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あやかし殺しの三千院家  作者: 刀綱一實
故郷のための栄光
508/675

真の惨殺者

「くくっ」


 鞍馬から遠く離れたところで、天逆毎あまのざこは低い笑いを漏らした。声は、時がたつにつれて大きくなる。


「ははっ、あはは……」


 笑いすぎて腹が痛くなってきたところで、ようやく天逆毎は顔を上げた。古傷から出血したら面倒なので、この程度にしておかなければならない。


(全く、あの忌々しい鬼一法眼きいちほうげんのせいだ)


 天逆毎はため息をつきながら、腹をなでた。よほど強力に呪をこめたのだろう、あれから時が経ったというのにまだふさがっていない。


「……まあ、息子は出来損ないだということははっきりした。親父のツケは、アイツに払わせよう」


 天逆毎はつぶやく。この前の疾風はやての間抜け面を思い出すと、ようやく怒りがひっこんだ。


(面白いくらいきれいにかかったな)


 疾風に語ったことのうち、天逆毎は三つ嘘をついた。


 ヴィオレットの裏切り。鬼一の遺言。そして黒幕の正体。


 しかし、それ以外のことについてはできる限り真実を述べた。その方が信用が増すからだ。


(少し、あの馬鹿に有利な材料を与えてやったのにな)


 天逆毎も、鬼一のことは買っていた。だから餞別がわりに、一つだけ逆転の目を与えてやったのだ。ところが、疾風は全くそれに気付いた様子はない。


(あれで奴の器は知れた。後はチヤホヤしてやって、有頂天になったところで地獄にたたき落とせばいい)


 自分の計画が順調に進んでいることを確認し、天逆毎は悦に入った。


 もう少し。あともう少し。


 かすかに笑い声を漏らしながら、天逆毎は月光の中に消えていった。



☆☆☆



 力を貸せと言っておきながら、その後、天逆毎は長いこと鞍馬へ来なかった。つるしておいた布もくたびれてきて、「そろそろ取り替えましょうよ」と見回りに言われる始末だ。


(もしかして俺は、からかわれただけだったのか?)


 疾風がそう思い始めた時、再び彼女は現れた。しかも今回は他の者を挟まず、いきなり疾風の寝所に陣取っていたのである。


「……衝撃で死んだらどうしてくれる」


 ようやく立ち直った疾風が悪態をつくと、天逆毎は笑った。


「それだけ大きな口がたたけるなら平気でしょう。今日は、私と一緒に来てもらいますよ」


 侵入したことを詫びるでもなく、天逆毎は勝手なことを言う。


「今?」

「はい、直ちに」

「里の仕事がたてこんでる。それは無理だ」


 戦が長引くと、どうしても男手が足りなくなる。要領の悪い疾風でも、里にとっては大事な働き手だった。しかし、天逆毎は一切引かない。


「今でなくては困ります」

「せめて夜にしてくれ」

「いけませんよ。夜には始まってしまいますからね」


 だから何が。


 疾風の頭をツッコミが駆け抜けたが、口から出てきたのは「はあ」という呆けた声だけだった。


「人間との最終決戦だというのに、腰が重いですねえ。あなたは特に、決着を楽しみにしていたと思っていましたのに」

「……それは間違っちゃいねえが、そんないきなり」

「気張ってことをしようとする奴ほどつまづくのですよ。万全の準備があれば、大した決意などいりません。さ、参りましょう」


 天逆毎は立ち上がった。仕方なく、疾風は側近にしばらく外出すると告げる。


「気が変わってよかった。鞍馬天狗の皆さんはよく働いてくださいましたので、良いものをお見せしようと思いまして」

「良いもの……?」

「見る価値があるもの、ともいえますね。なんせ、今の今までこの世に存在しなかったのですから」


 天逆毎は答えたが、より一層謎が深まっただけだった。


(まあいい、ついて行けばわかるだろ)


 半分捨て鉢になりながら、疾風は天逆毎の後に続いた。


 北に飛ぶこと、四半時ほど。自信満々の天逆毎が降り立ったのは、周りに何もない山の中である。


「こんな外れで、何を……」


 不満が疾風の口をついて出る。天逆毎はそんな疾風を見て、面白そうに笑うだけだった。


 しきりに虫の羽音が聞こえてくる。里に残してきた仕事の数々を思って、疾風は舌打ちした。


「……ん?」


 虫の羽ばたきが、次第に大きくなってきた。気になった疾風は顔を上げる。すると、空に黒い太陽が浮かんでいた。


(いや、まさか)


 疾風は何度も目をこすった。しかしいくら見直しても、もう一つの太陽が消えることはない。ただ周囲を威圧するように、でんと空中に居座っている。


「二つも、陽が」

「あの黒いのは、陽ではありませんよ」


 今までずっと黙っていた天逆毎が、口を開く。


「ただの穴です」

「……穴?」

「通り道、と言った方がわかりやすいでしょうか。あまり大きいとは言えませんが、彼らになら十分でしょう」


 次の瞬間、赤く大きな複眼が、疾風の視界に飛びこんでくる。あまりの不気味さに、呼吸を忘れた。


 一拍遅れて、ようやく複眼の主の全体像が見えてくる。全身真っ黒な大蜂だった。日本の蜂は大きくても大人の手指くらいだが、今いる個体は大人の頭ほどもある。


 彼らの胸部はやや小さく、腹がぼってりと膨らんでいる。何より特徴的なのは、顎だった。獲物を押さえつけるために太い曲線になっており、足より長い。


 こいつは生まれながらの狩人だ。疾風はそう確信する。


「実戦で使うのか」

「ええ、試しに一度戦わせてみましょう」


 天逆毎はそう言うと、山の中へ消えていった。間もなく、一頭の猪が木々の間から飛び出してくる。


 蜂がすぐに反応した。体が一回り大きくなり、羽が真っ赤になる。上空へ飛んだかと思うと、すぐに急降下してきた。


 太い顎をがっちりと猪の肉に食い込ませ、蜂が体を沈める。猪は何度か痙攣した後、その場にくずおれた。蜂はそれを確認すると、関心をなくしたように飛び立つ。


(せっかくの獲物なのに?)


 疾風は首をかしげた。その時、猪の体が徐々に紫に変色していく。全体が、真っ黒に腐ってきた。


 全身を腐らせながらも、しばらく猪は生きていた。悲鳴のような高い声で鳴いた後、ようやく息絶える。


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