅したのがとても効いたらしい。
「どうだった?」
戻ってきた葵を怜香が問いただす。
「降任、免職どころか減給・停職すらなし。公式には戒告処分のみだな」
「あれだけやらかしといて、戒告ですって?おかしいにもほどがあるわ」
怜香が眉間に深いしわを刻む。
「麻薬投与が検査でばっちり証明されたからな。錯乱も人殺しも、責任能力の欠如ということでカタがつきそうだ。自分で麻薬を摂取したならともかく、人から盛られたのであれば仕方ない」
葵が説明している間も、大和はばたばたといっそう激しく動き回り、周囲に埃を飛ばす。納得がいっていないのだろう。
「上層部から、酌量を求める声もあった。特に富永のオッサンが熱心に押したそうだ。どうやら、奴のコネをたどっていくとあの家の末端とつながってたらしい」
富永家は自らの子飼いが失態を犯すことは避けたいようだ。ただでさえ金も最近の勲功もなくて焦っているのに、スキャンダルまで出たらまずいのだろう。
基地進攻に触れると自分たちの対応のまずさがばれるので、そこには触れられない。しかし加藤の件に関しては、彼は一方的な被害者であると弁明すれば、佐久間に全ての責任をかぶせられる。自分の都合のよい所だけゴリ押ししてくるのは、ある意味当然の流れだった。
「……麻薬さえ使ってなかったらね。富永でも絶対かばいきれなかったはずだったんだけど」
「なんか、なあ。これでええんか。自分より弱いもんをいじめていじめて、甘い汁吸っとった臆病者がこのまま軍におることは、絶対今後のためにならへんで」
お前はどう思う、と大和が葵に問うた。
「何もできることはないんか」
「俺たちにできることはない」
大和が肩を落とした。しかし、怜香は今の葵の発言で顔を上げる。
「含みがある言い方するじゃない」
「そうか?」
「私たち以外の誰かになら、なんとかできるとでも言いたげだったわ」
葵はかすかに口角をあげた。怜香はそれを、肯定と受け取る。
「誰なの、それ?」
軍中央司令部の最上階は、階下とはうってかわって豪華なものだった。柱の一つ一つに細かい蔓模様が刻みこまれ、床には毛足の長い赤絨毯がびっしり敷かれている。
「「ここにおられましたか、御館様」」
「「お時間になりました」」
全く同じ顔をした二人の大男が放った、野太い大音声が廊下にこだまする。二つの口がしゃべっているはずなのに、高さもトーンもまったく同じだった。その場にいた全員がぎょっとして声の方を振り返った。
ただ、御館様と呼ばれた和服の男は慣れているらしく、頭を上げて鷹揚に頷いた。ひとつ咳払いをして、豊かな白髪をがりがりかき回しながら廊下の椅子から立ち上がる。
立ち上がると、周りの人間はさらに驚いた。どう見ても、護衛より今立ち上がった爺さんの方が体格がいい。着物の端から覗いている浅黒い手足だけでも、ごつごつして樫のようで、鍛えに鍛えた肉体をもっていることは見て取れた。人生八十年と言うが、この爺は余裕であと五十年くらい生きそうだ。
その怪物は勝手知ったる、という風情で廊下をのしのし歩いていく。歩くのも早く、護衛の二人が慌てて小走りで後を追った。
「よう」
茶でも飲みに来たような気軽さで片手を上げながら、老人は会議室に乗り込んでいった。広い欧風建築の室内には、シャンデリアや絵画があり華やかな雰囲気だ。机はなく、ゆったりとかけられる背もたれつきの皮張りの椅子が並ぶ。
そこにぴっちりと軍服を着た士官たちが、難しい顔をして座り込んでいた。適当に着物の前をはだけてへらへらとしている老人とはまさに正反対である。
「三千院殿。ここは軍部ですぞ」
「だって儂、軍服嫌いなんじゃもーん。あれ、襟がきつい。退官した人間無理矢理引っ張り出しといて固いこと言うなよ、お兄ちゃん」
爺は注意も全く気にした様子がなく、どっかりと椅子に座りこみ、「お茶が飲みたい」と言い出して周囲を脱力させた。
「始めようじゃないか。時間がもったいない」
さっきまでダラダラ喋っていたはずの士官たちが、急に身を乗り出した。お茶をゲットした爺さんが「今度は饅頭欲しい」と言いだしたからである。会議をしなければ今度は何を欲しがるか分かったものではない。
「今日の議題は」
「先日、妖怪部隊との大規模な交戦が勃発。現時点で、向こうに交戦の意思があることは明らかですが、なんとか最後の会見の機会を設けました」
「そうそう、そこに誰をやるかの人選会議だったな」




